伽羅(キャラ)、沈香(ジンコウ)、伽南香(カナンコウ)、アガーウッド、イーグルウッド、ガハル、ウード、まだ他にもあるが、これらのさすものは実は同じ生薬である。生薬といっても、漢方薬に使うだけではなくて、日本古来の家伝薬処方やその他の生薬製剤類にも使われる。例えば、漢方処方では喘四君子湯(ゼンシクンシトウ)や沈香降気湯(ジンコウコウキトウ)など、家庭薬では六神丸や奇応丸などである。生薬として日本薬局方本体には未収載であるが、日本薬局方外生薬規格(局外生規)には「ジンコウ」として収載されている。


ジンコウノキの花


 本生薬には薬用以外のもうひとつの主たる使われ方があって、名称が多いのはそのせいであるといってもよい。それは、薫香料としての使用である。香道で主に使用されるのは伽羅であるし、高級線香に配合されるのも伽羅や沈香である。一般的に沈香と呼ばれるものの中で、特に樹脂量が多く、においの質が優れたものを、伽羅とか伽南香と呼ぶ。伽羅、とひとくちに言ってもそのにおいは多種多様なわけで、それをにおいのカルタとりのように聞き分けるのが、聞香(モンコウ)での遊び方である。


沈香片いろいろ


 東アジア地域の熱帯雨林に生息するAquilaria属とGyrinops属の樹木の材に、樹脂が蓄積したものが本生薬なのだが、生薬の沈香と薫香料の沈香は、原材料となる樹木は同じであるが、品質は大きく異なっていることが多い。ざっくりといえば、樹脂を多く含むものが薫香料用、少ないものが医薬品用、である。期待される効能効果は、いずれの場合も鎮静作用。生薬の場合は水で煎じるし、薫香料とする場合は加熱して現れるにおいを愉しむわけだが、期待される作用は同じなのである。水で煎じて抽出される成分と、加熱して気化する成分とは、当然異なっており、前者は配糖体や水酸基と呼ばれる構造が沢山ある二次代謝産物が中心で、後者は樹脂に含まれる成分である。


タイの山中でみつけた、樹脂化部分を収穫したあとの立木(枯れていなくて、母樹は生きている)


 この樹脂の蓄積機構が長らく不明で、いろいろな迷信や噂があった。というのも、この沈香の樹脂は、樹木が健全に育っている時にはまったく現れず、樹木が傷つけられたり、病気になったりした時から蓄積されはじめるからである。一説には、傷害部に感染した菌類が作っているのが沈香のにおい成分を含む樹脂で、実はジンコウノキが作っているのではないという論文さえもあった。しかし、筆者の研究室で、ジンコウノキが樹脂成分をつくる酵素を持っていること、また、細菌やカビが存在しなくても樹脂成分がジンコウノキの細胞で作られること、を実験的に証明して2010年に論文として発表してから、一気に中国人研究者たちが同様の研究を開始、発表するようになった。研究はあちこちでたくさんされるようになったものの、樹脂の生成・蓄積をコントロールできるところまでは進んでおらず、現在進行形の様相である。


 さて、沈香の名称が多様なのは薫香料として使われるからだと先に書いた。天然物はもともと成分組成が一様ではないものであるが、沈香の樹脂成分はその変異がさらに大きく、ひとかたまりの生薬の部位によっても焚いた時のにおいが異なるほどである。かたまりのひとつひとつが異なるにおいを発する、という感じである。特徴的な沈香片には名前が与えられることが多く、例えば、東大寺の正倉院に保管されている蘭奢待(ランジャタイ)はこうして名称がつけられたものである。蘭奢待は含まれる樹脂量は伽羅と称されるほど多くはなく、分類としては黄熟香にあたるらしいが、ひとかたまりの沈香としては破格に大きく、また正倉院の創建当時からずっと存在し続けてきたということにおいて、非常に貴重なものであるということができるだろう。


 沈香は「沈む」「香」と書くが、これは、樹脂が多く含まれる沈香は水に沈むからだ、と説明されることが多い。その真偽はともかく、かつてはゴルゴ13の漫画にも登場したように、熱帯アジア地域で樹脂を多く含む部位のあるジンコウノキが倒木となって川や池などに長期間浸っている状態になると、普通の材の部分は朽ちて消え、樹脂化した部分だけが残ってお宝として川底や池底から発見される、ということもあったと考えられる。現在でもそういうものが探せば見つかる可能性はゼロではないと思うが、沈香は熱帯雨林から得られる産物としては非常に高価なものであり、随意に栽培生産できるものでもないので、野生品は乱獲され尽くしたような状態である。基原となる樹種は、絶滅危惧種に指定されている(次回に続く)。


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。