サンデー毎日にほぼ隔週で載っているルポ『シン・東京2020』は、毎日新聞からウエブ・メディア「Buzz Feed Japan」を経て独立したノンフィクションライター・石戸諭氏の不定期コーナーで、今回、連載第13話にして初めてきちんと目を通した。まだ30代の若手筆者だが、ネット上の断片的な文章を見る範囲でも、ウエブ記事にありがちなメモ的なレポートでなく、文章表現にこだわって、ちゃんとした「作品」に仕上げようとする、“昭和的な指向”が感じられる。


 このコーナー、「東京ルポ」の体裁をとっているものの、中身は都内のいわゆる「地誌」ではなく、氏が取材したさまざまな事象や人物を、関係する地名に引っ掛けて自在に描くページになっている。たとえば前回の12話は、平河町にある自民党本部を訪ねた話から書き起こした「自民党総裁選」をめぐる話。その前の11話は「外苑前」と銘打って、元ミュージシャンの営む個性派の紳士服店を取り上げた。


 今週号は「池袋」。といっても、この土地はたまたまイベントの開催地だっただけだ。クラウドファンディングによるドキュメンタリー映画のPRイベントで、協力者となった石戸氏はこの映画の主人公・東北出身のトモヤ君が歩んできた凄惨な生い立ちをルポにして描いている。本格的な取材者という関わり方でなく、あくまでも映画宣伝の一環でセットされたインタビューと思われるが、それでも、このトモヤ君という青年が述懐する父親の暴力や、東日本大震災による家族崩壊の内実があまりに生々しく、不遇な境遇にいる現代の若者の苦しさが、ひしひしと伝わる良質のルポに仕上がっていた。


 同じ号のサンデー毎日では、青木理氏がコラム『抵抗の拠点から』で、ある政治部記者の言を引く格好で、官房長官時代の菅首相が、「権力」について「重荷に感じるか、快感に思えるか」と漏らした逸話に触れている。似た話は、立憲民主党の有田芳生参議院議員も明かしていて、あるときエレベーターで一緒になった有田氏に、菅氏は「有田さん、権力というものは面白いものですよ」といたずらっぽく話しかけたという。


 さもありなん、と思える話である。横浜市議時代から市役所人事の細部にまで口を挟み、市政への影響力を獲得した、とされる氏は、たとえば官房長官時代には外交官の私的な会食での政権批判を伝え聞き、即座に左遷させてしまうなど、「壁に耳あり」的な情報掌握と人事を直結させ、官僚を服従させる術を確立した。反面、国家観や政治思想は希薄とされ、総裁選においても「国民のため」「当たり前のことを」などと、空疎な標語を示しただけだった。それでいて、組織を手練手管で動かすこと、本来は“手段”であるはずの行為に関しては、それ自体を「快感」「楽しい」と感じるタイプなのだ。


 前述の石戸氏も沖縄問題で強権的手法をとる菅官房長官が、故・翁長知事との会談中、歴史的経緯への理解を訴えた翁長知事に向かって、「私は戦後生まれなので、歴史の話をされても困る」と撥ね退けた逸話に触れている。新聞報道によれば、辺野古埋め立て問題で菅氏は「俺は決めたことはやる」と、メンツにこだわった物言いをしたとされる。長年の歴史的問題の解決という大局より、自分に従うか逆らうか、決着をつける「ゲーム」の感覚で沖縄と対面する。


 日本学術会議問題でも未だ公に明かさない指名拒否の理由が、結局は菅首相の人事支配への執着にあろうことは想像に難くない。ただ実のところ、このタイプには先人がいた。今週の週刊文春に『昔の子分を提訴し門前払い 小沢が生涯かけて挑む“証明”』という短信が載り、「批判者を徹底的に潰す陰惨な政治手法」という点で、安倍、菅両政権に先駆ける“元祖”は、小沢一郎氏であった、という見方が示されている。民主党時代、あるいはそれ以前を振り返ると、頷ける指摘だ。権力の掌握や行使そのものを徹底追求する「権化」であるほどに、政治闘争では強みを発揮するし、昨今は世界規模でこのタイプが目立ってきているが、それでも荒々しい強権政治に希望は見いだせない。米国の大統領選にも抱く思いだが、この手の統治者のリスクに、人々はもう少し敏感であってほしい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。