安倍晋三首相が突然、辞任し、「安倍路線を継承する」という菅義偉氏が新首相に就任した。菅内閣が就任早々、華々しく打ち出したのが「デジタル庁」の創設だ。早速、デジタル庁長官に就任した平井卓也氏が民間人を加えた準備室をつくりデジタル社会を推進すると抱負を語る。「我こそはITの第一人者だ」といわんばかりだ。続いて防衛省から行政改革担当相に横滑りした河野太郎氏が「行革110番」を設け、アイデアを募ったところ、集まり過ぎたので、しばらく停止すると発表したかと思うと、今度は「脱ハンコ」を宣言。さらに法相に復帰した上川陽子氏は「婚姻届、離婚届にハンコを不要にする」と言いだした。


 どれも大衆受けを狙ったアドバルーンだろうが、こうした発言に政治記者やテレビが飛びついて快哉を叫んでいる。無定見のテレビはどうしようもないが、新聞までが「デジタル、デジタル」と叫んでいる様はバカバカしいとしか思えない。新型コロナの結果、取材ができず、報道するものがないからといって過ごせる問題ではない。


 そもそも、デジタル化の遅れの問題は、安倍内閣で国民に10万円を支給すると発表し、その支給方式にマイナンバーカードで申請することになったとき、国民の多くがマイナンバーカードを持っていないこと、カードを持っている人がネットで申請しても今度は暗証番号がわからないという事態に達したうえ、振込先の銀行と結びついていないため、各自治体に申請したマイナンバーカードと住民票とを照会することになり、支給は遅れに遅れて不評を買った。結局、我が国ではデジタル化が遅れ、手作業に頼っていたことが発覚しただけに過ぎない。


 週刊誌では「背番号化」に賛成した。これからネットの社会が始まろうとしていたし、欧米ではほとんどの国で背番号化されていたからだ。そのときに記述したのは北欧を中心にした「年金番号」か、それとも「納税番号」であるアメリカ型か、という選択を提起した。


 ヨーロッパ型の年金番号とアメリカの納税番号との違いは歴史だ。アメリカでは西部劇のように町ができたとき、住民がカネを出し合い、まず教会をつくり、次に市役所や学校を建設し、さらに市民の財産と治安を守るために金を出し合って警察をつくった。それが税金である。だから、脱税は仲間に対する裏切りとして厳しい。国民は、サラリーマンであっても、確定申告制だ。そんな事情が納税番号制に繋がっている。一方、ヨーロッパは日本と同様、税金はお上がメシ上げるものだった。だから、年金番号を選んだ。日本では脱税が多かったし、その一方、年金もとっくに始まっていたから、週刊誌はどちらを選ぶべきかを強く主張しなかった。ただ、年金番号か納税番号にすべきだと言っていた。


 ところが、日本政府が選んだのは「住民番号」だった。番号制で個人情報が管理されると反対されるのを避けるためだ。実施後、早速、政治記者やテレビはマイナンバーカードで簡単に住民票を取得できる、印鑑証明をとれる、と書き立てた。しかも、その後、政府は何もしなかった。結果、国民はマイナンバーを知っていてもカード化しなかった。


 いや、カード化しても暗証番号はわからなくなった。なにしろ、数字とアルファベットを混ぜて6文字以上である。住民票と繋がっているだけだから、日常、使わない番号だし、使われない番号だから、暗証番号を忘れてしまうのが当然なのだ。それが一律10万円支給の申請で大混乱をもたらしたのだ。ドイツの友人に聞いたら、ネットで申請したら、翌々日には銀行に60万円が振り込まれていたという。


 日本は遅ればせながらマイナンバー制にはしたが、年金、あるいは納税番号にしなかったから混乱した。年金番号あるいは納税番号なら支給先、納税、あるいは還付のために金融機関の口座と結びついているが、住民番号だから金融機関の口座振り込みも確認を要する始末で遅れに拍車を掛けた。すべて政府がデジタル化しなかったから大騒ぎになっただけである。


 つまり、デジタル化が遅れていたのは政府であり、行政の問題のはずだ。民間企業が遅れていても、それは企業の責任であり、遅れた分、売り上げや収益が悪化するだけだ。だいいち、政府が民間に嘴を挟むべきではなかろう。デジタル庁を設置するのは構わないが、目的は政府・行政のデジタル化だということを明言すべきではないか。


 河野大臣の「行革110番」にも呆れる。投書が多すぎ、当分の間、中止するというが、中身は苦情がほとんどだと言われている。さもありなんという気がする。しばしば弁護士会や民間団体が解雇の問題や借金問題などでなんとか110番を開設するが、それは警察の110番と同様、被害者から相談を聞き、アドバイスしている。河野大臣が苦情や相談が多いというのも当然だ。「110番」と名乗ることがそもそもおかしい。そういうものをつくるなら、江戸時代に登場した「目安箱」とすべきだろう。認識不足に悲しくなる。


 そのうえ、河野大臣は次には「脱ハンコ」と言い出した。新型コロナの感染拡大から外出自粛が発表されたとき、テレビが出勤するサラリーマンに聞くと、「ハンコが必要なので出勤する」と答え、たったハンコためだけに出勤する、と大々的に報道した。河野大臣はテレビ受けを狙って「脱ハンコ」と言い出したとしか見えない。むろん、マスコミは無駄なハンコをなくす、と大々的に報じたのは言うまでもない。実際、民間会社でも部長や役員の「メクラ判」が多い。だが、それ以上にハンコを押す場所が設けられ、係長から課長、次長、部長、局長、次官とやたらハンコを捺すことが多いのも、お役所のことではないのか。


