個人的に、雑誌記事は丹念な取材に基づくものにしか興味が湧かないが、今週は珍しく、ほぼ取材ゼロの“妄想記事”、週刊ポストの『どうしようもない「ダメ野党」を1ヵ月で変身させる「劇薬」』という1本に目が留まった。かつての自民党の総総分離ではないが、次期総選挙で野党側は、枝野幸男氏を軸に据えたまま、政権奪取後の首相候補として小泉純一郎・元首相という「もうひとつの旗頭」を押し立てて戦ってはどうか、という、言ってみればまぁ、ヨタ話である。


 万万万が一、そんな枠組みが実現したとしても、有権者に冷笑されて終わるのがオチ、という気がするが、『キーマンは老いた「無敗の男」と「壊し屋」、そしてあの「変人」』というサブタイトルにある通り、この記事では小泉氏以外に「実在する野党議員」、新たに立憲民主党に加わった小沢一郎氏と中村喜四郎氏という、旧自民党田中派に出自を持つ2人に注目する。立ち位置の定まらない国民民主党を小沢氏の剛腕で共闘にしっかり組み込んだうえ、角栄仕込みの“どぶ板”で選挙無敗の神話を持つ中村氏に「鬼コーチ」になってもらい、野党各候補の“足腰”を鍛え上げる、というお話である。


 これらもまた「そうですか」で終る内容だが、ただひとつ、中村喜四郎氏という人物にインパクトがある、という一点についてだけは頷けた。自民党時代、若くして入閣しながらもゼネコン汚職事件で失職、以後徹底したマスコミ嫌いの政治家として近年までメディアにほぼ登場しないまま、それでいて選挙では絶対に負けない「謎めいた一匹狼」であり続けた。“代り映えのしない顔ぶれ”の野党勢のなかで、街頭演説に立ち、通行人の好奇心を駆り立てられるのは、中村氏をおいて他にいないのではないか。そう思えたのだ。


 正直、政治家としてどれだけの見識を持つ人か、基礎知識ゼロで言うのは気が引けるが、イメージだけで言うならば、その眼力、寡黙な佇まいで場を圧する迫力は、与野党双方を見渡してもピカイチに見える。ここはひとつ、枝野代表の片腕のようなポジションに抜擢し、常にその傍でにらみを利かせるようにすれば、マンネリ化した野党イメージに、ピリッとスパイスが効く気がする。野党の内部力学が、氏のような「よそ者」の活躍を許すなら、の話ではあるのだが。


 ちなみにポスト記事は、中村氏の盤石の強さを支えている後援会の「鉄の結束」に触れ、その役割を全選挙区で担い得る存在は、共産党の地方組織以外にない、と指摘する。記事によれば、共産党は今年1月“”の党大会に中村氏を特別ゲストに招いたという。角栄流のどぶ板戦術と共産党の組織選挙、もし両者が組み合わさり、野党の“足腰”になるのなら、確かに話は面白い。ちなみに今週、サンデー毎日に載ったインタビューで小泉元首相は、野党の一本化を前提に原発ゼロの公約で戦えば「わからないよ。勝てる状況ができているのに(野党は自分たちのことを)わかってない」と語っている。小沢氏も中村氏も、戦い方次第で野党の大躍進は可能だ、と力説する。野党全体の弱気ムードのなか、与野党双方の選挙を知る彼らだけが、違った見方をしているのが興味深い。


 三浦春馬氏に続いて芦名星、藤木孝、そして竹内結子の各氏と、芸能人の自死が続いている。週刊新潮は『異常事態は芸能界だけではない! 自殺急増「コロナ鬱」の早期発見と防ぎ方』と警鐘記事を載せている。「いち早く異変の察知を」。結局はそれに尽きるのだが、コロナによる経済の危機的状況は、果たしていつまで続くのか。その出口が見えてこない限り、問題の抜本的解決につながりそうにないことがつらい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。