『表舞台から姿を消した都はるみが北の街で一緒に暮らすベテラン俳優』。表紙を飾るそんなタイトルに引き寄せられ、写真誌のフライデーを久しぶりに手に取った。記事によれば、2016年2月のラジオ出演を最後に一切の芸能活動をしていないはるみさんは今、「東北の静かな街」に暮らしている。傍らにはやはり数年前、芸能界を離れた俳優の矢崎滋氏がいて、2人はビジネスホテルの部屋を借り切って穏やかな日々を送っているという。


 はるみさんは08年に「内縁の夫」に先立たれ、矢崎氏は30代の頃に離婚、現在は2人とも独り身だ。年齢も73歳の同い年。矢崎氏に関しては昨年秋、週刊女性が本人を直撃し、俳優業の引退や貯金を切り崩してのホテル生活について話を聞いている。私自身はこれを読み、世捨て人のような老境の独り暮らし、と矢崎氏の現況を理解したのだが、もしかしたら当時すでに、同じ宿の別室にははるみさんもいたのかもしれない。フライデーは複数の日にわたって、ビジネスホテルや回転寿司店を出入りする2人を隠し撮り、そのうえで矢崎氏を直撃しているが、氏は無言のまま立ち去ったという。


「頼むから、放っておいてくれ」。4ページに配された2人の写真からは、そんな心の声が聞こえてくる。完全な私的領域に土足で踏み込もうとする写真週刊誌。一読者の私は、取材者の不作法、当事者のいら立ちを十分に理解していながら、それでも哀愁の漂う2人の近況をどうしても知りたいと欲している。つまり、記事を読みながら私は、自分自身もまた「のぞき見」の共犯者であることを自覚するに至るのだ。


 近年は文春砲の影響か、下世話な芸能ニュース、とくに不倫スキャンダルに関しては、「暴く側・叩く側の正義」がまかり通るようになっている。記事を読み、バッシングのネット書き込みをする人も同様だ。だが、ひと昔前まではたとえ不倫であれ、家庭内の問題、記者風情にあれこれ言われる筋合いはない、と突っぱねることも不可能ではなかったし、それを許す世論もある程度あったように思う。芸能人を追う記者たちは、死肉を漁るハイエナにも例えられたものだった。


 読者の反応はたいてい、両極に分かれた。あさましい報道を嫌悪して目を背ける人。メディアのあさましさは認識しながらも、のぞき見の誘惑に負け、ついつい記事を読んでしまう人。芸能ゴシップというジャンルは、この後者のマーケットに支えられてきたのである。私自身はケースバイケース、誰の話かによって読んだり読まなかったりで、「のぞき見根性」はさほどなかったように思うのだが、今回のはるみさんたちの記事について言えば、見事なほど簡単に食らいついてしまった。だからこそ、後ろめたさを取材記者と共有する気分を久々に味わったのだ。


 奇妙な表現になってしまうのだが、こういった微妙な感情こそ「芸能ゴシップの正しい味わい方」のように思われる。どんなに著名な対象でも、私的な領域まで踏み込んでこれを暴くことは、本来許されない。そんな建て前は重々承知したうえで、それでも「不道徳なのぞき見」の誘惑に負けてしまう。自らの内にもある卑しさをはっきり感じつつ、後ろめたい気分で読む、それこそが正しい作法だと思うのだ。


 今週も週刊文春は『「渡辺直美をブタに」五輪「開会式」責任者 “女性蔑視”を告発する』などのスクープで世間を揺るがした。気になったのはいくつかの情報番組で、司会者や出演者が、「文春報道がすべて正しいとは限らない」などと斜に構えた発言をしたことだ。異論があるならばなぜ、文春報道を確認し、検証する「自前の報道」をしないのか。自力では何も調べずに、「他者のふんどし」で番組作りをする。そんな己のみじめさに、気づきもせず、恥とも感じないメディア関係者の負け犬根性には暗澹とする。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。