 この河野大臣の話題に便乗しようというのか、上川法相が結婚届、離婚届の印鑑捺印をなくす、と言い始めた。早速、テレビ、新聞が若者の賛否を大きく報道している。この動きに対し、「ハンコ王国」の山梨県を地盤とする代議士と山梨県知事が「ハンコをなくすな」と叫んだが、これはいつもの自民党の「ガス抜き」というものなのだろう。


 ハンコと言えば、思い出すのはデパートのそごうが破綻した後、そごうのメーンバンクである日本興業銀行(現みずほ銀行)が融資の一部、200億円を超える資金に元そごう会長の水島広雄氏の個人保証があったことから水島氏に支払いを求めた訴訟を起こした。水島氏によれば、巨額の融資に際し、興銀が個人補償を求めたものだという。


 水島氏は興銀からそごうの社長に転職した経営者である。が、その一方、法学者としても有名な人だった。毎日新聞に寄稿した法律論文が大蔵省、日本銀行の目にとまり、銀行員の身ながら日銀の委嘱を受けてイギリス、アメリカに渡り、研究。帰国後、「浮動担保法」という法案を提出。それがそのまま商法の法律になり、法曹界では同法律を日本では唯一、個人名を冠して「水島法」と呼んでいるほどだ。それだけの人がなぜ個人保証に捺印したのか疑問だが、水島氏によれば、「拒否したが、興銀の副社長と常務に何度も『大蔵省対策だから。念書も書く』と懇願されしぶしぶ同意した」ものだという。


 ちなみに、当時の興銀の常務は安倍前首相の祖父、故安倍伊平氏の元夫人の子供である。表向きには離婚しているが、古参の元代議士秘書によれば、伊平氏の夫人は子供を置いて駆け落ちしてしまったのだという。その置き去りにされた子供が安倍前首相の父親である故安倍晋太郎氏である。常務は安倍前首相とは血のつながった叔父に当たる。


 裁判では念書も出されたが、結局、水島氏は敗訴し、200億円以上の借金を背負った。


 この裁判で休憩のとき、裁判長が水島氏のところに来て、「水島先生、個人保証に先生のハンコが押してある以上、どうしようもありません」と言ったそうだ。脱ハンコとなってハンコがなくなってサインになったら偽造だ、いや本物だ、という騒ぎになるかも知れない。一体、どうなるのだろう。


 脱ハンコに便乗した上川法相の発言が神無月(10月)だったことも印象的だ。10月には日本中の神様が出雲大社に集まり、縁結びをするという話は落語にもよく出てくる。


 この報道を聞いたとき、もうひとつ思い出した。フランス映画の巨匠、ルネ・クレマン監督の映画「太陽がいっぱい」である。クレマンは「汚れなき悪戯」や「居酒屋」、「パリは燃えているか」等、多くの名画を残した人で、「太陽がいっぱい」はアラン・ドロンの出世作としても知られている。


 それはともかく、映画のあらすじは、アメリカの大金持ちからフランスで美人の愛人とヨットで毎日、遊び暮らしている道楽息子を家に帰るように説得を依頼された貧乏青年が道楽息子と会うのだが、道楽息子は青年を嫌って下男のように扱う。そのうち、青年は密かに道楽息子のサインをそっくりに書けるよう練習し、道楽息子を殺害。道楽息子は帰ったと嘘を言い、愛人を奪い、道楽息子と同様の生活を始めるが、やがて道楽息子の死体が漁網に引っ掛かって上がる……いうストーリーである。


 圧巻は青年が道楽息子の筆跡とそっくりのサインを練習して手形を切って遊ぶ部分だ。脱ハンコになれば、当然、ネットでサインということになるだろう。ネットということになれば、当然、縁結びのハッカーが活躍するだろう。自筆のサインは偽造が難しいが、ネット時代にはサイン部分を切り取って貼りつけるくらい容易だろう。


 現在の結婚・離婚届は「サイン、または氏名記載の上、捺印」となっていて三文判でも構わない。脱ハンコが実行されたとき、当然、ネットになるだろうからサインになる。すると、「太陽がいっぱい」の青年のようなことが起こるのではなかろうか。ひょっとすると、本人が知らないうちに結婚していたり、離婚していたりする。戸籍謄本を取ったら、知らない人と結婚していることを知って驚いたり、あるいは、離婚した人と暮らしていた、なんていうことが起こるかもしれない。


 夫婦喧嘩したら離婚し、仲直りしたら復縁することが起こるのだろうか。あるいは、知らないうちに離婚の立会人になっているかもしれない。またまたで恐縮だが、ひょっとすると、上川法相が知らないうちに「離婚して」、知らないうちに「離婚していた」菅首相と「結婚していた」なんていうことを縁結びハッカーが行っていたら笑っちゃいそうだ。現実は小説より奇なり、という言葉があるが、そんなことが頻繁に起こると想像しただけでも楽しい。


 でも、やはり、結婚、離婚はひとつのけじめだ。記念でもある。区役所では結婚届を大晦日でも受け付けている。新夫婦の記念のためである。新婚の夫婦が2人揃って届け出ることも多い。記念のものだけに、やはり、三文判でもハンコのほうがよくはないだろうか。(常)