●ときが過ぎることに逃げたいが


 前回は新型コロナウイルス感染症に関する活字世界の話を、医学者、それも感染症学の専門家の話を眺めてみた。実を言えば、これに関する医科学系専門家の話は当然だが、この感染症が認知されてから1年を経過した今、大変な量が巷に溢れている。新聞や、雑誌世界に目を向ければさらにその数倍の量になるだろう。


 このため、医学系専門家の活字ウオッチは前回でいったんやめ、今回から社会学的あるいは文学的な活字世界(表現は適切ではないが、とりあえずこの分野を文科系として括る)から、コロナ禍の見方をみていきたい。医科学的なCOVID-19に関する活字の渉猟は、夏過ぎに始める予定の後編でできるだけの資料を集めておくつもりだ。


●文科系世界ではワクチンへの期待は小さい


 文科系世界でのCOVID-19へのアプローチも、歴史に残ることが確実なこのパンデミックにおいては無視することはできない。当然である。筆者だけでなく、普通に暮らす市民も新聞や雑誌の活字世界で、この話題を目にしない日はないはずだ。


 筆者もその環境においては同様であり、個々での違いがあるとすれば、趣味や仕事、置かれている立場(例えば学生か、社会人か、専業主婦かなどで)によって、その関心度も感度も違う。あるいはこの状況下で苦しみが増えたのか、悲嘆に見舞われたのか、望外の利益に遭遇したのかも天地の違いがある。


 そのことを前提として、独善的にきわめて非科学的なCOVID-19に関する活字世界を追いかけてみる。


 この世界が現出して1年になる。情緒的な世界、文学的世界では、大きく分けて3つの流れで語られ、感情を揺さぶられているようにみえる。それを希望、畏怖、怒りのカテゴリーに分けられそうだ。その前提で、この文科系の活字世界の流れをまとめてみよう。


 最初に取り上げるのは希望だ。希望に関しては医科学的世界、あるいはパンデミックから直接脱出する素材として語られるのがワクチンだが、文科系世界ではワクチンに対する期待は大きくはない。大きくないというより、語りたくない対象だ。短歌や詩の世界を眺めても、ワクチンが希望になるのは実は実際的ではないという感覚が支配的だ。


「実際的」という言葉自体が散文の世界に馴染まないように、ワクチンという実像に対する感性はひどく具体的すぎてグロテスクな印象さえまとう。そのうえに、文科系世界では、ワクチンなどという物的象徴に、「希望」という実体のない柔らかさをぶつけてはならないという掟がある、ようにみえる。


 文科系世界で「希望」がみえるのは時間論ではないかと筆者は思う。これはデータを収集したわけでもないし、確実な証拠があるわけではないが、筆者の感覚だけで言うと、阪神淡路大震災、オウムサリン事件があった95年、東日本大震災のあった11年、そしてこの20~21年には、時間に関するエッセイや文科系論文が目に付く印象が強い。


 希望は、時間論、あるいは先達が遺した未来の時間に託すその質量に「希望」を見出し、どこか今過ぎている時間をやり過ごす、平安を得たいという気持ちにつながるのだろう。そしてこの時間論のなかで、宗教的な感覚が少し顔をのぞかせたりするのも、希望という虚像に、時間を司る神の存在をわずかにみようという気分があるのかもしれない。


●時間を超えて「生」を語りたい


 俳人の長谷川櫂は、雑誌『図書』2月号で連載するエッセイで、「はるかな時間の話」として「劫」を語っている。劫は古代インドで発明された長い時間の単位だという。一辺が7㎞の立方体の岩を、百年に一度、天女が舞い降りて羽衣の袖で岩の塵を払う。それを何千万回も繰り返しているうちに、その巨岩が擦り減り跡形もなくなっても、まだ「一劫」には足りないのだそうだ。一説では、一劫は43億2000万年。宇宙誕生が138億年だから、現在は三劫目の途中ということになる。


 数字が登場すると、節目があるような、数えられるような錯覚に陥るが、よく考えれば途方もなく、要するに永遠の世界の話であることに気付く。つまり「劫」は「数える永遠」ということだ。永遠は実は「無」に近いと長谷川は言う。死が怖いのは、この無に消えてゆくことへの恐怖。つまり永遠を数えることで、その「無」の畏怖から脱し、希望へと感覚を揺り戻す。


