日本が国際社会と付き合っていくうえで、最も厄介な、困惑する国は、お隣の韓国ではなかろうか。在日の人は長く住み、日本の風習や考え方を知っている、あるいは、不満があったとしても我慢しているからほとんど問題にならない。観光で日本に来た人たちは親日的な人、興味を持つ人が多いせいかもしれないが、日本人、日本の立場をわかってくれているように見える。


 だが、韓国国内では反日的な動きが絶えない。韓国では大統領が保守と革新で交互に入れ替わることが多い。保守派の大統領が登場すると、比較的親日的になり、進歩的というか革新派の大統領に替わると、途端に反日的な面が色濃く出る。クーデターで大統領に就任した全斗換氏は戦前、日本の士官学校を卒業した軍人だったから親日的な態度があったようで、以来、保守派の大統領は親日的であったのだろう。


 加えて、儒教が生活に深く根付いている韓国では一族の結束があるためなのだろう、大統領は清廉潔白であっても一族のなかで従兄弟、叔父、甥といった親族が「大統領の一族」という立場を利用して汚職や利権を手にする者が現れ、大統領が替わると、新大統領は前大統領時代の不正を暴き、挙句の果てに大統領の犯罪として処断されている。自殺した元大統領もいれば、刑務所に送られる元大統領もいる。あるいは私財を没収され、隠遁生活を送ることで刑務所行きを免れる大統領もいた。


 前大統領が親日的であれば、次の新大統領は反日的な態度になる。前大統領を否定するためなのかもしれないが、日本にとっては大迷惑である。もちろん、革新派の大統領でも端から反日的というわけではない。金大中氏がそのいい例だ。彼は野党時代に韓国から脱出、アメリカで生活し、その後、日本に来て韓国に戻り、大統領選挙に打って出る予定だったらしい。ところが、東京・九段のパレスホテル滞在中に韓国のKCIA(韓国国家情報院)が金大中氏を拉致するという事件が起こった。拉致には韓国大使館も加わっていたことも判明。日本国内では新聞はもちろん、週刊誌も「主権侵害だ。元に戻せ」と主張し、国内世論は沸騰した。


 親韓国の態度をとる日本政府も困惑した。が、事件はアメリカの仲介もあり、現状追認で収束した。その金大中氏が大統領になったときは、拉致事件を追認しただけに日本政府は大いに困惑した。しかし、金大中氏は前向きな人だった。昭和40年代に国交回復した日韓基本条約の交渉経過を公開。中身を精査させ、問題がないと判断し、未来志向をすべきだと主張した。アメリカに逃れ、日本に滞在したりした苦難の経験から広い視野を持つようになったのだろう。だが、彼の次の大統領からはまた元に戻って、親日的、反日的の繰り返しになってしまった。そのうえ、韓国国内で政治問題が起り、騒ぎが大きくなると、反日を主張して問題をすり替えるために利用する。


 反日の根本にあるのは戦前、朝鮮が日本の植民地にされたということにある。日韓の間で何か問題になると、「植民地時代の責任を取れ」「37年間の借りを返せ」ということになる。韓国に進出した企業は多いが、日韓問題が起こると、工場を占拠して日本の謝罪と補償を要求する。なかには賃金の安い中国に移転しようとか、景気が悪いから撤退しようとする企業の場合、閉鎖反対の立場から残務整理をしていた日本人が人質にされたということも起こった。そんな1人に話を聞いたら「植民地時代ならまだしも、豊臣秀吉の朝鮮征伐を持ち出し、その弁償をしろ、と言われたのには驚いた。もう400年以上も前の話を持ち出されても答えようがない」と嘆いていた。


 中国や韓国からの撤退のアドバイスをしていたコンサルタントによれば、「撤退に追い込まれた場合は日本人従業員の身を守るために、機械設備を残すことで帰国させるしかない。最初は大企業が経験し、次は中小企業がこうした憂き目を味わっているのに、それでも進出する企業が跡を絶たない。進出する企業は教訓をちっとも生かしていない」と憤慨していた。


