英国のハンコック保健相が新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の新しい変異株への懸念を表明してからひと月余り。1月21日、EUの専門機関である欧州疾病予防管理センター(ECDC)は、変異株に関するリスク評価を更新し、注意喚起のための情報を視覚的に表した「Infographic」を公開した。その中で少し驚いたのは、「VOC 202012/01」「501Y.V2」に次ぐ第3の変異株「P.1」の初検出国として、ブラジルと日本を挙げていたことだ。


■ブラジルの流行株を日本が「初検出」


 内容を確認すると、「P.1」はブラジルの流行株。国立感染症研究所(感染研)の解析により1月2日に到着した帰国者4名で「P.1」が確認されたため、日本が「初検出国」となった。ブラジル北西部・アマゾナス州の州都マナウスでは昨年12月半ば以降、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)患者が激増し、医療体制が逼迫している。ブラジルと英国の研究者がこの時期にマナウス州で得られた検体を解析し、1月13日になって結果を速報した。1月18日には韓国でも、ブラジルからの帰国者1例で「P.1」が検出された。


 一方、英国の変異株は当初、VUI(Variant Under Investigation、調査中の変異株)と呼ばれ、その後AOC(Variant Of Concern、懸念される変異株)に「昇格」した。こうした変更が行われるのは、ウイルスの変異が感染拡大や重症化等に影響を与える可能性があるかどうかを、全世界で追跡・監視しているからだ。


 SARS-CoV-2の全ゲノム配列は、2020年1月10日に「GISAID」に初めて報告された。GISAID(Global Initiative for Sharing Influenza Data、本部:ミュンヘン)は、インフルエンザのゲノムデータを共有するために2008年に設立され、現在はSARS-CoV-2についても変異株の出現を含むゲノム疫学データを公開している。



■ニュートラルな変異と注意すべき変異


 SARS-CoV-2は、一本鎖RNAをウイルスのゲノム(遺伝情報の総体)とするコロナウイルスだ。RNAは約30kb(29,900塩基)から成り、ヌクレオカプシド(N)蛋白と結合した状態で存在する。さらにエンベロープという脂質二重膜の構造を持つ。消毒用エタノールによる手指消毒はこの膜の破壊を期待している。


 RNAウイルスの変異は、主に複製過程のエラーによってごく自然に起きる。一般にRNAウイルスはDNAウイルスよりミスコピーが起こりやすいが、SARS-CoV-2を含むコロナウイルスはエラーを修正する酵素をもち、他のRNAウイルスよりは、変異の頻度が少ないとされる。この他、同じ宿主内での2種のウイルスの組換えや、宿主によるRNA編集システム(宿主の防衛機構の一部)によって起こる変異もある。


 多くの変異はウイルスの感染・伝播性や病原性に影響をもたらさず、生存に不利な変異株は淘汰される。一方で、生存に有利な変異株は集団の中で残っていく可能性がある。それが主流になると、野生株を基準にすれば「新規変異株」であるものの、もはや「流行株」といえる。


 世界の研究者は昨年来、ウイルスが宿主細胞に侵入する際に必要なスパイク(S)蛋白の変異に特に注目してきた。代表例は、2020年3月初めには検出されていた「D614G」つまり「S蛋白の614番目のアミノ酸残基がアスパラギン酸(略号D)からグリシン(G)に置き換わる変異」だ。この変異によってS蛋白は、宿主受容体と結合しやすい立体構造をとる傾向が強まるため、結果としてウイルスの宿主細胞への侵入を容易にさせる。


「開発が進むワクチンや治療薬が変異株に効くか」にも大きな関心が集まっている。モデルナは1月25日、自社のワクチンが「英国と南アで初検出された新規変異株に対しても、中和活性を保っていた」と発表。根拠は、米国アレルギー・感染症研究所(NIAID)及び米国国立衛生研究所(NIH)と共同で、自社ワクチンを接種した人の血清と「VOC 202012/01」「501Y.V2」を含む変異株を用いて行ったin vitroでの実験だった。



■ゲノム情報だけでは定まらないリスク評価


 変異株の命名法は標準化されておらず、世界保健機関(WHO)は「武漢ウイルス」を避けたように、「英国変異株」といった特定の地域を結びつけた形ではない統一を呼びかけている。とはいえ、SARS-CoV-2変異株に一般の注目が集まったきっかけは、昨年12月14日に英国がWHOに報告した「VOC 202012/01(Variant of Concern, year 2020, month 12, variant01)」だ。「VOC 202012/01」のヌクレオチドには23か所の変異があり、うち9か所はS蛋白に関わる。


 また、後のゲノム解析で、「VOC 202012/01」は9月20日には出現していたことがわかった。この変異株は、ロンドンを含むイングランド東南部で出現し、数週間でそれまでの流行株と入れ替わった。


