新しい技術の開発、画期的な治療法の開発、未知のメカニズムの発見……、ライフサイエンスに関する情報は増えるばかりだ。実用化のスピードも上がっている。例えば、昨年ノーベル賞を受賞したゲノム編集技術「クリスパー・キャス9」を使用した食品は、2022年ごろから市場への流通が始まりそうだ。発表からわずか10年である。


 昨今ではコロナのワクチン、治療薬の記事に見られるように、センセーショナルな見出しで報じられるニュースも多い。


 一方で、科学的根拠に乏しいヘルスケア情報を掲載していたインターネットメディア「WELQ」が問題視されてから5年。医療関連の広告規制が強化され、検索エンジンのアルゴリズムも進化したが、怪しげな情報は今も生み出されており、状況は変わってはいない。


 真偽・軽重・実現可能性・時間軸がわからないライフサイエンス情報に惑わされないためにも、生命科学の基礎知識は「現代人の教養」とも言える。『LIFE SCIENCE』(ライフサイエンス)は、生命科学の基本的な考え方から最新の知見まで、わかりやすく解説した入門書である。


 新型コロナウイルスの危機でも明らかになったように、専門家がわかることにも限界がある。不確かな状況では、自分で判断するしかない。その際に〈「科学的思考」を身につけていると大変役に立つ〉。遺伝子組み換え食品を選ぶのか選ばないのか、〈わけもわからず買うよりも、自分の考えで責任を持って決断するという姿勢がとても大切〉なのだ。


 著者の吉森保氏は著名な研究者で、ノーベル生理学・医学賞を受賞した師匠の大隅良典・東京工業大学榮譽教授との共同受賞も噂された人物だ。概して超一流の研究者が記した本は正確さを重視するあまり難解すぎることも多いのだが、本書は典型的な“文系脳”の大人にもわかるよう、平易な表現で書かれている。


 第1章は「科学的思考」の基本的な考え方。仮説などの〈前提もなく、断言する「専門家」は怪しいと判断〉、健康グッズの広告などで比較する〈対象群があるかをチェック〉、〈トップジャーナルに載る論文がすべてよい論文とは限りません〉……、どれもライフサイエンスの情報に接する際に持っておきたい視点である。


■「ルビコン」を抑えれば“人生100年時代”が実現!?


 本書の読みどころは、著者の専門である「オートファジー」関連の項目。


 第4章では、オートファジーの〈細胞の中の恒常性を保つ〉仕組みや、①栄養補給、②新陳代謝、③有害物の除去といった役割が、丹念に解説されている。〈恒常性を維持するために、あえて壊す〉という生命のよくできた仕組みに改めて感心させられた。


 いつの世にも「不老不死」を願うのが人の常。一般の読者にとって最も関心が高いのが、最終章の〈寿命を延ばすために何をすればいいか〉であろう。オートファジーを軸に、寿命や老化、病気を考えていく。


 とくに注目したのは、著者の研究室で発見された「ルビコン」というタンパク質だ。ルビコンは〈オートファジーのブレーキ役〉。例えば、唐揚げなどの高脂肪食を食べすぎると脂肪肝になる人がいるが、〈高脂肪食によって肝臓でルビコンが増えて〉いたとか。


 実はこのルビコンを抑えることで、老化を食い止められる可能性があるという。まだまだ研究段階だが、〈ルビコンをなくした線虫やハエの寿命は、オートファジーが活発化することで、平均20%延び〉たという。80代半ばの現在の平均寿命から20%延びれば、本当に“人生100年時代”がやってくる勘定だ。


 本書で初めて知ったのだが、アホウドリやハダカデバネズミは、〈生きている間、完璧な健康を維持し、あらかじめ定められたときがくるといきなり死にます〉という。いわゆる「ピンピンコロリ」だ。オートファジー、ルビコンの研究の進展によって、理想の死に方が実現できるかもしれない。


 人間の医療にオートファジーが本格的に用いられるまでには少し時間がかかりそうだが、巻末にオートファジーを上げる日常生活、食生活が紹介されている。治療や薬のような劇的な効果は期待できないが、生活習慣の改善にはつながるはずだ。


 少々余談になるが、本書は図が10点とライフサイエンスの本にしては極端に少ない。変わりに平易な言葉で一つひとつ丁寧に解説していくスタイル。“図解本”に比べて読むのに時間がかかるが、意外な効用もあった。文字で読んで理解していくことで、内容が脳内でイメージ化され、かなり腹落ちした。中身もさることながら、造りにも感心した一冊。(鎌)


<書籍データ>

『LIFE SCIENCE』(ライフサイエンス)

吉森保著(日経BP社 1700円+税)