 こんな風に大統領の交代に合わせて10年ごとに日韓問題が起こる。昨今、起こっているのは徴用工問題だ。周知のように、韓国の最高裁が徴用工の訴えを認め、日本企業に対する損害賠償請求を認めたことから起こっている。文在寅大統領は「三権分立だから干渉はできない」と言っているが、最高裁判事は文大統領が地裁の判事を一足飛びに最高裁判事に任命したのだから始末に悪い。


 そもそも日韓の間では日韓基本条約が結ばれている。徴用工への補償を含めて日本は無償有償5億ドルの補償を支払うことになった。今日からみれば、5億ドルなぞ大した金額ではないように見えるが、当時は1ドルが360円の固定相場の時代であり、大卒の初任給が2万円くらいだったから巨額である。日本は一度に払えず、数年に分けて支払っているほどだ。今日の価値にすると、1兆円くらいになるとも言われている。当時の韓国の国家予算の1.7倍くらいに相当する。


 ちなみに、この賠償は朝鮮半島の半分に対するもので、北朝鮮と日本が国交を回復した場合、北朝鮮に同額を支払うことになっている。北朝鮮にたびたび入国し、朝鮮労働党幹部と親しかった知人にこの話をしたら、即座に「1兆円くらいになるな」と計算していた。


 そもそも国際的な取り決めでは、国家間で結ばれた条約を最高裁といえども否定するようなことは起こってはならないことになっている。韓国に最高裁が国家間の条約を否定する判決を出してはいけないのだが、それをやってのけたことが大問題である。


 かつて日本で東京・砂川町(現立川市)の砂川基地闘争で在日米軍基地の適法性が争われ、東京地裁で違憲という判決が出た。いわゆる「伊達判決」である。このとき、日米安保条約が憲法違反ということになりかねない、と政府は最高裁に上告した。アメリカ側も心配して政府に働きかけ、政府は最高裁長官と極秘に協議。結果、最高裁判決は一審判決を破棄、判断は司法に馴染まない、という判決を出した。


 安保条約のほうを優先する姿勢を示したと言える。もちろん、首相が最高裁長官と会談し、係争中の事案について話し合うなどということは異例なだけでなく、問題行為である。基地建設を急ぐため、高裁に控訴すべきところを最高裁に上告したのだが、おそらく高裁で審理したら伊達判決を破棄し、条約を優先するか、裁判に馴染まないと判断を回避する判断を示したはずだ。政府寄りの判決が出ただろう。むしろ、政府は米軍の意向に沿って最高裁判決で覆そうとしたため、司法上の汚点を残した。


 しかし、それほど国家間で結んだ条約を国内の裁判所が判断してはいけないのだ。そんなことをしたら国家間の信頼が失われる。日本政府は「ボールは韓国側にある」と言っているが、韓国国内の問題である。


 そもそも日韓基本条約は戦後処理のひとつである。中身は戦前の植民地による韓国人(個人)への補償問題に加え、戦後、日本がGHQ支配下のときに韓国の李承晩大統領が日本と韓国の中間に「李承晩ライン」を勝手に引き、そのラインを超えた日本漁船を拿捕していた問題などの解決を図り、国交回復する目的である。アメリカもソ連との冷戦に対応するため日韓の国交正常化を強く要求した。


 日本国内では60年安保以来の大きな騒ぎになった。当時、筆者は大学生だったが、学生運動の盛んな大学で、昼休みともなれば、活動家がハンドスピーカーで「日韓条約反対」をがなっていたほどだった。筆者のいた専修科には共産党系も革マル派も中核派など目立つ活動家が少なく説得しやすいと見たのか、あるとき、革マル派の活動家が突然現れ、日韓条約反対の演説を始めたことがある。ヘルメット姿の活動家もいて、「日韓条約反対の決議をしろ」と説得に来たのである。