 ロンドンの患者数は11月以降の2度目のロックダウンで一旦は減少したものの、12月半ばから再び急増。12月30日からの1週間に入院患者が27%増(5,524→7,034)、人工呼吸器の使用が42%増(640→908)、3日間で477人が亡くなり、医療崩壊の危機に曝された。1月8日には、市長が「重大インシデント(major incident)」を宣言し、首相に財政支援を求めた。


 年明け1月5日からは3度目のロックダウンに入り、仕事・ボランティア・必須の活動など「合理的な理由」がある場合以外の外出制限(初犯200ポンド=約2万8千円、最大6,400ポンド=約90万円の罰金あり)などの措置が行われた結果、現在は感染者・入院患者・死亡者とも減少傾向にある。


「変異株の感染力が最大70%高い」と報じられたのは、11月30日~12月20日に英国国民保健サービス(NHS)に報告された感染者と接触者のデータによる。各年齢群や感染源のウイルスゲノム解析が十分になされている地域別に、接触者約2万人について比較した結果、変異株による2次感染率は野生株に比べ10~70%高かった。


 また、「重症化率の上昇」については、年齢・性別・居住地・検体採取時期をマッチングさせた変異株症例と野生株症例各1,769例における入院率・死亡率の比較などが行われているが、統計学的有意差は得られておらず、あくまで「可能性」の段階にとどまっている。


 人口約6,800万人の英国で、累積感染者数は約370万人、死亡者数は10万人に迫る勢いだ。しかし、ウイルスゲノム解析は進んでいる。政府などが約28億円を投じ、2020年3月に「COG-UK(COVID-19 Genomics UK Consortium)」を設立したからだ。保健当局、大学、医療機関、民間研究機関が分担・協力して、いち早く解析を行い、共有する仕組みをつくり、これまでに21万を超える検体を解析した。さらに、1月26日、ハンコック保健相は、変異種特定に向けて英国のゲノム解析技術を他国に提供し、「技術を持たない国で見つかった場合でも迅速な対応ができるようにする」と表明している。



■むやみに恐れず監視と感染予防策の徹底を


 感染研は、新規変異株に関する第5報(2021年1月25日)の中で「感染・伝播性や抗原性との関連が懸念されるスパイクタンパクのいくつかの部位の変異は、世界各地で別々に生じており、海外で発生した変異株が国内に持ち込まれることのみならず、国内の流行株においてもこのような部位に変異を生じた株が発生する可能性もある」と述べている。

 

 従って「海外で生じた変異株を絶対に日本に入れない」という意味での「水際対策」は、徒労に終わる気がする。ただ、「懸念がある変異株の国内での急拡大を防ぐ」ために、該当株との関連性が認められる国・地域との往来を管理したり、変異株の監視と情報収集を強化・継続したりすることは重要だ。


 監視対象はヒトだけではない。2020年8~9月には、SARS-CoV-2変異株がデンマークで飼育されていたミンクからヒトに感染した事例があり、ヒト免疫によるウイルス中和能を低下させないか検討がなされたうえで、その後、懸念が払拭された。


 ECDCもWHOも、ヒトや動物で感染が拡大すれば、変異株が生じる可能性が高くなり、結果としてリスクも高まる、として「基本的な感染予防策の徹底」を強く勧めている。パンデミックに翻弄された2020年が瞬く間に過ぎ、私たちには「新たな日常」が身についているようで心もとない部分もある。消毒液の使い方ひとつをとっても、何にでも神経質に噴霧する人もいれば、店の入り口に設置されたポンプからチョロリと手先につけてよしとする人もいる。これでは「おまじない」だ。一般市民としては、どうすればメリハリをつけた効率的な予防ができるか、改めて整理する方がいいかなと考えている。


【リンク】いずれも2020年1月26日アクセス

◎ECDC. “COVID-19 pandemic. Latest outputs.” →Risk assessments.

https://www.ecdc.europa.eu/en/covid-19-pandemic


◎国立感染症研究所.「新型コロナ感染症(COVID-19)関連情報ページ」→「感染性の増加が懸念されるSARS-CoV-2新規変異株について(第5報、2021年1月25日18:00時点)」

https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/10144-covid19-34.html


◎WHO. “Disease Outbreak News. SARS-CoV-2 Variants.”

https://www.who.int/csr/don/31-december-2020-sars-cov2-variants/en/


◎GISAID. “Genomic epidemiology of novel coronavirus - Global subsampling.”

https://nextstrain.org/ncov/global?l=clock


◎COG-UK (COVID-19 Genomics UK Consortium).

https://www.cogconsortium.uk/


[2021年1月26日現在の情報に基づき作成]

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本島玲子(もとじまれいこ)

「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。

医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。