今度は「ゴー・トゥー・イート」である。7月下旬に前倒しして始めた「ゴー・トゥー・トラベル」キャンペーンに対抗するような政策だ。ゴー・トゥー・トラベルも負けてはいない。10月1日から除外していた東京都を加えるという。ゴー・トゥー・トラベルが国土交通省の政策なら、ゴー・トゥー・イートは農水省の提案だ。どちらも「新型コロナで落ち込んだ経済を取り戻す」という触れ込みだが、新型コロナで影が薄くなった国交省と農水省が存在感を見せようと考えた「省益丸出し」の感がある。


 当時の官房長官はゴー・トゥー・トラベルへの批判的な質問に対し、「地方のホテル・旅館は経営が大変なんです」と食ってかかっていたが、民間の調査会社の倒産情報では新型コロナの影響を最も受けたのはホテル・旅館より都心の飲食店であると発表している。菅義偉官房長官(当時)の気迫に政治記者はまんまと騙されたようだ。だが、政治記者より農水省のほうが賢い。「ホテル・旅館より飲食店のほうが倒産・自主廃業が多い」ということを見逃さなかった。ゴー・トゥー・イートに乗り出したのだ。


 国交省も負けてはいない。東京都では「新型コロナ感染拡大が減少に転じている」ということを理由に、東京をゴー・トゥー・トラベルに加えると決めた。早速、新聞・テレビは再び飛びついた。とくにテレビは地方のホテルや旅行会社を取材し、「半分不安、半分期待」という話や「期待できます」という旅行代理店の担当者の話を伝えている。


 しかし、東京を加えたのは別の理由からではないのだろうか。ゴー・トゥー・トラベルを利用できるのはおカネと暇のある人である。極端に言えば、十分な年金を受け取っている年金生活者だ。解雇や雇止めされた人はもちろん、シングルマザーや就職活動中の人、パートで生計を立てている人、収入の少ない人たちにとっては無縁の対策でしかない。しかも、東京にはお金持ちも多いうえ、1400万人の消費者がいる地域である。この東京を除外したら、地方のホテル旅館に観光客が押し掛けるという現象は起こらない。


 箱根も草津も「東京の奥座敷」である。観光客の半数以上が東京から来る客である。東京を除外したら、観光客の増加はコロナ前の50%程度の回復にしか過ぎない。国交省も巨大な消費者が集まっている東京の影響力が頭の中に入っていなかった。東京除外でゴー・トゥー・トラベルを始めてみたら、大した効果がなかったことに気付き、急遽、新型コロナ感染者の拡大が減少しているという名目で東京を加えただけである。


 秋の観光シーズンに合わせて東京が加われば、ゴー・トゥー・トラベルは以前より活況を呈することになるだろう。しかし、本当にゴー・トゥー・トラベルが必要だったのだろうか。前述したように利用できるのはカネと暇のある人だし、一番打撃を受けたのはホテル・旅館より大都市の飲食店だ。しかもゴー・トゥー・トラベルの対象になる宿泊施設は7万軒だそうだが、ラブホテルはともかく、観光地に数多くある民宿は加わったのだろうか。民宿は家族でもてなすことで価格も安い。安く宿泊したい若い欧米人には人気があったが、こういう民宿にとって新型コロナは大打撃だっただろう。こうして見ると、ゴー・トゥー・トラベルとはホントは旅行代理店の救援策だったのではないか、という気がしてくる。


 ゴー・トゥー・イートに対しても同様に喜んでいいのだろうかという疑念が生まれる。全国の飲食店は何万軒に上るのだろう。なんでも利用者に対し1000円以上の食事代に補助が出たうえ、次回に利用できる商品券がもらえるとかいう方法らしい。だが、飲食店は数多いし、種類も多い。上は1人5万円以上もする料亭もあれば、数百円で食事ができる定食屋もある。銀座やキタ新地の高級クラブもあれば、繁華街だけでなく、どこの駅前にもある飲み屋もある。


 ときどきテレビで「学生がいない」と嘆く早稲田大学前の学生向け定食屋もある。こういう安い大衆飲食店はどういうことになるのだろう。農水省の政策だから、消費者のためではなく、消費者のためという看板で、新型コロナの影響から高級魚や農産物が売れなくなって困っている生産者を救済するためのものなのではないのかという気がする。


