総合週刊誌の政治的スタンスを見てゆくと、新聞社系の週刊朝日、アエラ、サンデー毎日が左派リベラル、週刊現代も一時期まで似た路線で編集されていたが、現代と週刊ポスト(後者は元・保守系)の2誌に関しては、あまりに近年「シルバー雑誌化」し、ジャーナリスティックな記事がなくなったため、もはや右も左もない「ご隠居向けノンポリ雑誌」に変質してしまった。


 週刊文春は穏健保守。安倍政権の半ば以降、リベラル誌かと見紛うほど政権批判記事を載せているが、たとえば沖縄問題では、反基地運動に冷ややかな目を向けるなど、旧来の保守スタンスを維持している部分もある。おそらく文春そのもののポジションにさほど変化はなく、政権のほうが著しく右に寄ってしまったため、リベラル化したように映るのだと思う。


 ライバル誌の週刊新潮は、独自の道を行く。もはや保守系誌というより明白な右派雑誌になったと言えるだろう。連載の執筆陣を見ても、櫻井よしこ女史をはじめ日本会議等の右派論客ばかり、同じ新潮社でも書籍刊行のほうは、もう少し間口が広いのだが、雑誌のつくりはどんどん先鋭化、同業最右翼になっている。


 一方で、新潮の面白さは「自社スクープとなれば何でもあり」の変幻自在さを見せることだ。端的な例は、安倍首相に近しい元TBS記者・山口敬之氏による伊藤詩織さんへのレイプ疑惑の報道で、氏の逮捕がまさにその寸前、警察上層部の“ツルの一声”で見送られた内実まで暴いてみせている。テレ朝女性記者の訴えから財務事務次官のセクハラを追及し、辞任にまで追い込んだスクープも記憶に新しい。


 平常運転の新潮なら、女性の人権や性暴力など見向きもせず、むしろこれを冷笑するスタンスをとるのが当たり前。政権に絡んだ疑惑だと、追及する側を敵視して政権を守る側に立つことが多いのだが、上記2例はあくまで新潮編集部が独自に暴いたネタであり、そうである以上、“新潮らしからぬ正義感”で真逆のスタンスをとる。スタッフ一人ひとり価値観のバラつきが大きいためなのか、それとも「派手な記事、売れる記事なら何でもあり」という文化の雑誌なのか。私には、後者のように感じられる。こうして食らいついたなら、日頃の論調との「チグハグさ」など、一向に気にしない。


 今週の新潮スクープ記事『「第二の森友事件」!「菅総理」タニマチが公有地でぼろ儲け』を読んで、改めてそう痛感した。新首相に肉迫する“らしからぬ疑惑追及記事”なのだ。同じ右派雑誌でも、月刊誌の『正論』や『Hanada』『WILL』などは、決してこのようなマネはしない。


 記事によれば、神奈川県は県警職員の宿舎跡地を一般競争入札で売却する方針だったのに、菅首相と深いつながりを持つ横浜のパチンコ業者が買い取りを申し出ると、一転してこの業者に随意契約の払い下げを決めた。しかも県は業者に要求されるまま、総額4億5700万円の土地代から6900万円分を値引き。そればかりか、「保育所及び学生寮建設」という用途に限定した払い下げだったはずなのに、業者は土地入手後、即座にこれを転売、県はこの契約違反をも事後承認してしまったという。


 県から次々と譲歩を勝ち取ったこの業者は、交渉の席で何度となく、菅氏との関係を強調しゴネ続けたらしい。菅事務所の介入も疑われる流れだが、仮にそれが一切ないとしても、“大物の後見”をちらつかせ、行政の忖度を要求する、この構図は新潮記事が書くように、森友事件と瓜二つだ。新潮の“らしからぬ追及”の続報に期待したい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。