「大阪都構想」の是非を問う2度目の住民投票は、再び否決された。票差は1万7000票という僅差だった。橋下徹氏が大阪市長だった5年前の2015年はわずか1万票の差で否決されている。当時はマスコミが大報道し、おかげで投票率は66.83%と高かった。今回の投票率は62.35%と4.48ポイント低くなっている。
世界中がトランプかバイデンかと固唾を呑む米大統領選挙の動静に注目している。そんな最中に都構想の是非を問う住民投票をするというのはどんなものか、という気がする。大阪市民も「またか」と思ったり、「もうどうでもいい」と感じたりした人も多かったのではなかろうか。投票率が5年前より低かったのはそんな事情があったのではなかろうか。
首都圏に住む人間としては、大阪府が大阪都になろうが、あまり関心はないが、それでも2度目となれば当然、投票率は下がるだろうし、大阪市民の関心も薄れるだろうし、加えて、今回は公明党が大阪維新の会に同調して賛成に回ったことで、ひょっとすると、賛成が上回るかも、と注目した。だが、結果は「ノー」だった。しかも、5年前と比べて投票率が下がったのに、差は前回同様に僅差とはいえ、反対票が7000票も増えたのには正直、驚いた。大阪に都構想はいらない、という市民の確たる意思表示だろう。
それにしても、なぜ大阪都構想なのかよくわからない。5年前の当時の橋下市長も現在の吉村洋文大阪府知事、松井一郎大阪市長も「二重行政の無駄をなくす」と訴えているが、いまひとつピンと来ない。確かに橋下氏が知事、さらに市長になった頃は府と市の間で二重行政があって、無駄が問題だったのだろう。だが、それは大阪だけの問題だったのではなかろうか。
大阪市より人口が多くなった横浜市でも、その隣で、やはり政令指定都市の川崎市でも神奈川県との間で二重行政があって問題になったという話はあまり聞かない。京都市でも福岡市でも府や県との間でそんな話が問題視されたことがないような気がする。自民党大阪府連と維新の会との対立があるためなのか、と考えてみても、そんな政党同士の対立があるためだなどという話もあまり聞かない。
実際、政党の対立なら、愛知県では知事は自民党だが、名古屋市長は民主党出身だから喧嘩になってもよさそうだが、二重行政の問題が起こったという話は聞かない。聞こえてきたのは、あいちトリエンナーレで、民主党出身の市長が慰安婦像や天皇の写真を焼く絵を展示したことに「許せない」と憤ったのに対し、自民党の知事が「表現の自由だ」と主張したことくらいだ。府と市の二重行政問題というのは大阪だけの問題だったのではないだろうか。
かつて経産省出身者が大阪府知事に立候補したとき、マスコミはこぞって女性知事が誕生するか、と話題にした。おかげで彼女は当選するのだが、実はこのとき、経産省内では「よりによってあんな女性が」と絶句。当選させないでくれ、と祈っていた。この選挙の最中にマスコミ出身で政府委員を務めたこともある識者が大阪に飛び、対立陣営の応援をしたことがある。なぜ反対陣営を応援したのですか、と訊いたら「経産省の幹部から、なんとかしてほしい、と頼まれたんだよ」と笑いながら言っていた。なんでも件の女史は大酒飲みのうえ、男をくわえ込むような人だという。経産省のトップも彼女を中央に置くのは好ましくないという判断から“栄転”という名目で地方の通産局長に異動させた。
ところが、新聞・テレビが「女性局長の誕生」と囃した。挙句の果てに知事選に立候補。「大阪に人がいないわけではないのに、よりによって、なんであんな人物を立候補させたのか。経産省の恥だ、と、反対側の応援を頼まれたんだ」と語るのだ。当時はまだ維新の会もなかったから、自民党大阪府連は人物を精査しなかったのかもしれない。
橋下氏が維新の会を立ち上げ、政治に乗り出したとき、自民党府連は反橋下を旗印に二重行政を行い、維新の会に嫌がらせをしたのかもしれない。だが、もうそんな時代ではない。維新の会の登場で、よくも悪くも市民が府と市の行政の中身に目を光らせている。結果、府と市の間の二重行政問題はあまりないのではなかろうか。今さら二重行政問題の解消を訴えても市民はついて来なかったのだろう。
橋下氏も松井知事もそうだが、とにかく大阪人は東京都を意識し過ぎる。承知の人も多いだろうが、東京もかつては東京府であり、その下に東京市があった。戦後残っていた私の父親名刺には「東京府東京市神田区……」と書いてあった。それが東京都に変わったのは戦時中の1943年である。変えたのは東條英機首相で、戦争遂行のためだと言われている。東条内閣は大本営の指示通りに実行させるために東京府、東京市を廃止して東京都に変えたのだ。
今日では差別語で使ってはいけないのだが、敢えて当時の言葉を使わせてもらうと、戦後、大人たちは東京都のことを「東条がつくった奇形児」なんて言っていた。要は都制とは政府の言うことを素直に聞く自治体にするための方便だったのである。
戦後、日本を支配したGHQ(連合国軍総司令部)は日本の民主化に力を入れたが、東京都のことなど手が回らなかったのか、それとも、GHQの指示を徹底させるのに好都合だったのか、東京都制度は戦時中のまま残った。そんな都制に倣って大阪が「大阪都」に変えようというのは、どうにも馴染みにくい。
有能な橋下氏は現状には詳しいが、若いだけに都制ができたいきさつなどご存知なかったのだろうなぁ、と思うしかない。あるいは、都構想にノーを付きつけた大阪市民のほうが賢かったということになるのだろう。
自治体論から言えば、東京に次ぐ規模で、商都でもある大阪市を大阪府と同等の存在にすべきなのではなかろうか。府は大阪市を除く各市町村行政を行い、大阪市は大阪市内すべての自治行政を行う存在であるべきなのだ。例えば、ドイツの地方自治は15の州にベルリンとミュンヘンが特別市となっている。日本が道州制ではないこともあるが、大阪市が府の下ではなく、同等の特別市に格上げすることのほうが正しくはないだろうか。むろん、東京都も都ではなく、23区で構成される東京市に戻し、特別市にすべきなのだろう。といっても、今、東京都民は特別の響きがある「東京都」の名前に愛着を持っているから、戦前の東京市に戻すのはもはや無理だろう。47都道府県を道州制にでもしなければ、東京と大阪を特別市扱いにはできそうもない。
話はずれるが、バブルの頃、週刊誌の編集部内で、同僚との間で何かの話から「大阪の人は東京に対抗心を持ち過ぎだ」という話に移ったことがある。同僚は「昔から東京に住んでいた人はほとんどが土地建物を売却して隣接県に移住している。今の都民のうち、昔から東京に住んでいた人はせいぜい1割程度だろう。9割は地方から移住した人ばかりだよ」と笑っていた。落語では「三代住めば、江戸っ子」というが、これは地方と違い、三代住んだだけで簡単に江戸っ子になれる、という意味である。地方だったらこうはいかないだろう。
ともかく、自治体のありようほど難しいものはないが、大阪都構想の是非の住民投票で投票率が下がったといっても、2回にわたり6割を超える市民が投票したということは、いかに大阪の市民が大阪市に誇りを持っているかを示したと言えるのではないか。ならば、都構想など無用ではないか。(常)