●鬼伝説に残る人々の感染症畏怖の記憶


 今回はCOVID-19に関する文科系の活字世界から、畏怖にまつわる話を取り上げてみたいが、その前に前回触れた「時間論」に関連して、またひとつの活字世界を見つけたので触れておこう。作家の松浦寿輝と筒井康隆は雑誌『波』の往復書簡で、松浦が時間の速度を語っている。そして、その話は現在の感染症が、どうにも巣食ってしまってしようがないもの、不安や畏怖につながることを感じさせる。


 前回の「劫」をはじめとする時間論についての話は、今そこにある不安から逃避する手段としての「時間」だった。それは早く過ぎてしまえ、また元通りの日常が来るのだという「希望」の仮置きの気配を忍ばせたものであるが、松浦は筒井の作品『急流』を引き合いに出し、「二〇世紀末に近づくにつれ時間がどんどん加速しつづけ、世紀が変わるとともに滝になってどうどうと落下しているはずだった」と語る。


 そのうえで、筒井の小説としての予言「歴史の終わり」は結局訪れず、国家も資本主義もずるずると延命し、抑圧的な管理システムが強化されながら、21世紀に入って早くも20年が経ってしまったと嘆き、コロナ禍の現状につながっていることを認識する。松浦はコロナ禍を「速度だけでなく、ジグザグの急角度の転変まで加わった」とも表現しているが、時間はあまり歓迎されない速度で進む続け、コロナで進路まで変わっているのではないかと問うのだ。


 一方で筒井は返信で、「そして誰も言わなくなった」「そして誰も書かなくなった」時代に、誰が本音など洩らすものかと述べている。“同調圧力”などというぼやけた言葉を2人はまるで使っていないが、そんな言葉で済まされない世界舞台が速度を速めて到来することを、作家たちは予感している。恐ろしい時間は早く過ぎてほしいが、過ぎる勢いのなかで猛烈に何かを縛りつけ始めている予感は、確かに畏怖であり、それはCOVID-19によって、早い進路への角度を選択してしまったかもしれないのである。


●仕方がないから健康にしがみつく


 何も言えない、何も書けない世界の到達を阻み、そうした仮想世界ではない畏怖には、しかし、「言い続ける」「書き続ける」との対抗手段もあるかもしれない。そして「どうどうと滝のように」世界の終わりに向かって速度を速める時間を緩める手段は、人間の知恵によって編み出されるかもしれない、と筆者はか細い期待も抱く。


 だが、COVID-19によって伴ってくる「畏怖」はもうひとつの、不確実な「終わり」を連想させるものである。「この世の終わり」は「自分の終わり」も指す。死に向かうという畏怖は、実は極めて具体的であるので、先の往復書簡で筒井は自らの「健康」へのしがみつきを嘲ってみせている。それが実はCOVID-19のもたらす畏怖の正体かもしれない。


 健康であるということの平和は、すなわち感染症の前では畏怖にすり替わる。出口の見えにくい「病気」を前にすると、人は誰でも怖い。その世界を象徴的に見せているのが水俣病の世界だ。時間論とともに、筆者が最近目に付く印象が強いのは、「水俣病」に関する世界への案内。


 文芸評論の斎藤美奈子は雑誌『ちくま』2月号の書評で、水俣関連の著作3点を取り上げているが、『苦海・浄土・日本――石牟礼道子 もだえ神の精神』(田中優子著)のなかで、石牟礼道子ならCOVID-19も「近代の病理」と捉えただろうと田中が書いていることを紹介している。それを受けて、斎藤は「自然からのしっぺ返しに遭うたびに、人は水俣を思い出す」と語る。筆者は、水俣や石牟礼に今の畏怖を説明してほしいという人々の思いが、こうしたトレンドに凝縮しているのではないかと考える。


 田中の著書であらわれる「もだえ神」にその意味がこもる。「もだえ神」とは、何もできなくても駆けつける、虐げられた人々に寄り添う類い稀な共感力や感応力の持ち主だと、田中は説明している。