 革マル派の演説が一段落したとき、旧友のS君が突然、立ち上がって「日韓条約に賛成だ」と言い出した。S君はいわゆるノンポリで、政治活動などしない。大学に来るときも正門前で、左に曲がり麻雀屋に直行するような人である。立ち上がったS君は「山口県の日本海側の町の出身だ」と言い、地元の漁民は李ラインに泣かされている。韓国は勝手に公海である日本海に線を引き、そこを超えた地元の漁船を拿捕し、魚だけでなく漁船を没収するばかりか、100万円を払わなければ、乗組員である漁師を解放してくれない。


 船主である網元の家には毎日、乗組員の奥さんやお母さんが来て、「なんとかなりませんか」と詰め寄る。網元は漁がなくても乗組員の家族の生活費の面倒をみなければならない。政府は何もしてくれないから、網元は銀行に泣きついて漁船の建造費の借金に加えて、乗組員を解放してもらうために“賠償金”を貸してもらうしかない。解放までの時間も1ヵ月はかかる。みんな漁民は泣いている。たとえ、巨額のカネがかかっても日韓条約が結ばれれば、漁民が拿捕され、収容所に押し込まれることがなくなる。だから、日韓条約が結ばれるのは賛成だ、ということを涙ながら語り出したのである。


 日韓条約反対の決議を取りに来た革マル派の3人はS君の話が終わると、何も言わず、そそくさと帰って行った。S君の涙ながらの現場の訴えは、角材にものを言わせる革マル派に勝った瞬間だった。


 韓国が主張する植民地時代の賠償要求だけでなく、日本側にとっても切実だった。「戦勝国だ」と称する韓国が勝手に引いた李承晩ライン撤廃問題は日本側の要求だった。交渉は韓国側が「今はそっとしてくれ」と要望した従軍慰安婦問題を除き、両国が要求すべきものは要求して解決した国際条約である。問題は徴用工など個人に対する補償金を韓国政府が個人に補償せず、国家予算として使ってしまったことにある。補償金を国家が使った成果が「漢江の奇跡」である。国家予算の約2倍の資金を産業振興に使ったのだから経済成長するのも道理である。個人への補償金を韓国政府が勝手に使ってしまったのに「徴用工問題で日本に賠償金を支払え」などというのは身勝手な言いがかりでしかない。


 それでも韓国内では反日感情が強い。正直に言えば、日韓は仲よくなることはできないだろう。かつて20年も経てば日韓は仲よくなれると言ったことがある、20年というのは韓国を植民地にしていた時代を知っている人、さらに戦後、在日韓国人の“戦勝国人”としての振る舞いを知っている世代が全員亡くなれば、両国民の問題は自然消滅するだろう、という考えだったからだ。


 筆者は終戦時の生まれだから、植民地時代のことは知らない。人から聞いたり、本で読んだりした知識しかない。日本人のなかには当時は韓国人も同じ日本人だったという人もいるが、韓国人から見たら日本人にイジメられた、バカにされた、虐待されたということになるだろう。韓国人の言い分のほうが正しいと言うしかない。植民地とはそういうものだ。


 ところで、こんな経験をしたことがある。週刊誌時代に突然、岡山県の林原という会社の広報課長が訪ねてきたのである。2~3年前に、同社のことを「水飴屋がなんと医薬品の開発をしている」という記事を書いたことがある。それしか縁がないので首を傾げながら会うと、広報課長氏は「林原のことを知ってもらいたくて来た」とパンフレットを渡してきた。彼はパキスタン人で、都立新宿高校を卒業し、国立大を卒業したという。


 話が進むと、なんと「母国のパキスタンはイギリスの植民地でなく、日本の植民地だったらよかったのに」と言うのである。びっくりして「そんなことを言うもんじゃない。植民地主義はよくないことだ」と窘めたが、彼の言い分は、イギリスは少数民族を使う間接支配で植民地の人間には教育をしない。パキスタンは戦後、独立したが、教育を受けていないから読み書きできない人が多く国が発展しない。それに比べ、日本の韓国支配は韓国人に教育をしているから経済発展ができる、というのだ。


