新型コロナウイルス感染症(COVID—19)に対処するために昨年末に決まった20年度第3次補正予算の見直しを野党が求めている。19兆円強の大型補正予算で、21年度の予算106兆円が決定、失効されるまでの繋ぎとするものだが、その予算の中に「Go Toトラベル」延長のための費用として1兆300億円が含まれているからだ。災害の折には矛盾するようなことが起こるものだが、Go Toが第3波といわれるCOVID—19急拡大を招いたことを鑑みれば、補正予算を見直してGo To向けの予算を崩壊寸前の医療体制に向けるべきだというのだが、確かに尤もな話だ。
Go Toトラベル、Go Toイートは菅義偉首相の肝煎りの政策だそうで、首相は支持率が急落するまで固執していた。どうも政治家という人たちは予算の使い方がおかしい。「新型コロナ対策と経済の両立」とか「バランス」とか言って、コロナ対策に全精力を注ぎ込むより、Go Toを利用する人たちのほうに予算をばら撒く。支援金より、ばら撒きのほうが利益を受ける人たちに訴える力が強いからのようだ。
そもそもコロナ対策と経済の両立など成り立つはずもない。経済を進めれば、COVID—19が拡大し、経済は完全にストップする。漱石ではないけれど、無理を通せば道理が引っ込む。一時的に経済をストップしてもコロナ対策を徹底して沈静化しなければ、経済は回らない。泥のついた手の子供にお菓子を与えて健康に気をつけろ、と言っているようなものだ。
大体、コロナ対策と経済の両立と言ったのは政治家ではなかったか。それをマスコミがそのまま報じたことで広まった。本来ジャーナリストは権力を持つ政府が行った言葉を本当なのか、事実なのか、自分の頭で考え、本当だと思ったら、報道すべきものなのだ。だが、どうも政治記者というのはキャッチフレーズに弱い。小泉純一郎内閣で総務相を務め政策を進めた経済学者は「キャッチフレーズを唱え、話題になりそうな政策をひとつ進めることが政治の極意だ」と語っていたという話があるが、その策略に政治記者が見事に利用されているというしかない。
諺に「情けは人のためならず」というのがある。しばしば「情けを掛けると、その人のためにならない」という意味だと解釈する人がいるという言葉の代表例だが、落語にも同じ題名の話がある。正確には「佃祭り」という演題らしい人情噺である。うろ覚えで、間違っていたらごめんなさいだが、概略はこんな話だった。
神田お玉ヶ池の小間物屋の旦那が夕方、所用の帰りに吾妻橋を通りかかると、いましも身投げをしようとしている若い女を見つけ、押しとどめて理由を聞くと、お店のお金5両を紛失してしまったという。小間物屋の旦那は5両の金を渡し、身投げを思い止ませる。それから3年後、小間物屋の旦那は3年に一度、佃島で行われる住吉神社の大祭「佃祭り」の見物に出掛ける。その帰り、終い舟(最終の渡船)に乗ろうとすると、船宿のおかみさんが「もしや、あのとき身投げを押しとどめて5両くれた旦那では」と気付き、お礼を言いたいから是非、家に上がってくれと、むりやり家に連れ込む。女性の亭主である船宿の主人も「女房から聞いている。食事をして言ってくれ」ともてなしてくれる。その間、小間物屋の旦那が乗る予定だった終い舟は定員オーバーで転覆。乗客全員溺れ死ぬという悲劇が起こる。その報を聞いた小間物屋では大騒ぎになり、旦那は死んだものと思い、坊主を呼んで経を唱え、棺桶を用意する。だが、そんな事とは露知らない小間物屋の旦那は翌朝、船宿の夫婦が仕立てくれた船で隅田川を渡り、家に帰ると、忌中の札が出ている。誰が亡くなったのだろうと思いつつ、家に足を踏み入れると、また大騒ぎ……。3年前に助けた若い女性のおかげで、今自分が助かったと説明し、「情けは人のためならず、巡り巡りて己が身の為」と語る一席だ。
落語だから、本当はこの後、与太郎さんが永代橋を右往左往して身投げしそうな女性を探す……と続くのだが、大概、制限時間があるのか、目出度いところで終わる。政治家トップにいる者にはただ金をばら撒く人気取りのGo Toではなく、こういう諺のような政治をしてもらいたいと思うのは、身勝手なのだろうか。
