後期高齢者の医療費窓口負担を1割から2割に引き上げることが政府と与党間で決まった。政府は負担引き上げ対象を年収170万円以上(対象人数520万人)を計画し、与党の一角である公明党は240万円以上(対象人数約200万人)を主張していた。菅義偉首相は自民党幹部に「譲ることはまったくない」と言っていたそうだが、公明党代表と会談し、中を取って年収200万円以上(対象人数370万人)に譲り合って決着したという。「政府、公明党双方が歩み寄った」と新聞が伝えたが、なに、いつものように「足して2で割った」ものである。


 医療費負担を1割から2割に引き上げるというのは、一見して大したことには見えないが、実体は負担の倍増になる。負担増の理由は、毎年続く医療費の増加で、このままでは健康保険財政が持たない、ということが根底にある。医療費財政を健全化する方法のひとつとして、とりあえず後期高齢者負担を引き上げるということに尽きる。そのために声高に説明されたのが「世代間負担の格差」である。高齢者に恩恵が多く、若者の負担が大きい、という論理だ。年金支給年齢の引き上げのときにも、この論理が使われた。「今は6人の若者が老人1人を支えているが、10年後は4人で1人の老人を支えるようになり、20年後は若者2人で老人1人を支えるようになる」という説明だった。


 果たして、これは正しいのだろうか。ジャーナリストの性で、政府の言うことには常に一歩、立ち止まって、本当に正しいのかどうか、考える習慣がある。速報性を重視する新聞と違って、週刊誌の記者はそういう習性がある。記事を書くときにも、いったん取材原稿や資料から離れ、少し時間をおいてから書くようにしている。


 世代間負担の格差という論理が本当に正しいのかどうか、別の見方をしたら、どうなのか、という発想である。フランスで一昨年11月ごろから昨年末まで続いた「黄色いベスト運動」というのがあった。発端は燃料税の値上げに対する反対運動だった。フランスではトラックの運転手がトラックから離れるときは黄色のベストを身につけることを法律で義務付けていて、真っ先に燃料税引き上げに反対した運送トラックのドライバーが黄色いベストを着て反対デモを行い、デモに加わった農民は黄色いベストを着て耕運機を連ねたデモを行った。市民も黄色いベストを身に付け、デモに参加していた。


 マクロン大統領はデモのリーダーたちと話し合い、燃料税引き上げは小幅にとどめ収束を図ったが、この黄色いベスト運動は燃料税引き上げ問題だけでなく、他の政策にも波及した。そのひとつに年金支給開始年齢の引き上げがあった。日本では年金支給開始年齢の引き上げは2回ほど行われたが、このときも世代間の不均等が叫ばれたが、反対運動はほとんどなかった。


 ところが、フランスの黄色いベスト運動では、燃料税引き上げ反対に続いて年金支給開始年齢の引き上げにも反対していた。そのデモに30代、40代の人がかなり加わっていた。


 日本のテレビではデモの様子しか報道していなかったが、フランスの公共放送である「フランス2」がデモに参加している30代後半の人に「あなたには関係ないと思われるのに、なぜ反対しているのか」と質問していた。すると、インタビューを受けた人物は「毎月年金の積み立てを支払ってきたのに、10年先、20年先の年金給付を受ける年齢に達したときには支給時期が遅らされるため受給年数が少なくなる。年金支給開始年齢の引き上げは世代間の不平等の問題ではなく、若者が年金を受け取る年数を減らされ、若者が損をするという若者自身の問題だ」と答えていた。


 なるほどと思った。日本では政府の言う通り、若者の保険料負担が大きくなるという世代間の不公平を言い、マスコミもその通りに報道するが、フランスでは若者が年取ったときに自分が受け取る年金が減る、年数も減るという発想なのだ。


 日本と欧米では時として考えが逆のことがある。日本ではノコギリを引くが、欧米ではノコギリは押すものだし、日本では荷車を引くのだが、欧米では荷車を押すという。その類と言ってしまえばそれで終わりだが、一体、どちらが正しいのだろう。


 後期高齢者の医療費負担引き上げは2022年度からだそうだが、いま75歳になった後期高齢者は2年後から2割負担になる。人の一生が平均寿命通りだとすると、75歳の高齢者が生きている年数はせいぜい10年である。すると、後期高齢者の負担が2割になるのは8年間に過ぎない。むしろ、2割負担を真正面から背負わされるのは73歳以下の人である。つまり、負担増を引き受けるのは10年先、20年後に後期高齢者になる今の若者世代ということになるのだ。「世代間の不公平感の解消」といって、現在だけを見るように仕向けているが、10年先、20年先の将来を見れば、実際に負担するのは若者世代なのである。フランス流に言えば、若者が損をする、という政策になる。


 こうした問題の根底は少子高齢化にある。30年前に問題にされたのに、政府は何も手を打たなかった結果だ。知られているように、かつてフランスは少子化が問題になった。が、フランス政府は少子化対策として保育園、幼稚園、小中学校の授業料の無料化や子育て支援に国を挙げて取り組んだ。その結果、少子化は止まり、逆ピラミッドがふつうのピラミッド型になり、日本のような少子高齢化問題にならなかったのである。


 だが、フランスの少子化対策というお手本があるにもかかわらず、日本は何もしなかった。そのツケが2度にわたる年金の受給開始年齢の引き上げになり、いま後期高齢者医療費負担2割引き上げにつながったと言える。


 そもそも、目下、新型コロナウイルスの感染拡大の真っ最中である。今年は新型コロナに明け、新型コロナに暮れたということになるだろう。旭川市と大阪市は自衛隊の支援を要請する状況だ。軍隊に支援を要請するということは非常事態である。いくら医療崩壊になりかねないといっても、軍が出動する事態は、もはや医療崩壊と言うべきだろう。なんとかもっているのは、医療関係者の犠牲的精神で支えているだけに過ぎない。そんな事態のなかで後期高齢者の医療費負担引き上げ、というのはどんなものなのだろう。なにか無責任すぎるような気がしてならない。


 毎年、医療費は1兆円増えるそうだが、団塊の世代全員が後期高齢者に達するのは2025年で、高齢者人数のピークは2035年と言われている。すると、2035年以降、医療費は減少に転じるはずだ。その後はどうなるのか。75歳以上の高齢者になると病気が増える。2035年後以降に後期高齢者になる現在の若者が75歳に達した後は医療費が減少に転じるのだから、後期高齢者の負担金は2割から1割負担に戻してくれるのだろうか。厚生労働省、財務省は2035年以降の医療費の見通しを是非とも語ってほしい。


 政治家はいつもキャッチフレーズを使う。とくに小泉純一郎首相時代、マスコミは「ワン・フレーズ」と評したが、キャッチフレーズが多かった。以来、キャッチフレーズが氾濫している。政治記者もわかりやすいから喜んで取り上げている。だが、本当に必要なのは、政府のキャッチフレーズをただ受け入れるのではなく、自分の頭で考えることだ。(常)