俳優の香川照之氏が「編集長役」となり、トヨタ関連の現場を訪ねたり、豊田章男社長の動きを追ったりする「トヨタイムズ」のキャンペーン。近年、しばしばテレビで見るこのCM、スピード感あふれる映像の割には、「トヨタは果敢なチャレンジをしている」という漠然としたメッセージと香川氏の「熱演」しか印象に残らない。実はこれ、末尾に表示されるネット検索の推奨こそが肝、会社として伝えたいCM「本編」はYouTube上の「トヨタイムズ動画」にあり、消費者は長尺のこの動画を見てほしい、と誘導する仕組みなのだ。


 ただ正直、この手法にいったいどれほどの効果があるのだろう、と疑念が湧く。よっぽどの車マニアか自動車業界の関係者でなければ、わざわざ自分から広告宣伝の動画など探そうとはしないだろう。私自身、数限りなく同じCMを見ていながら、YouTube動画の存在を実際に確かめてみたのは、本稿を書く必要に迫られたからだ。


 今週の週刊現代は『企業ドキュメント 助けて! 豊田章男社長が「教祖」になっちゃった』という記事で、最近の豊田社長の「唯我独尊ぶり」を指摘、社長肝入りの「トヨタイムズ・キャンペーン」の内幕にも触れている。リードの文章はこうまとめられている。《名実ともに日本一の企業のトップでありながら、気さくで朗らか。この人のそんなイメージが、最近やや変わりつつある。発言が抽象的になり、メディアには敵意を剝き出しに。一体どうしたのか》


 記事によれば、章男氏は昨年6月の株主総会や12月の報道関係者向けオンライン懇談会でメディア批判をぶち、後者の席上では「この国の報道は人の悪口を言う秘密警察のようになってしまう」と発言したという。「トヨタイムズ」のキャンペーンも、こうした《意にそぐわない報じ方をするメディア》への反発から生まれたものだといい、従来プレスリリースで発表していたような内容を、自社動画で流すことになったらしい。トヨタ社内には、カリスマの章男氏を諫められる部下は誰もいない、記事はそう嘆いている。


 週刊現代は一方で昨年から、清武英利氏の『ゼットの人びと トヨタ「特命エンジニア」の肖像』というノンフィクション連載を続けていて、今回が第6回。ここではスポーツカーの復活を目指すトヨタ技術者の奮闘ぶりをポジティブに描いている。社長特集の内容が正しいなら、章男社長の目に、連載のトーンとまるで違う今回の批判記事は、まさに「裏切り」と映るはずだ。はたして清武氏の取材に応じてきたトヨタ側の対応は、今後どうなってしまうのか。他人事ながら、ひと波乱ありそうな雲行きが心配になる。


 それにしても、章男社長が本当に近年のメディアに「人の悪口」が増えたと認識するならば、いかがなものか、と疑問が湧く。確かにここ十数年、ネット世論というバッシングを何十倍にも増幅する仕掛けが誕生したとはいえ、メディアそのものの権力者・有力者批判は、むしろ「忖度・委縮」が指摘されて久しいのだ。自身がトヨタのトップに立ち12年。その間の個人的体験が、彼のメディア嫌悪を生み出したのだろうが、より視野を拡げ、戦後を俯瞰すれば、メディアにもっと元気があった時代、歴代の社長には、いま以上に批判にさらされた先人が何人もいたはずだ。


 もうメディアなど相手にしない、直接消費者に発信する──。それもまたネット時代のひとつの選択ではあろう。それでも、玉石混交の批判には、時に傾聴に値する貴重な指摘も混じっている。それをすべて「悪口」と切って捨て、背を向けてしまうのは、トランプ米大統領のツイッター発信と同じような子供じみた印象を受けてしまう。煩わしいメディアと忍耐強く向き合う努力には、企業や組織のトップとして自身の独善を防ぐ効用もあることを、彼ほどの立場の人物には認識してほしい。


………………………………………………………………

三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。