 私は教育といっても、日本人が8時間働いているのになぜ同じように働かないのだとぶん殴り、算数を明日までに覚えなければ殴ったりしたのだ、と説明したのだが、彼はそれでも何もしないで放って置かれるよりマシだ、という。植民地支配を受けた国民には我々が知らない、気付かない見方があることを教えられた。


 イギリスやフランスが行った間接支配に比べ、日本が行ったような直接支配は支配された国民から恨みを買う。日韓の植民地問題には直接支配された国民からの恨みが強い。恨みを持つ人たちの世代が、恨まれる立場の世代がみんな鬼籍に入れば、日韓は仲よくなれる可能性があるだろう。


 もうひとつ、終戦後数年間の日本人の韓国人に対する反発問題がある。日本人はもともと辛かったことを口にしない。子供たちに惨めだった経験は感じさせない、という思いもあるし、思い出すのも嫌だという感情もあるせいだろう。それに高度成長を遂げ、先進国になったことで忘れたということもあるだろう。


 こんな経験がある。物心ついた頃だから2歳くらいだろうか、ある日、家の前にいると、リヤカーを引いた見かけない大人が向かいの家の前に止まり、留守の家の庭に入ってトタンを数枚、リヤカーに乗せて去って行ったのだ。母に「あれは泥棒だよ」と言ったら、母親は「放って置きなさい」と取り合わない。交番に行き事情を話したが、わかった、わかった、というばかりだった。夕食時にその話をすると、父親も母親も何も言わない、すると、兄が「第三国人だよ」といって大笑いする。私は第三国人と言われてタコのような火星人を想像した記憶がある。


 今日、第三国人と言うと、差別だ、とされてしまうが、日本とアメリカの戦争当事者以外ということで第三国人と呼んだ。それから数年後“銀座警察”が活躍した。銀座には警察署はない。銀座を管轄するのは少し離れた築地警察署だ。銀座に限らないのだが、繁華街で韓国人の不法占拠が相次いだ。「俺たちは戦勝国だ」と言い張り、日本人は手出しができない。GHQ支配下の日本では不法占拠を訴えても警察は動いてくれない。動こうものならGHQから大目玉をくらいかねないからだ。


 それに対して銀座を縄張りにする暴力団が実力で韓国人の不法占拠を追い出したから市民が喝采を送り、銀座警察と呼ぶようになったのである。第三国人という言葉は差別ではなく、差別された日本人が昨日まで同じ日本人だったのにと思う韓国人に対しての恨みの言葉である。進歩的というのはいいことだが、事実を知らないまま差別言葉だなどというのは大きな間違いである。


 それはともかく、この戦後の第三国人の横暴ぶりを知っているのは今では70歳代の高齢者である、この高齢者が鬼籍に入るようになれば、終戦直後の韓国人への偏見を持つ日本人はいなくなる。戦後75年だが、もう10年も経てば、韓国人の日本に対する恨みも、日本人の韓国人に対する偏見を持つ人がいなくなり、日韓両国は仲よくなれるだろうと思っていた。


 だが、それは違ったようだ。理由は教育である。日本では小中高校の教科書で反韓国感情を煽るような記述はない。そういう教育もしていない。しかし、韓国では今でも植民地時代の日本による暴虐ぶりを教科書で記述、教えている。「過去は過去」というわけにはいかないようなのだ。教育は50年後にも影響を与える。反日教育を受けた韓国人には未来志向を説いても反日感情は抜けない。


 いま、韓国では反日教育を受けた若者たちが従軍慰安婦問題、さらに徴用工問題で“活躍”している。日韓基本条約の中身と交渉の経緯を説いても受け付けない。理性ではなく、反日教育による思い込みの感情だから取り除くことはできない。韓国の反日教育が変わらない限り、日韓が仲よくすることはできないだろう。近くの親戚でも遠い存在である。(常)