話を本題に戻すと、日本は赤字国債を出しっぱなしである。今までの発行済みの国債の利息と同額の借換債が40兆円を超える。民主党から自民党に政権が移り、安倍晋三首相はデフレ脱却を目指し、2%の物価上昇を実現すると打ち出したアベノミクスの低金利と財政出動で、赤字国債の発行はさらに増え続けてきた。それを支えたのは日銀の国債買い入れだ。
その上に降ってきたのがCOVID—19拡大である。お金がジャブジャブのうえにコロナ対策で政府は国債をさらに発行し、日銀がそれを買い上げる。つまり、政府と日銀が紙幣を印刷する傍らからばら撒いているのだ。おかげで日本の借金は1700兆円を超え、GDPの3倍に近づいている。むろん、GDP比で世界一の大借金だ。
なぜこんな状態でも国家が破綻しないのか。かつては政府、財務省は個人の金融資産が1400兆円もあるから問題ではない、と説明された。最近は個人の金融資産は1700兆円に上り、さらに政府と個人、企業の海外純資産が1700兆円あること、日本の通貨である円で発行できること等を挙げ、国家が破綻しないように支えていると説明する。
ところで、国家の巨額借金は日本だけではない。財政赤字と貿易赤字という双子の赤字を抱えるアメリカの国債発行は2500兆円を超え、額では日本を上回る世界一の借金だ。もっとも、対GDP比では日本の半分以下だ。だいいち、経済学者の間では「アメリカは経済学の枠を超えた存在」というしかなくなっているという。
アメリカがひっくり返ったら世界中がこけるのだ。アメリカに輸出して大儲けしている中国と日本、ドイツが儲けた金でアメリカ国債を買い続けて維持している。そんな状態下でCOVID—19の拡大である。日本同様に国債を発行して対処している。
アメリカはトランプ大統領が次々に国債を発行しているうえ、バイデン次期大統領もコロナ対策として大幅な予算を組むと言っている。むろん、財源は国債であり、連邦準備制度理事会(FRB)は市場から国債を買い上げると声明を出している。なにか日本と似ている。ニューヨーク株式市場の株高も日本の株高も基本はカネ余りによるものだ。巣ごもり中の金持ちはすることがなくて株式投資をしている、なんていう話もある。
中国は日本とほぼ同額の1000兆円の国債を発行している借金国家だが、GDPが日本の倍あるから国家の破綻のリスクは日本の半分だ。
イギリスもフランス、イタリアも同列で、赤字国債の発行を続けているし、法律で財政規律を定めているドイツでさえ、新型コロナ対策として赤字国債を発行。主要国が 軒並み赤字国債を発行し、中央銀行が買い取ることで紙幣をジャブジャブ発行している。
今後、いったい経済はどういうことになるのだろう。いままで、税収に見合った予算の必要性が説かれ、少なくとも税収で借金を返せる財政バランスが求められた。ところが、どうだ。世界中で赤字国債を発行し紙幣を市中にばら撒いているのである。もはや、財政の健全化など、どこかに飛んでしまったかのようだ。
そんな事情からか、エコノミストや経済学者から赤字国債の過剰発行はスーパーインフレを招く、といった話が出なくなってしまっている。なにしろ、各国で政府と中央銀行が一体となって紙幣をばら撒いているのだから、経済理論とは別ものになっているという人もいる。財政や税収に裏付けされていない紙幣が膨大に出回ると、将来はどうなるのか見えない、と困惑する経済学者もいる。
いきおい、国債を発行して経済を活発にすべきだという異端ともいえるエコノミストの唱える異端の経済論が幅を利かせ、異論と言えなくなってしまっている。どうやら、いまや経済学の予想、範疇を超えた経済になってしまったらしい。
さて、この行く末はどうなるのか、エコノミストや経済学者に聞くと、誰もわからないらしい。中央銀行が発行紙幣に見合う金本位制ではないから、信用だけで裏付けがない紙幣が溢れた世界は、ひょっとすると大昔のように物々交換の世界にでも戻るのかもしれない。誰か教えてほしいものだ。(常)