「新書なのに“全史”とは?」とサイズ感とタイトルのギャップに惹かれて手に取ったのが、『医学全史』だ。結果は……。古代文明の医療から近代まで――、古今東西の医学(と医学教育)の歴史を網羅するだけに、一つひとつのテーマに関する扱いは小さくならざるを得ないが、いろいろな読み方や使い方ができる1冊だった。


 まずは、オーソドックスに医学史の全体像をとらえる読み方。〈一八世紀以前の医学が現在の医学とはまったく異質なもので、それが一九世紀になって大きく変貌した〉という点を踏まえて読み進める。


 西洋医学は18世紀まで“医学の祖”と言われるヒポクラテス(紀元前400年前後の医師)、や古代ローマのガレノス(2世紀ごろの医学者)の影響を受けていたという。現代における医療の進歩のスピードを考えれば、想像がつかない世界である。


 18世紀以前の西洋医学は、〈経験的医療(経験に基づく診断・治療)〉〈推論的考察(科学的根拠のない理論)〉、解剖学の要素で構成されていた。このうち、経験的医療と推論的考察の部分については、他の伝統医学(インド伝統医学、中国伝統医学ほか)と共通点が多いものだったとか。


 ただ、解剖学だけは西洋医学に独特だったようで、かつ〈人体構造についての「科学的探究(観察・実験による事実の探究)」だった(解剖して記録するのだから、当たり前といえば当たり前なのだが……)。


 今となっては「教養」といった趣なのだが、アーユル・ヴェーダ、中国伝統医学、ユナニ医学(ギリシャ・アラビア医学)といった現代にも生き残る、世界3大伝統医学のルーツ、考え方を知る読み物としても活用できる。


■外科手術全身麻酔で初めて行った華岡青洲


 全体の6割があてられる19世紀以降の医学については、〈医学における科学的探究の対象が広がり〉を全体像として踏まえたうえで、医学の進歩に大きく貢献した〈新たな診断・治療技術の登場〉や、〈基礎医学の研究からもたらされた人体と病気についての科学的な理解〉がどのように進歩してきたかがよくわかる。


 顕微鏡の進化、X線、内視鏡、MRI……、技術の進歩は医療を大きく変えてきた。抗生剤のように日本人の死因トップだった結核を激減させてしまった薬もある。


 イノベーションの事例として印象に残ったものが、外科手術における麻酔と消毒の登場だ。19世紀に麻酔法が開発されたことで、〈時間のかかる大きな手術が可能になり、外科手術の範囲が大きく広がった〉という。消毒法の発達により〈外科手術は化膿や合併症のリスクを最小限に抑えて、安全に行えるものになった〉。


 さて、本書に登場する人物は当然のことながら、医学における重要人物である。それらを追っていくことで、人物からのアプローチで医学史を理解できる。


 冒頭のヒポクラテス、ガレノス、近代医学の出発点ともいえる解剖学書を書いたヴェサリウス、「血液循環論」を唱えたハーヴィー、X線を発見したレントゲン、フランスの化学者パスツール、ドイツの細菌学者コッホ……。


 日本人では、外科手術全身麻酔で初めて行った華岡青洲(平均術後生存期間は47ヵ月。西洋と比較して圧倒的に優秀な結果だったという)、日本の細菌学の父、北里柴三郎(2024年から千円札にも登場!)、最初の抗菌剤サルヴァルサンをエールリヒと開発した秦佐八郎、世界で一番使われた薬“スタチン”を作った遠藤章……。


 日本の医学が意外に早く世界にキャッチアップできた理由は、計4章が充てられた〈Ⅳ日本医学史――起源と発展〉に詳しい。


 中国(漢方)医学→紅毛医学(ポルトガル)→蘭方医学(オランダ)→西洋医学と、考えてみれば、いつの時代も(鎖国しているときですら)日本は海外の新しい医学を取り入れてきた。医学の土壌は十分にあったのだ。


 明治以降の医学教育の進化の過程や、医師免許制度の移行期の状況、現在、日本に私立病院が多い理由(明治後半から第2次世界大戦終了まで、病院の大半は私立だった)もよくわかった。戦前は、台湾、韓国、樺太にも医学校を作っていたというから、昔から日本は医学教育を重視してきたのだろう。


 さて、本書の活用法をもうひとつ。コロナ禍以降、「ペスト」について書かれた、カミュやデフォーの著作が売れていたり、感染症の歴史について書かれた本が書店に並ぶようになった。これらの“各論”を読んだ後に、本書を読めば、時代ごとの医療技術や、背景がわかり立体的に理解が深まる。


 大人が歴史小説を読んだ後に、『山川の日本史』を読む感じだ。年末に実証してみたから、間違いない……はずだ。ただ、症例はわずか「1」。伝統的医療のようなもので、科学的根拠はないのだが。(鎌)


<書籍データ>

医学全史

坂井建雄著(ちくま新書1200円+税)