 寄り添うことや共感力に関しては、最近の医療の世界でもよく使われるフレーズであり、指標である。しかし、「もだえ神」という神的な存在にまで近づかなければ、現状の漠然とした不安や畏怖からは逃れられない。漠然とはしているが、感染は身近であり、うつってしまって重症化すれば、一足飛びに死が傍にやってくる。今の畏怖は、遠近感のはっきりしない世界であり、そのことが畏怖を相乗する。


 石牟礼は『苦海浄土』の後には次のようにも語っている。「現実は常に止めようもなく進行し、拡散する。水俣病の病像も事件そのものも、運動そのものも」「折り重なる死屍の中から這い出してきた運動であれば、振り返ってみて瞑目しても、このような事件史にかかわったが最後、死臭の中に住むことになる」。石牟礼は田中が語るように「もだえ神」であった。それも自ら畏怖を乗り越えた「もだえ神」だったかもしれない。


●昔の鬼(感染症)は馬に乗ってやってきた


 確とした「もだえ神」の存在を見失い、角度を変えた時間の急流のなかで、それでもCOVID-19に翻弄される人々の畏怖を遠ざけるのは、ワクチンなのだろうか。ただ、前回で触れたように、文科系世界ではワクチンに対する言及はほとんど見られないのが現状だ。確かにワクチンが出てきても2020年の歴史は変えることはできない。


 人々の畏怖は、今度は歴史を逆転させたり、過去の災厄、それも疫病に関する物語の渉猟にもみられる。アマビエ、白澤、張り子のトラなど疫病退散のシンボルも相当な数が復活、発掘された。このことは、現在生きている人すべてが、「疫病」という概念の災厄に見舞われたのは初めてだという証拠でもあり、またその畏怖が古い物語の発掘によって、その頼りたい存在を探したいからであろう。具体的にそばに駆け寄ってくれる「もだえ神」ではなくても、象徴としてシンボルとして、畏怖を笑える存在として求めているのかもしれない。


 史学者の髙橋昌明は京都・大江山の四角四堺祭を語っている(『図書』3月号)。大江山伝説は鬼退治のひとつだが、その鬼は都に疫病を流行らせるものというカテゴリーだったという。鬼たちは祭場に用意されたご馳走を目当てにやってくるが、大人しく引き下がり悪さしないよう求める祭文を読み上げられてもなかなか帰らない。それで朝方に鳴く鶏を、宵のうちに泣かして鬼たちを帰らせたという伝承を、髙橋は伝えている。


「古代・中世の社会では疫病は鬼が流行らせると考えられていた。鬼は人間にマイナスの作用を及ぼす超自然的存在である。一方、現下の新型コロナウイルスではないが、疫病は正体不明で、突然に人を襲って死にいたらせる。見えないものはよけい恐い。この想像の不安から逃れようと人は病の原因に鬼という名称や醜悪な姿形を与えた」と高橋は説明している。


 面白いのは、昔の人はそうした鬼が馬に乗ってやってくると考えていたということだ。疫病がものすごい速度で蔓延したことを物語るが、鶏の時の声に驚いて逃げ出す鬼も馬に乗って帰る。時間との勝負、あるいは時が解決してくれるという人々の感覚は今と同じだ。


 四角四堺際は10世紀初頭に成立し、疫病が流行るたびに室町時代まで続いたという。当時、大江山に派遣されるのは陰陽師だけでなく、武士も警護に当たったというから、かなりオフィシャルなイベントだったようだ。武士は、その階級の確立は人々の畏怖の感情に沿ったものだったことも背景にあることがわかる。


 ちなみに、藤原道長政権下にあった995年から1027年までのほぼ30年間で、疱瘡、麻疹、インフルエンザ、赤痢など4つの感染症だけで11回の流行があったと記録されている。昔の人よりはマシかもしれないとこうした伝承を読んで、ちょっぴり安心する人がいるかもしれないが、畏怖の記憶は文化も伴っていることもわかるのである。次回は「怒り」をテーマに考えてゆく。(幸)