新型コロナの第3波は年末から急速に拡大し、今週後半は東京で連日感染者2000人台を記録、迫りくるリスクをいよいよ私も「我がこと」と感じている。当方、還暦目前の初老の身、ひとたび罹患すれば、命取りにもなりかねない。無症状や軽症に終わっても、後遺症が残りがちなことを知り、楽観視できる気分は消え失せた。


 コロナの扱いを感染法上の2類から5類に変更し、患者の受け入れを広く一般病院に拡大すべし、という主張を最近よく耳にするが、先日、とあるテレビ番組で、これを退ける専門家の解説を聞いた。曰く、感染症への専門的対応に慣れていない一般病院がコロナ患者を引き受ければ、院内感染が頻発するだけでなく、本来その病院が治療すべき「その他の病気」への対応にも悪影響を及ぼし、医療が大混乱に陥るのは必至だという。


 欧米より桁違いに感染者数が少ない日本で、なぜ医療崩壊の危機が叫ばれるのか。指定見直し論者たちは、そんな問題意識から、対応病院の拡大を主張するわけだが、この専門家は、日本の感染者数・死者数がここまで比較的少数だったのは、徹底したクラスター対策と専門医療機関での治療という組み合わせが奏功したためだと言い、現状の危機はそんな対応が不可能なレベルにまで感染が広がったことによるものだと説明した。


 ド素人のひとりとして、これを聞いた感想は、だとすれば欧米などの桁違いのコロナ蔓延は、専門・一般の別を問わずあらゆる病院で患者を診た結果、そのせいでむしろ感染を広げた面もあったのではないか、ということだ。タマゴが先かニワトリか、という話かもしれないが、桁外れに患者が多いせいで一般病院でもコロナ対応をせざるを得なかったのか、それとも、この「むやみな対応」が感染爆発を助長してしまったのか……。いずれにせよ、少数精鋭の体制による日本型の戦術が、対応可能な「防衛ライン」を突破された場合、その先に待つのは欧米並みの「万単位の蔓延」という悪夢ではあるまいか、そんな恐怖が湧くのである。


 コロナはインフルエンザみたいなもの、というスタンスで、医療の逼迫は2類指定こそが原因、という主張する週刊新潮は、今週も『「緊急事態宣言」再びで地獄絵図』という相変わらずの特集を組んでいる。しかし本文の冒頭、「日本の感染者はさほど多いわけではない」という趣旨の緊急事態宣言を戒めるコメントをする専門家が、昨年11月の段階で「すでに第3波のピークは越えた」と言っていた同一人物とわかると、記事全体の信頼度も失われてしまう。いったい新潮は自説と現実がどんどん乖離するなかで、どのように辻褄合わせをし、軌道修正を図ってゆくのだろう。むしろ、そんな意地悪な興味が湧いてしまうのだ。


 一方、「GoTo施策」への固執など「後手後手のコロナ対応」で、菅政権の評価はダダ下がりだ。週刊文春は『“安倍派”会長「政局は加速する」菅下ろしXデーは4.25』という記事で、この春、衆院北海道2区と参院長野選挙で行われる補選の結果次第では、菅首相の退陣という事態にもなりかねない、と報じている。他の週刊誌も『春解散 総選挙全予測 自民10減 野党13増』(サンデー毎日)、『ガースーはもうおしまい 2021年日本の大問題──次の総理は誰か』(週刊現代)、『さらば菅総理 総選挙465議席 完全予測 全国に「1区ドミノ」の大嵐が!』(週刊ポスト)と、「ポスト菅政権」を論じ始めている。五輪の開催も不透明であり、今年の正月は、先行きがまったく見通せない異様な幕開けとなった感がある。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。