GW突入でどの雑誌も合併号となった今週は、サンデー毎日の記事を取り上げたい。前号から、気になる連載が始まっているからだ。タイトルは『自衛隊の「リアル」』。執筆者は毎日新聞社会部の滝野隆浩という編集委員である。


 このベテラン記者・滝野氏は、防衛大卒業というメディアでは珍しい経歴の持ち主で、今回は、その強みが存分に発揮されている。そびえ立つ保秘の壁を乗り越え、滝野氏の取材は組織の最深部に及んでいる。今週はたまたま週刊新潮でも、自衛隊取材では第一人者とされる杉山隆男氏が次号へと続くルポを書いているが、迫力という点では、どうしても滝野氏の記事に軍配が上がる。


 自衛隊の側からすれば、やはり“同じ釜の飯を食った仲間”への信頼は何ものにも代えがたいものなのだろう。私事で恐縮だが、筆者が新聞記者だった20数年前、防大の取材で壁にぶち当たったとき、筆者の父親がかつて創設間もない防大で教官だったことを告げた途端、防大側の対応が豹変した記憶がある。彼らはそれほどに「相手を見る」のである。


 サン毎の1話目には『彼らは何を思い、苦悩しているのか!』、第2話には『「殺す、殺される」は表裏一体』と見出しが付けられている。そう、この企画では、集団的自衛権の部分的容認が目前に迫る中、当の自衛隊員が何をどう感じているのかを探っている。


 日米同盟の“深化”で安倍首相がアメリカに歓迎され、日本国内の支持率も跳ね上がりそうな気配だが、結局のところ、米軍との軍事行動が現実のものとなっても、それが局地的な小競り合いにとどまっている限り、国民の多くは“他人事”でいられる。生きるか死ぬか、という張り詰めた感覚は、当事者の自衛隊員だけが感じている。


 連載の第1話は1999年3月、日本海で海自護衛艦と北朝鮮の工作船が対峙した場面から始まる。この出来事は自衛隊史上、隊員が最も「死」に近づいた場面であり、この体験を機に自衛隊では、極秘の特殊部隊が設けられるなど、急速な変貌が始まったという。


 工作船に接近し、艦内で20人の決死隊が指名されたとき、隊員の間には「オレかよ」「マジ?」と動揺が広がったが、上官は「上が行け、といったら命を投げ出す。その時のために我々はいるんだ」と一喝した。艦内には防弾チョッキの用意すらなかったため、選ばれた隊員らは、漫画誌を着衣の下に押し込んだ。なかには「あとはお願いします」と遺言めいた言葉を口にした隊員もいた。


 結局、この時の立ち入り検査は、工作船が急発進して逃げきったため実現せずに終わったが、さもなければ、銃撃戦は避けられそうにない局面であった。そして、この時に組織全体を覆った底知れぬ恐怖が、やがて秘密に包まれた特殊部隊を育て上げてゆくきっかけになったのだという。


 第2話では、イラク駐留部隊の秘話が明かされる。宿営地には隊員らに知られぬよう、棺桶が用意されていた。「戦死者」が出た場合の細かい手順も定められていた。戦闘で殺し、殺されること。世間にはほとんど知られぬまま、その双方の準備がこの10年間、自衛隊では着々と進められていた。しかし記事によれば、集団的自衛権の拡大は、組織に“さらなる覚悟”を求めるという。実戦経験のない兵士から心理的抵抗を取り除き、躊躇なく人間を射殺できるようにするためには、洗脳に近い特殊な訓練が必要になるからだ。


 第2話はこう結ばれている。「自衛隊は政治が決めたことは忠実に実行する。新しい安保法制が決まったあとは、創設以来、60年間『封印』してきた『撃つ、撃たれる』の厳しい関係性を克服するため、特に陸自はそれに見合った訓練を開始するはずだ」と。


 重苦しく、生々しい筆致の連載は、政治の場で何のためらいもなく「国益」が語られる裏側で、人知れず、息苦しくなるような現実が動き出していることを伝えている。 

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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。