 もっとも、少しであっても消費が活発になれば,経済は上向く。先進国では消費がGDPの50%を超えるからだ。アメリカでは消費がGDPの70%に上るし、日本でも消費がGDPの60%を超える。経済対策に日本ではいつも公共投資を中心にした財政出動をとるが、欧米では財政出動ではなく、消費刺激策をとる。公共投資がGDPの10数%しかないのに比べ、GDPの50%以上を占める消費を誘引する消費刺激策のほうが経済回復に有効であると判断しているからだ。従って、ゴー・トゥー・トラベルもゴー・トゥー・イートも消費刺激策だから経済再生にはいいのだが、なんと言ってもカネと暇のある人だけが利用しやすい政策だけに、景気刺激の影響力は限られてしまう。


 そもそも政府は「コロナ対策と経済の両輪」を進めるという。誰が言い出したのか知らないが、コロナと経済の両輪とは正しいのだろうか。経済を動かし、新型コロナ感染者が出てしまったら、企業はその部門を止めなければならない。経済を止めたり再開したり繰り返すのは効率的ではない。むしろマイナスになる。ゴー・トゥー・トラベルを前倒しで始めるとき、医師会が「少し早いのではないか」と懸念を表明したが、実際、新型コロナが鎮静に向かったと判断できるときまで待つほうが賢明ではなかろうか。政府が言い出したのだろうが、コロナと経済の両輪とは、上手くいくかどうかの賭けのように見える。


 では、経済再生のためには何をしたらいいのか。ゴー・トゥー・トラベルのような恩恵を受ける人が限られるものより、みんなが、より多くの人が恩恵を受けられる景気対策のほうがベターのはずだ。ドイツやイギリスが行った日本の消費税に相当する付加価値税の減税のほうが効果的だろう。消費税の引き下げなら富裕層も低所得層も等しく恩恵を受ける。ヨーロッパで最も財政健全化に五月蠅いドイツのメルケル首相が、こと新型コロナに対しては財政健全化よりも財政悪化を招く付加価値税の引き下げに走ったことにもっと注目してもいいはずだ。


 もちろん、一度消費税を引き下げると、再引き上げが大変だ、という声がある。が、これは財務省の発想だ。かつて消費税3%引き上げの際、トヨタの豊田彰男社長が1%ずつ引き上げることを提案した。1%ずつ引き上げると、3年間に亘って引き上げ直前に駆け込み需要が起こる、という発想だ。これを応用すればいい。例えば、消費税を5%下げ、その後、1年ごとに1%ずつ引き上げると。毎年駆け込み需要が生まれるが、上がってみると大した値上がりには見えない。消費はじきに回復する。これが5年間に亘り続くだけである。


 それに国民はすでに消費税10%を経験しているから、1%ずつ上がっても、財務省が心配するような国民の間に騒ぎは起こらないだろう。イギリスが国民の塩摂取量を9グラムから6グラムに減らす運動をする際、製パン業者や乳製品業者、調味料などのメーカーに毎年少しずつ塩の使用量を減らすことを求め、3年間で塩分摂取量を6グラムに減らし、医療費を年間3000億円節約させた成功例がある。これは少しずつ塩分を減らすと、人間は塩分が減ったことに気付かない、という行動経済学の手法だ。毎年の1%ずつの消費税引き上げはこれと同じことで問題はないだろう。東大時代にケインズ経済学を学んだ高級官僚は経験からケインズ経済学に固執しがちで、消費税を元に戻すのは大変だ、という発想になってしまうのである。


 もっとも、安倍前内閣も菅新内閣も消費税減税は取り上げそうもない。というのも、消費税減税は国家財政にとって収入減である。政治家にとっては減税による収入減より、国債発行でゴー・トゥー・トラベルなどを行う借金のほうが好ましい。もっとハッキリ言えば、みんなの利益になる経済政策では国民全員が感謝してくれない。しかし、国債発行という借金でカネをばら撒くほうが、たとえ一部の国民であっても得するという感覚を生む。利益を得た人たちから政府のおかげで得したと支持を得られるのだ。


 結局、日本では新型コロナ対策も経済再生も国民自身の“自助”努力しかないようである。菅新首相が「自助、共助、公助」と語り、自助努力を最初に求めたのも、そんな考えを暗示しているのだろうか。(常)