世界中が新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への対応に明け暮れた2020年もあと2か月。米国では11月5日に1日の新規感染者が10万人を超えた。人口100万人あたりに換算すると1日の感染者は271.24人(日本は5.63人)、死亡者は同2.60人(日本は0.07人)だ(Our World in Dataによる)。世界トップクラスの公的研究機関、製薬企業、アカデミアが揃っていながら惨憺たる状況だが、患者の状況に合わせた治療を見極めるための臨床試験は着々と進められている。


■臨床試験の限られた資源を有効活用


 2020年4月17日、米国国立衛生研究所(NIH)と同財団(NIHF)は、「Accelerating COVID-19 Therapeutic Interventions and Vaccines(ACTIV)イニシアチブ」と称する構想を発表。官民のパートナーシップに基づき、最も有望な治療薬やワクチンの開発加速に取り組み始めた。


 その背景には「通常のやりかた(business as usual)」では対応しきれないという切迫感がある。未曾有の危機に対し治療薬やワクチンの開発が怒涛のように進められる中、臨床試験によっては十分な数の参加者を集められず成立しない例があった。また、COVID-19の診療を行いながらの試験は医療従事者の大きな負担になる。そこで、試験デザインを合理化し、規制プロセスとの調整を図りながら、試験する薬剤・研究者や参加者・医療従事者、既存の臨床試験ネットワークといった「臨床試験の資源」を有効に活用する必要があった。


 イニシアチブには多くの組織・企業等が関与している。具体的には、米国に公衆衛生上の危機が生じることが予見されるときに必要なワクチン・医薬品・治療法の開発・購入等にあたる生物医学先端開発局(BARDA)をはじめ、疾病予防管理センター(CDC)、食品医薬品局(FDA)、国防総省(DOD)、退役軍人省(VA)、さらにトランプ大統領肝いりのワープスピード作戦(OWS)、欧州医薬品庁(EMA)、アカデミアの代表、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を含む慈善団体、製薬企業などだ。


 体制としては官民の共同議長とメンバーからなる実行委員会のもとに4分野のワーキンググループがあり、役割分担している。



 ACTIVの枠組みで優先的に治療薬の臨床試験が進んでいる分野は5つある。直近では10月16日に免疫調節薬(immune modulator)の試験「ACTIV-1 IM」が開始された。この試験ではサイトカインストームを抑えることで、成人入院患者における人工呼吸器の使用減少や入院期間短縮が得られるかを検討する。


対象は130以上の候補薬から、「COVID-19治療に適用する価値があるか」「炎症反応やサイトカインに使えるという強いエビデンスがあるか」「大規模臨床試験を行える薬剤量を確保できるか」などに照らして、インフリキシマブ(レミケード)、アバタセプト(オレンシア)、セニクリビロク(CVC)の3剤に絞り込まれた。


試験の記述は「アダプティブ・デザインのマスタープロトコールを使用したプラセボ対照無作為化比較試験(a randomized, placebo-controlled trial that uses an adaptive master protocol)」となっている。



■複数の薬剤を1つの臨床試験で評価


「アダプティブ・デザイン」は、臨床試験の継続中にその中で蓄積されているデータに基づき、試験デザインに変更を加える方法だ。ただし、「アダプテーション」とは、臨床試験の価値を高めることを目的としたもので、不十分な計画の救済措置ではない。その条件として、「試験の妥当性を損なわない」よう正しい統計的推測やバイアスの最小化等を行うこと、「インテグリティ(完全性)を損なわない」ために多方面の科学の専門家に説得力のある結果を示すことが求められる。


従来型の固定デザインでは治療法や疾患ごとに独立した試験を行う。一方、「マスタープロトコール」は複数の仮説の評価を行うため、1つにまとめた包括的プロトコールで、「ACTIV」の5試験ともに作成されている。「マスタープロトコール」には複数のタイプがあるが、「アンブレラ(傘型)試験」では、単一または共通化できる疾患に対して複数の薬剤や治療法を評価する。「ACTIV-1 IM」の場合は、全員に現在の標準治療であるレムデシビルの投与を行い、免疫調節薬3剤またはプラセボのいずれかに無作為に割り付ける。今後の中間解析で有用性が示されなかった薬剤は、検討対象から外されることになる。



