東京都での1日当たりコロナ感染者数はついに17日、800人を超え、テレビでは連日、医療危機が報じられている。思えば2週間前の週刊新潮は「第3波は11月12日にピークアウトした」という専門家の談話を引き、コロナへの“騒ぎすぎ”を戒めたが、現実の展開はまるで違っていた。今週の新潮は『「コロナは煽っていい」「自殺は関係ない」ワイドショーの使命に自己陶酔 「玉川徹」の口にマスクを!』という記事のなかで、同じ専門家のこんな釈明を載せている。


「感染者がなかなか減らない理由の一つは、同じ第3波のなかの波、つまり第3の1波の終わりと、第3の2波の始まりが重なっているから。しかし第3の2波の高さは第3の1波より低くなると思われます」


 正直、何を言っているのか私にはよくわからない。それでも新潮は今週も「コロナは若年者にとってはただの風邪」という「関西の匿名開業医」の談話を載せ、飲食業者の悲鳴を強調するなどして、“騒ぎすぎのメディア”の代表格・テレ朝の玉川氏を吊し上げている。


 俯瞰して見れば、政府も専門家もメディアもさまざまにニュアンスの差はあれども、「医療」と「経済」のバランスを必要とする大枠では、似た認識にあるように見える。新潮の記事自体、開業医コメントに「若年者にとっては」というひと言を加えるなど、文中のあちこちで“逃げを打って”いる。玉川氏の言葉も、新潮記事のような切り取り方をすれば、「一方的断定」だが、実際の番組発言ではそれなりに“逃げ”を散りばめている。何にせよ、年の瀬に向け、重症者数・死者数とも状況の悪化は事実であり、新潮も「逆張りの独自路線」の度が過ぎると、いずれ“逃げきれない事態”に陥る危険性もあるのではないか。


 サンデー毎日では今週から『佐高信の新人物診断』という戦後の言論人を取り上げる新連載が始まった。初回の対象者は『悪魔の飽食』『人間の証明』などの著者・森村誠一氏。気がつけばサン毎は、左派系では最も硬派な誌面作りをする媒体になっているが、予算の制約がやはり大きいのだろう。生きのいい取材モノの記事はほとんどなく、往年の著名ライターに過去の蓄積で書いてもらう文章が大多数だ。それでも、ポストや現代がシルバーセックスやら懐かしき昭和アイドルやらで誌面を埋めるのに比べると、同じ「シルバー向け」でも社会や時代に斬り込もうとする姿勢を見せる分、私は読み応えを感じている。


 ネット時代になってから現れた書き手には、あまりにも現代史の素養がなく、歴史的な「縦軸の視点」を持たない人が多いため、むしろ若い読者に読んでさえもらえれば、彼らにこそ昭和から現代への「文脈」を知る新鮮な媒体に映る気がする。同誌で『「世代」の昭和史』という連載を続ける81歳の保阪正康氏は今週、氏の9歳上・少国民世代の半藤一利氏、そしてまだ50代の青木理氏という顔ぶれでの鼎談の思い出を取り上げた。そこには当代屈指の現代史研究家として、“あの戦争”への理解を次世代に引き継いでほしい、という切実な願いが滲んでいる。


 文中とくに印象的だったのは、幼い日の2・26事件を記憶する半藤氏が「軍隊がどういうものか、戦後の日本人は理解していません」と述べ、軍は外敵から国を守るだけでなく、時には政府と敵対してクーデターも起こし得る組織だ、と強調した点だ。私自身、南米に暮らした体験で、大半の国の軍隊は、外敵より「国内の敵」に銃を向けてきた現実を認識した。平和憲法を変え、自衛隊を“普通の軍隊”にする議論を始めるなら、並行してこうしたリスクへの対策も熟慮する必要がある。かつて軍の暴走に引きずられ、今日でも国家によるウソや情報隠蔽が相次いでいるこの国で、そのような心配を無用とするお気楽さは、それこそが“平和ボケの愚行”に他ならない。老作家の訴えを私はそう受け止めた。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。