沈香の元になる植物、つまり沈香ができる木の種類は1種ではなく、複数ある。20年以上前、筆者らが沈香の研究を始めた頃はそんなことすらもほとんど知られていなかった。ましてや、日本の大学の薬用植物園にジンコウノキが植栽されているはずもなく、当時はインターネットでなんでも一瞬のうちに検索できるような時代でもなかったので、沈香が採れる木がどんな木なのかは断片的な情報しかない状況であった。生薬の沈香についても、この生薬は他に比べてかなり高価な生薬なので、成分研究等がたくさん行われていたわけではなく、論文をかき集めてもかなり少ない方であった。沈香そのものに興味があっても、そんな難しい生薬を研究材料にしようとは、思いもよらなかった。


 そんな状況の時に、ある日、普段から付き合いのある生薬問屋の社員さんが、「ジンコウノキのタネが手に入った」と突然やってきたのである。チャック付きビニル袋に一合分ほどだったろうか、ピカピカの焦げ茶色で尖った頭部に赤白の尻尾のようなものが付いた、オタマジャクシかナメクジかという感じの形をした軽いタネが、カサカサと音をたてて入っていた。



 タネと言われてもピンとこないような奇妙な形に驚いたが、聞けば、ジンコウノキの植林をやっている知り合いから、たくさん採れるから何かに使えないか使い道を考えて、と言われて持ってきた、という。まだ新しそうで、その場にいた筆者とその当時の上司は同時に「蒔こう!」と言っていた。持ってきてくれた社員さんは、「成分分析を依頼しようと思ってたんやけど。蒔いたらもしかしたら芽が出るかもしれへんけど、熱帯性の植物やしなあ。」と笑いながら、そのタネをいくばくか、置いていった。この時は、発芽するとはゆめゆめ思わず、ましてやこれとその後ずっと付き合っていくことになろうとはもっと想像だにせず、くだんの社員さんに頼まれた、タネの使い道を考えるための成分分析をどうやってしようか、などと考え始めていた。


 いつも使っている黒いビニルポットに赤玉土を入れて播種したタネは、二週間ほどして、緑色の芽がにゅうっと出てきた。まさかの発芽。それから蒔いたうちのかなりの数がバラバラと発芽した。


 以下は後年、ジンコウノキの現地調査を繰り返すうちにわかってきたのだが、ジンコウノキのタネは、熟して、それを包んでいるいわゆる殻から出されるとすぐに乾き始め、カラカラに乾くと死んでしまうのか、播種しても発芽しない。かと言って、熟して殻が開きかけているのに無理にタネを殻の中に閉じ込めておくと、数日でカビが生えてやはり発芽しない。振り返れば、あの時、カサカサながらチャック付きビニル袋で保管されていたタネは、最低限の水分は保ったまま、研究室まで運ばれてきて、それをまた完全に乾く前に、すぐに蒔いたので発芽した、どうやらそういうことだったようなのである。いくつかの偶然が重なって、生きたジンコウノキが目の前に現れた、ということだった。



 沈香という謎多き生薬の基原であるというので、どんなに変わった植物だろうかと、今思えばへんな期待をしていたのだが、現れた芽生えは至って普通の樹木の芽生えに見えた。鮮やかな黄緑色の葉が数枚ずつ出揃ったあたりでふと気がついた。こいつらは熱帯に生える木である。京都の底冷えが厳しい冬期に貧弱な古い温室内では耐えられないのではないか。



 新しい温室がいるぞ、どうにかして研究費をとってこないとせっかく成長し始めたジンコウノキが枯れてしまうかもしれない、と秋も深まって寒くなり始めた頃に上司とあれこれ画策し始めた時、奇跡のように、その年度の初めに不合格通知を受け取っていた大型研究費の申請が、合格者のひとりが辞退したため繰上げ合格となった、という知らせが届いた。それは11月のことで、筆者は次年度用の申請書を提出しようと、書いた申請書の必要部数コピーに勤しんでいる最中だった。


 半年以上遅れての合格通知に唖然としたが、喜びも文句も言っている暇は無く、完全に寒くなる前に温室をなんとかしなければならない。研究費を使った金額の大きい工事は、相見積もりによる業者選定が必要だとか、工事のためのいろいろな許可が必要だとか、温室の仕様を決めるだけでなくてその他の煩雑な手順が山ほどあったのだが、それらをフルスピードでこなして、とにかく、こましな温室を作り、そこに他の熱帯性樹木類とともにジンコウノキの苗も移植した。


 播種したタネから芽がでてきたことも驚きだったが、そこに研究費が獲得できたということはさらなる驚きで、高価ななんだか遠い世界の生薬だった沈香が、ストンと自分の研究材料のひとつ、になったのである。調べていくと、成分研究だけではすまされないぞ、ということが見えてきて、もともとの生息地での現地調査や成分についてのマウスを用いた行動薬理実験等を含む、今に至ってもなお続く研究の材料となっている。蒔かぬ種は生えぬ、が、蒔いたので生えて、ずいぶんと大きく育った、感じである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。