 インドで起こったというこの話の起源は、すなわち劫が仏教の「無常観」の基礎かもしれないことを示唆するが、死を意識する時間を経てまた生を語るテーマを小林一茶や、松尾芭蕉と李白の遺したものから語っているものから読み取れる。


 宗教学者の島薗進の『一冊の本』1~2月号のエッセイ。このエッセイのコラム筆者の読み取りは、島薗が語りたいことと真逆かもしれない。しかし、筆者は「無常観」はある意味、多くの人々がそこに納得し、ある種の諦念的な「消極的な希望」ではないかと思う。


 そうして考えると、日本の過去の歌人や俳人などが、時間を軸にした「無常観」に敏感なのは、流れゆく時間のなかに、かすかに希望を見出しているのではないか。方丈記でも無常の中に小さい希望のかけらを読む人々は拾うはずだ。だからこそ、こうした大きな災厄の日々の過ごし方のなかに「無常観」に思いが至る。


 例えば「奥の細道」の冒頭は、李白の「春夜宴従弟桃花園序」が下敷きになっており、漂泊の旅を続け、「天地は万物の逆旅」の境地に達した李白を、芭蕉がなぞっている。しかし、島薗は、芭蕉が李白の落魄の心境に共感しながらも、芭蕉はそこに仏教的無常観を反映している、つまりそこに独自のテイストが加わっていると説く。


 確かに「野ざらし紀行」の句(代表作は「野ざらしを心に風のしむ身哉」)には、そうした心境をみることができる。


 繰り返せば、こうしたエッセイが流行のように見えるのは、小生の近視眼かもしれない。しかし、どこか日本人の大きな災厄が起きたときの心の逃げ場、平安の在りかというものが、こうした無常観の再吟味を通じて露わになるように思える。平たく言えば、どこかに少々やけくそ気味と言うか、コロナがなければできたことの徒然を愛おしむ気持ちが人々に膨らんでいき、そしてそれを無常観に学んで片を付ける。自分を納得させたい。


 日本人は時間論を逃げ場にする。時間論が好きだ。行き着く先は「朝には紅顔ありて夕べには白骨となる」(和漢朗詠集)か。時間は一気に進めることも、この国の人々はできる。


●情緒的に受容することへの不満


 時間論に逃避すること、筆者からみると、ある種のこの国の「奥ゆかしさ」は、死というものを諦念的に受け入れる、それこそつまり「無常」に立ち返ることができる特別な能力のように思える。誰でも同じ、自分だけではないという思いは、自己の世界に浸り、時間が通り過ぎることで、自らが救われるということなのだろう。それ自体、誰も実は踏み込めない世界で、世界としてはきわめて利己的と言えるのかもしれない。利己的と見えないのは、時間を感じ取る、時間に希望を見つける同質の観念が共有・共感されているからかもしれない。その深みや悲哀の程度は、たぶん千差万別であるはずなのに。


 しかし、コロナの死というものはやはり特別なものである。ある意味、死の形は災害に近いものと言える。柳田邦男は『文藝春秋』12月号で、コロナの死は「さよならのない不条理な死、その大量死は、震災の経験を通じて考えれば“身近なもの”だった」と述べている。


 柳田は一人の死は本人にとっては地球の消滅であり、残された者には人生の挫折だと述べたうえで、「“さよならのない別れ”の重い意味は、まさに一人の死に焦点を絞ることによって理解できるようになる」と、情緒的に流れやすい「受容」に不満を示している。


 疾病による死というものではなく、「災厄」による死という前提で考えれば、時間が過ぎることでその不条理から解放されるわけではないことも、実は立ち上がってくる。時間は元に戻れば、「あのことさえなければ」という不寛容な事実があったことに気付かされる。


 その意味では、文科系世界でも、コロナ後に実は多様な思いが本格的に交錯することを予感する。今は希望を持ちたい、その断面で時間論をみんな待望している「時間帯」なのかもしれない。次回は畏怖の正体をどうみているのかを考えてみる。(幸)