英アストラゼネカは9月9日付で、オックスフォード大学が共同開発中のワクチンAZD1222の臨床試験(RCT)を「自主的に」一時中断すると発表した。理由は、英国で実施中の第3相試験中に参加者1例で「説明できない病状(unexplained illness)」がみられたため、独立した第三者委員会が安全性データを検証するための「所定の措置(routine action)」だという。


 9月8日付の米ニューヨークタイムズは臨床試験中断を報じる記事の中で、「状況をよく知る人物」の話として、「アストラゼネカのワクチンと直接関わっているかどうかは不明」としながらも、試験に参加中のボランティアのひとりが「横断性脊髄炎」の診断を受けたと報じた。


 また、米ブルームバーグは9月10日付で、「脊髄の問題」と答える米国国立衛生研究所(NIH)フランシス・コリンズ所長の画像とともに試験中断を伝えた。この発言は9月9日、米国上院厚生・教育・労働・年金委員会の公聴会に出席した際のものとわかったので、「上院公聴会チャンネル」で所長の発言を追った。


■安全性については「絶対妥協しない」


 結論から言えば、所長から中断理由となった副反応の具体名は出なかった。ある議員がずばり「横断性脊髄炎か」と質問したが、「あぁ、ニューヨークタイムズの記事のことだね。詳しいことは知らないよ」とかわしたのである。



 だが、3時間近くに及ぶ公聴会は、なかなか面白かった。


 コリンズ所長は、議員からの質問を受ける前に、ワクチン開発の概要をプレゼンした。まず、ヒトの免疫系を「とても洗練されたバイテク工場」に例え、ウイルスという材料が入るとY字の抗体ができる仕組みをアニメで示したほか【下記リンク動画42:00~】、米国で開発されている6つのワクチン候補【42:57~】、「精製したウイルススパイク蛋白」「ウイルスベクター」「mRNA」を用いた3つのワクチン開発戦略【44:33~】をわかりやすい図で次々と説明した。


そして、話を締めくくる前に安全性確保への強い意志を「Safety will not be compromised」と掲げたスライドで示し【46:20~】、「たった1例でも説明できない病状が生じたら試験を中断して精査する」「アストラゼネカのワクチンの件はその具体例だ」と述べた。


 コリンズ所長は、上院に提出した口述書で、米国の「ワープスピード作戦(Operation Warp Speed; OWS)」で6つのワクチン候補を扱っているのは不測の事態に備えるためだ、通常のワクチン開発と異なり生産体制を同時に整えていくことで製品が期待通りの成果を上げられない場合の「経済上のリスク」は高まるかもしれないが、「製品のリスク」を高める事態があってはならない、としている。


 大統領選を控えた時期ではあるが、公聴会では議員も科学者も「ワクチン問題の政治利用は避けねばならない」という意識を共有しているように感じられた。


 公聴会で一部の議員は自分のオフィスから画面を通じて質問した。クラシカルな雰囲気の部屋、重厚な暖炉の前、釣りが趣味なのか魚の精細画や毛鉤がたくさん飾られた部屋など、思わず背景を観察した。また、バイデン氏と民主党の大統領候補を競ったサンダース氏が無料接種について【1:12:09~】、ウォーレン氏が集団免疫について【1:46:05~】質問するなど、ニュースで見慣れた顔ぶれから出る言葉も興味深かった。


■ちなみに「横断性脊髄炎」とは


 さて、現状では臨床試験の一時中断理由かどうかはわからないが、「横断性脊髄炎」は、1つまたは複数の隣接する脊髄「節」の灰白質や白質に炎症が生じる病態で、原因は「脱髄性」「感染性」「膠原病関連疾患」のほか原因不明の「特発性」もある。脊髄障害は、脊髄のどこが侵されるかによって症状が異なるが、「横断性」はその範囲が広い。多発性硬化性で生じる場合が多いが、ウイルス感染後やワクチン接種後の発生例も知られている。発症頻度は100万人当たり数人~20数人程度で、わが国での実態は不明だという。それが、数時間~数日間で出現する場合は「急性横断性脊髄炎(acute transverse myelitis; ATM)」だ。


 神経内科は、医学のなかでも特に系統的な診断を得意とする分野ではあるが、もしATMがみられたとしても一般論として副反応との因果関係の判断は非常に難しいだろう。今後、開発のゆくえがどうなるか、注視していきたい。


【リンク】いずれも2020年9月10日アクセス

◎AstraZeneca. “Statement on AstraZeneca Oxford SARS-CoV-2 vaccine, AZD1222, COVID-19 vaccine trials temporary pause.” Sep.9, 2020.

https://www.astrazeneca.com/content/astraz/media-centre/press-releases/2020/statement-on-astrazeneca-oxford-sars-cov-2-vaccine-azd1222-covid-19-vaccine-trials-temporary-pause.html


◎米国上院厚生・教育・労働・年金委員会公聴会.  “Vaccines: Saving Lives, Ensuring and Protecting Public Health.”

https://www.help.senate.gov/hearings/vaccines-saving-lives-ensuring-confidence-and-protecting-public-health


◎MSDマニュアルプロフェッショナル版→「急性横断性脊髄炎」

https://www.msdmanuals.com/ja-jp/


◎日本神経学会. 「多発性硬化症・視神経脊髄炎診療ガイドライン2017」→「第1章 中枢神経系炎症性脱髄疾患概念」→「1.6 急性横断性脊髄炎」

https://www.neurology-jp.org/guidelinem/koukasyo_onm_2017.html


[2020年9月10日14時現在の情報に基づき作成]

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本島玲子(もとじまれいこ)

「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。

医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。