週明け早々に驚かされたのは、共同通信の論説副委員長・柿崎明二氏が首相補佐官に起用されたニュースだった。テレビの情報番組にもしばしば出演し、安倍政権に対しては、その「分断・隠蔽体質」にズバズバと斬り込む人だった。その一方、新首相の菅義偉氏との間では、同じ秋田県出身ということもあり、互いに一線の政治部記者、1年生議員だった時代から太いパイプを築いていたという。


 このサプライズ人事は先週末あたりから一部で噂になり、週刊文春は『菅政権「3人の地雷男」』という記事のなかで、新潮は『大抜擢総理補佐官 共同通信・柿崎氏 詐欺師と“交遊”過去』という短信でこれを取り上げた。


 文春記事は柿崎氏について、菅首相が「親戚のようなもの」と評し、総裁選の会見原稿のチェックまで任せた間柄と紹介したうえで、酒席でホステスにセクハラまがいの言動をすることや、総裁選前のテレビで菅氏を擁護するようなコメントをした問題を指摘。新潮のほうは、12年ほど前、政界関係者やクラブホステスに投資詐欺を働いた自民党議員の政策秘書がいて、この人物と柿崎氏が昵懇だったことを報じている。


 いずれも“醜聞”と言えるほどの内容ではないが、やはり戸惑いを覚えるのは、「リベラル」で売ってきた記者時代のスタンスとの整合性である。記者と対象との距離感に関しては、価値観・思想信条が違っても人間性の部分で信頼関係を持つ、そんな間柄になることがままあるし、ほとんどの記者は、それを目指す。さもなければ、癖の強い取材対象に迫るのは困難だ。


 しかし、相手がそれなりに責任のある立場で、批判的報道もせざるを得ない場面では、「パイプ」は時に足かせになる。政治記者はとくにそのバランスをとらないと、情報をまるで取れない疎外感を味わったり、対象におもねるだけの「御用記者」に転落したりする。


 報道内容では厳しく政権批判をしつつ、水面下で深い信頼関係を持つ。柿崎氏がもし、その「二面性」を完璧に保てていたならば、それ自体は彼の有能さの証だが、記者の仕事をやめ、完全に“側近入り”をするとなると、話は微妙になる。氏は大学卒業後、毎日新聞に入り、途中から共同通信に移籍した経歴を持つ。同様に毎日新聞からTBSに転じた元同期生の竜崎孝氏は、毎日での新人研修のとき柿崎氏が「政治部記者になったあと、将来は政治家になりたい」と語っていたことを覚えている。実際のところ、昭和期には、政治部記者をステップに政治家になる人が多く、読売の“ナベツネ”こと渡邊恒雄会長のように、記者の立場のまま政界のフィクサー的に立ち回る人もいた。柿崎氏ももしかしたら、このような政界の蠢きにどっぷりはまり込む旧タイプの記者だったかもしれない。


 今回の人事の意外さは、菅首相にも及ぶ。イエスマン以外は徹底排除する、そんなイメージが強い首相だが、この冷徹なイメージは違ったのか。その昔、タカ派の中曾根康弘元首相は「左ウイングを伸ばす」としてハト派の後藤田正晴氏を官房長官に起用、竹下登元首相は「足して二で割る」と野党の主張を大幅に取り入れた。安倍氏と違って特定のイデオロギーのない菅首相は、実際にはこういった「懐の深さ」を持つ人なのかもしれない。そんな思いもふと浮かんだが、柿崎氏登用の直後に流れたのが、あの日本学術会議の一部新会員拒否のニュースだった。


 この件で見せる姿こそ、やはり菅首相であり、柿崎氏の登用はあくまでもイメージ戦略のポーズだった。そう言われても仕方のない展開である。菅首相のしたたかな「皮算用」、清濁併せ呑む柿崎氏の「野望のための打算」、そういったドロドロした見方を否定したいなら、柿崎氏は学術会議問題ではっきりと首相に諫言すべきだろう。新補佐官は着任早々に、人間性の根幹を問われる局面に立っている。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。