■適切な対象の明確化によるメリットも


「ACTIV-1 IM」の3剤は米国においてCOVID-19以外の効能・効果で承認済みまたは開発中だが、「ACTIV-2」と「ACTIV-3」で用いられるイーライリリーのバムラニビマブ(bamlanivimab、開発コードLY-CoV555)はCOVID-19をターゲットとした未承認の薬剤だ。同剤は新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のスパイク蛋白を標的とするIgG1中和モノクローナル抗体で、ヒト細胞へのウイルスの結合と侵入を防ぐことが期待されている。


 同社は独自の臨床試験として、「BLAZE-1(第2相、軽症~中等症患者対象の治療)」、「BLAZE-2(第3相、濃厚接触リスクがある施設入居者・従業者での予防)」を行う一方、ACTIVイニシアチブで国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)をスポンサーとする「ACTIV-2」「ACTIV-3」を2020年8月に開始した。また10月7日には、「診断されて間もない、高リスクの軽症~中等症患者」を対象にFDAに緊急使用許可(EUA:Emergency Use Authorization)を申請した。奇しくも同日、リジェネロンが、トランプ大統領に「人道的使用(Compassionate Use)」された抗体カクテルREGN-COV2についてもEUA申請している。


「ACTIV-3」は12日以上にわたり症状がある18歳以上の入院患者が対象で、「ACTIV-1 IM」と同様、全員に標準治療であるレムデシビル投与を行う。そのうえでバムラニビマブ(高用量:7,000mg)またはプラセボに無作為に割り付け、安全性を評価するともに肺症状その他の合併症の経過や回復までの日数等を調べる。検討の結果、独立したデータ安全性監視委員会(DSMB:data safe monitoring board)が10月13日に新規登録の中断を指示。10月26日には、有用性が認められないとして中止になった。その理由についてイーライリリーは、「バムラニビマブの他の臨床試験に比べて、対象が重症で罹病期間が長く、レムデシビルの投与など他の治療も受けているため、明らかなベネフィットが得られなかったのだろう」との見解を示している。


 一方で、外来患者を対象とする「ACTIV-2」は継続中だ。さらに、「ACTIV-3」中止からわずか2日後の10月28日には、連邦政府に700mgのバムラニビマブ30万バイアルを3億7,500万米ドル(約389億円)で供給する契約を締結したと発表。また、米国内の需要に応じて2021年6月末までに同じ条件で65万バイアルを連邦政府に供給する基本合意に達したという。


1バイアル1,250米ドル(約13万円)相当だが、デイブ・リックスCEOは、中和抗体によって転帰が好転し、入院を含むCOVID-19のコスト・国民ひとりあたり推定22,000米ドル(約227万円)を削減できれば「社会的価値がある」とコメントしている。


 EUAが認められれば患者の自己負担はゼロ、医療機関は一部管理費用が発生するとされる。トランプ大統領が10月初めの退院後に「私はあなた方(国民)に私が受けた治療を提供したい。無料で、だ」と述べたときにはあきれたが、全くの嘘ではなかったらしい。ただし、このまま感染拡大が続けば100万バイアルでも焼け石に水だ。


 日本国内のCOVID-19第一波に対する対応は、「泥縄だったけど、結果オーライだった」とか(「新型コロナ対応民間臨時調査会調査・検証報告書」に記された官邸スタッフへのヒアリング)。しかし、前例のないパンデミックは、1つの「特効薬」やワクチンだけで解決できない。多くのパートナーを巻き込んだ戦略的かつ合理的な取り組みが必要だ。


【リンク】いずれも2020年11月5日アクセス

◎NIH “Accelerating COVID-19 Therapeutic Interventions and Vaccines(ACTIV)”

https://www.nih.gov/research-training/medical-research-initiatives/activ


◎日本製薬工業協会.「21世紀の臨床開発を支える新しい技術(3)アダプティブ・デザイン」

http://www.jpma.or.jp/about/issue/gratis/newsletter/archive_until2014/pdf/2011_142_03.pdf


◎Eli Lilly and Company. “Updates: Lilly's Global COVID-19 Response.”

https://www.lilly.com/news/stories/coronavirus-covid19-global-response


[2020年11月6日現在の情報に基づき作成]

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本島玲子(もとじまれいこ)

「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。

医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。