世界保健機関(WHO)のデータによれば、米国とブラジルを含む米州での新規感染者数と死亡者数は減少傾向にあるものの、直近7日間でそれぞれ世界の4割と5割を占める。米国だけをみると、同期間の感染者298,149人、死亡者5,036人と依然高水準にある。




 米国で9月29日に行われた大統領候補の第1回テレビ討論会で、「来年1月まで、マスクをきちんとつけて社会的距離をきちんととれば、死亡者を半減できる」と米国国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)ファウチ所長の言葉を引用するバイデン氏に対し、トランプ氏は小ばかにした表情で「私はマスクを持っているし必要なときはつける。検査だってしている」「(バイデン氏のように)200フィート(約61m)も離れているのに、でかいマスクをしていないだけだ」とうそぶいた。


 そのトランプ氏の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染が10月2日に判明し、ウォルターリード国立米軍医療センターに入院。まさに米大統領選直前にたびたび起こるという「オクトーバーサプライズ」である。同センターはホワイトハウスの北方わずか13km、州道を挟んで米国国立衛生研究所(NIH)の研究所群と向かい合ったベセスダ地区内にある。


■レムデシビルに先立ち抗体カクテルを投与


 同日中に、マクナニー米大統領報道官は主治医コンリー氏からの覚書「Health Update on President Donald J. Trump」2通をツイッターで発信した。


 1通目は「予防措置として(ホワイトハウスで)リジェネロンの抗体カクテル(polyclonal antibody cocktail:原文ママ)8gを単回投与し、何のインシデントもなく注入を終えた。大統領はこの他、亜鉛、ビタミンD、ファモチジン、メラトニン、アスピリンを服用している」。7時間後の2通目は「私(コンリー氏)は今日の午後、ウォルターリード及びジョンズ・ホプキンス大学の専門家と相談し、さらなるモニタリングのためにウォルターリードに移ることを勧めた」「酸素吸入の必要はないが、専門家と相談し、レムデシビルを始めることにした。大統領は既に初回投与を終えて快適に休んでいる」というものだ。


 同日夜、ニューヨーク州知事の弟がアンカーを務めるCNNのニュース分析番組「クオモ・プライムタイム」には、リジェネロンCEOのシュライファー氏が出演。「今すぐ命の危険があるわけではない大統領に治験薬を人道的使用(compassionate use)する理由」を聞かれ、「リスクがある患者に対し、FDAに使用申請され、投与が許可された」「いわば、ウイルス対患者の闘いで、患者の免疫力が勝てるように力を貸すものだ」。


 また、「なぜ大統領に治験薬を投与するのか。大統領はモルモットではない」という問いに対しては、「同じような状態でこの薬を使ったのは大統領が初めてではない」「これまで数千人で安全性を確かめたが、マイナスのリスクは非常に少ないクラスの薬だ」「回復期血漿療法より理に適った合理的な選択だしエビデンスもある」と自信をのぞかせた。


 米国では、NIHを中心とする専門家など54人が名を連ねるパネルが「COVID-19治療ガイドライン」を作成し随時更新している。序文で「ガイドラインの推奨内容は“命令”ではなく、最終的には個々の患者と医療提供者が選択すべき」としているものの、最新の2020年9月1日版(全202頁)にリジェネロンの「REGN-COV2(開発名)」を含む抗体カクテル療法は反映されていない。また、同社はホームページで「REGN-COV2は試験中の薬剤であり、その安全性と有効性はいずれの規制当局においても十分に評価されていない」と明記している。


 覚書の処方は大統領の常用薬かもしれないが、一部は上記ガイドラインにも記載がある。「亜鉛」は、細胞内濃度増加がRNAウイルスの複製を抑制するとの知見がある(PLoS Pathog. 2010)がデータ不十分で、むしろ過剰摂取にならぬよう注意喚起されている。また、「ビタミンD」は、自然免疫及び獲得免疫反応を調整するとの報告があり(J Investig Med. 2011)、高齢者・肥満者・高血圧患者などでは不足しがちだが、こちらも推奨に値するデータは不十分とされた。


 一方、レムデシビルの投与については、考え方がある程度整理されている。さらに10日4日に行われた大統領医師団の発表で、トランプ氏に対して初期に酸素吸入を、レムデシビル開始後にデキザメタゾンの投与も行ったことが明らかにされた。一時期ヒドロキシクロロキンを称賛していた大統領は、皮肉なことにエビデンスに基づく治療を受けていることになる。



■抗体カクテルの開発


「REGN-COV2」の臨床試験は4件実施中である。具体的には、入院患者と外来患者での第2/3相試験が2件、英国の入院患者での第3相試験1件、米国国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)と共同で実施している感染リスクが高い非感染者(COVID-19患者の同居者など)での予防試験1件だ。また、安全性については、健常ボランティアを対象とした第1相試験結果を解析中である。



 同社は奇しくも2020年9月29日、「REGN-COV2の抗ウイルス活性」と「どのような患者が最もベネフィットを得られるか」を評価するために外来患者275例を対象として行った予備的解析を公表したばかりだった。ベースライン時にSARS-CoV-2抗体がある「血清反応陽性者」が45%、抗体がない「血清反応陰性者」が41%いた(14%はその他、不明など)。それぞれ「REGN-COV2」の高用量(8g単回)、低用量(2.4g単回)、プラセボに無作為に割り付けた。その結果、「血清反応陰性者」における「REGN-COV2」投与群はプラセボ投与群に比べ、7日目までに鼻咽頭ウイルス量の有意な減少がみられ、その度合いは高用量の方が大きかった。また、いずれの用量でも忍容性は高かった。トランプ氏への投与はこの「高用量」に相当する。


 リジェネロンは生産能力を高めるためにロシュと提携し、「REGN-COV2」承認の暁には、米国内では同社が、他の地域ではロシュが供給にあたる予定という。また、米国保健福祉省の生物医学先端研究開発局(BARMA)及び国防総省に対しても「REGN-COV2」を製造・供給する。


 COVID-19は、発症から1週間程度の「感染早期(early infection)」を経て患者の8割が軽症のまま治癒。残り2割ではさらに1週間~10日にわたる呼吸困難・咳などを伴う「肺炎期(pulmonary phase)」を経て、「超炎症期(hyperinflammation phase)」に至り、過剰な免疫反応が生じると人工呼吸管理が必要となって、一部の患者には致命的になるとされる(J Heart Lung Transplant. 2020)。


 ホワイトハウスとウォルターリードは至近距離で速やかな往復は可能であるものの、早期退院は賢明な判断ではない。また、本人が回復しても選挙絡みの活動がクラスター発生の原因になったとしたら、“I’ll be back soon.”と格好つけてばかりはいられないだろう。


【リンク】いずれも2020年10月4日アクセス

◎The White House. “Memorandum from the President’s Physician.” →左記タイトルで検索し2020年10日2日以降の日付のもので経緯を確認できる。

https://www.whitehouse.gov/


◎NIH. “Coronavirus Disease 2019(COVID-19) Treatment Guidelines.”

https://files.covid19treatmentguidelines.nih.gov/guidelines/covid19treatmentguidelines.pdf


◎Regeneron. “Our COVID-19 Rapid Response Program.”

https://www.regeneron.com/covid19


◎Siddiqi H et al. COVID-19 illness in negative and immnosupressed status: A clinical-therapeutic staging proposal. J Heart Lung Transplant. 2020; 39(5): 405-407.

https://www.jhltonline.org/article/S1053-2498(20)31473-X/fulltext


[2020年10月5日7時現在の情報に基づき作成]

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本島玲子(もとじまれいこ)

「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。

医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。