●友人ボクサーの蹉跌


 前回、沖縄の健康問題である、沖縄クライシスについて観察した。筆者の主観を繰り返せば、戦後から20世紀中の「長寿県・沖縄」のブランドが形成されていたのは、戦前から続いた「粗食」に大きな要因がある。前回は触れなかったが、これに加えて島人である人々が経済的に貧困ではあっても、精神的にはおおらかで経済格差に自覚的でなかったことも要因として挙げておきたい。


 これに対して、戦後の沖縄に生まれ、米国統治を経験した人々は、米国スタイルの食生活を取り入れる一方で、本土経済との格差を情報として得て、圧倒的なコンプレックスに遭遇したようにみえる。


 筆者は21歳からの1年間、返還前の沖縄から上京して私大に通いながらプロボクサーとしてのキャリアを積んでいた同年齢の友人とルームシェアしていたことがある。彼は自身の平常時ウェイトから7~8㎏少ない階級のボクサーだったが、試合の予定が組まれていない時期には、毎日500mlのコーラを2本飲み、大盛りのラーメンやサイズの大きなハンバーガーを食べていた(当時、米国の多様なハンバーガーチェーンが入り乱れて東京に進出していた)。


 筆者とその友人は、食品問屋で保冷車での配達のアルバイトをしていたが、彼の食生活は判で押したように変わらず、体重がみるみるうちに増えていくのがわかった。試合が組まれると、ほぼ1ヵ月をかけて減量する。その減量方法も野菜中心の食事にがらりと変え、水分をなるべく取らないという極端なもの。「沖縄で育ったときはこんなものだったから」と語っていたのが強い印象に残っている。試合が数日後に迫ってもリミットを切れないのがわかるとほぼ断食で、同居する筆者にわざと菓子を食べさせ、それをじっと見守るなどという減量法もした。唾液を出すのだ。


 プロボクサーとしてスターになりたいという信念もあっただろうが、当時、私が彼に感じたのは「食事」そのものに対する無関心であり、ボクサーは手っ取り早く郷里の家族に楽をさせたいという手段だということだった。彼は彼の親たちの世代の「粗食」も知り、育つ間に知ったアメリカンスタイルの飽食も身に着けた。今、考えると、後者のアメリカンスタイルも実は形を変えた「粗食」でしかない。


 彼は世界ランク1位まで行ったが、当時の世界チャンピオンは彼の挑戦を受けず、仕方なく階級を上げて挑んだ世界戦でノックアウト負けした。その試合は、テレビのゴールデンタイムで実況された。筆者は、そのときすでに医薬業界専門紙の記者になっており、リングに行くことはできなかった。彼が倒れてしまうと、テレビの前で呆然とし、泣いたが、彼は筆者には連絡もせずに沖縄に帰った。


 出稼ぎ感覚で返還前の沖縄から上京した彼は、持ち前の資質もあっただろうが、沖縄の「粗食」でプロボクシングの世界で頭角を現し、その粗食習慣が最後に彼のボクサー生命を奪った、と筆者は思う。せめて、がぶ飲みする大量のコーラを減らせ、と一緒に暮らしているときは何度も忠告した。「これは俺のスピリットなんだよ」とその度に彼は沖縄訛りで叫んで筆者を制した。


 彼を思い出すと、沖縄の「粗食」は旧世代型と新世代型に分かれ、今から50年前にはその2つの世代が同居していたことがわかる。そして、そこで新世代型の飽食が本土経済との格差を埋めているとの「錯覚」も生み出したのではないかと思う。実は、アメリカンスタイルの定型的なジャンクフードは、何度も言うが「粗食」である。沖縄経済が本土と早くに同等になれば、旧世代型粗食(アレンジタイプ)への回帰は早まり、沖縄クライシスは起きなかったのではないかと推量するのである。


●自己決定と自己責任の天秤


「健康主義」は、それそのものは悪くはない。しかし、沖縄クライシスでみられるように、歴史的、経済的素因の大きさに現代の「健康主義」は気がついていないか、無関心である。


 すなわち、健康はたいへん常識的だが医学の進歩の賜物ではない。最大の要素は、経済的問題と歴史的過程、環境要素が大きい。医学が健康を進歩させたという証拠は本当にあるのかどうか、いわゆる最近の「健康主義」批判はその根底に、医学や医療の手柄話に嫌気がさした挙句のものではないかということを挙げることができる。


 ペトル・シュクラバーネクは著書『健康禍』で、「医学」による健康の独占は人々から自律性を奪ったと語っている。「元来世代から世代へと伝えられてきた生きる知恵と死ぬ知恵は、忘れさせられ、失われた」という。沖縄の例は、もともと沖縄の「コミュニティの伝統と文化に埋め込まれた」(シュクラバーネク)人生のメカニズムであり、経済的価値観と健康主義が結びついたとたんに、沖縄クライシスに変換されたのではないだろうか。


 哲学者イヴァン・イリッチは、健康の概念を医学に委ねるべきではないとの「医学独裁説」を唱え、シュクラバーネクらの教科書となっている。


 一方で、2020年9月に邦訳が出されたミヒャエル・デ・リッダーの『わたしたちはどんな医療が欲しいのか?』で、リッダーは今後の健康を考える鍵として、以下の7つのポイントを示している。


1.より健康であるためにはもはや医療に頼ってはいけません!


このなかでリッダーは、医療は手厚ければ手厚いほど健康になるという方程式は間違った考えであり、専門家の間では常識だが、医師の間ではこのことの理解が進んでいるのはわずかしかいないとも語っている。その延長のなかで、リッダーは健康教育の不在と医師の無関心をあげている。


2.医療費の無駄遣い減らしてより公正な分配を!


 この主張は大方の健康教を説く医師には、「金儲け」という厳しい批判が付帯している。引用してみよう。「多すぎる健康アプリ、老人や介護が必要な人々への多すぎる処方薬、若返りと自己をできるだけ最適の状態にしておきたいという自己最適化幻想が渦巻いている時代を迎えて、健康は人生の手段であって目的ではないことが完全に無視されているように見えます。このようなわけで、大部分の医師にとっては、新しいパラダイムは願ったり適ったりの状況になっており、医師らの社会的な役割は著しく高く評価され、おまけに所得も増加しています」


①将来の医師には幅広い教養が不可欠

②将来の患者さんには自己責任が不可欠

③医療倫理と専門性は患者さんの信頼を得るための基本

④統合医療

⑤医療は「人間工学技術」ではない


 次回からは3番目以降をダイジェスト的に紹介するが、リッダーの説は本質的に現代の医療批判を「健康主義」の社会的観点との相克や錯覚から導き、説く内容が主流である。その意味では厳しく現代医学医療の批判ではあるが、健康をイデオロギーとして信奉する風潮を正面から非難しているわけではない。ある意味、医師や現代医療の「見直し」「改善」提言であり、医師の視点は重視されている。一方でシュクラバーネクは、エイズ感染患者や喫煙者の治療をしない「進歩的な医師」の存在をあらわにしながら、健康の自己責任論に厳しい批判を示している。


 医師が「健康主義」の使徒になるとき、一体何が起こるのか。沖縄の例題に医療が何かなしえたかはまだ評価はできない。しかし、健康教育の重要さについて医師が旗を振り続けるなら、患者の自己決定権に対す医師への教育も損なわずに行わなければならないはずだ。少なくとも筆者は、若い日にともに暮らした友人の1日1リットルのコーラを「自分のスピリットだ」と叫んだ言葉に、自己責任と自己決定権の難しい天秤の傾きを思い描いてしまうのである。(幸)