ある日、ANAからオンラインツアーの案内メールが届いた。テーマは『ANA機内食工場見学と機内食の秘密ツアー』と『宇宙旅行の今がわかる!~専門家が紹介する「夢の宇宙飛行機 開発現場」と「ANAの宇宙開発」~』だ。ちょっと面白そう…ところが、各開催日定員100名の機内食または記念品付きプログラムは既に満員御礼。


 仕方なく、その下にある「その他のオンラインツアー」(VELTRA社提供)を眺めてみた。「行先」は国内外を含め約80。好奇心で試してみることにした。知っている街の現在を見るか、行ったことがない行きにくそうな場所にするか。考えた末、後者、新疆ウイグル自治区の『ウルムチ国際バザールをオンライン訪問 民族色豊かな市場を歩く』を選んだ。日曜の14~15時、1時間のZoom中継で税込3,094円也。


 新疆ウイグルといえば、人権問題で国際的な話題にのぼることも多い。世界がコロナ禍に苦しむ中、中国ではもうバザールをぶらぶらしながら中継して大丈夫なのだろうか。


■8つの国と接する新疆ウイグル自治区


 開始時間の少し前に、指定されたミーティングルームに接続すると、旅行会社の日本部部長・Tさんが迎えてくれた。元々、新疆・シルクロード関連の民族観光、修学旅行や撮影旅行、登山・トレッキング、砂漠探検などを手掛けている会社だとか。抱えているガイドさんも中国の大学で日本語を専攻するか、日本に留学した経験があり、説明や質疑応答に不便さはない。


Tさんがまずパワポの画面共有で、新疆ウイグル自治区やウルムチ市の概要を説明してくれた。



 1955年に成立した新疆ウイグル自治区は、中国の西端に位置する。面積は中国全土の6分の1(日本の約4.5倍)。8か国と国境を接し、国境線の総延長は約5,700kmに及ぶ。総人口は約2,500万人。新疆の「疆」は、2つの盆地が3つの山脈に囲まれた土地の特徴を表しているという話もしてくれた。


 ウルムチ市は同自治区の首府で、人口は約350万人。漢字の「烏魯木斉」は「美しい牧場」の意味だが、近年は開発著しく、中心部は高層ビルが立ち並ぶ近代都市だという。自治区南部にはタクラマカン砂漠が広がるが、南北に2本の高速道路(砂漠道路)が開通し、交通の便が飛躍的に高まったそうだ。


 中国全土には56の民族がいて、新疆ではうち47民族が暮らす。主要民族はウイグル族、次いで漢族で各40%台。TさんやガイドのZさんのようなモンゴル族(オイラト)は0.8%と少数派だ。



■観光客向けに整備された「国際大バザール」


 5分ほどするとガイドのZさんが画面に登場した。市内の「国際大バザール」中央広場からのスマホ中継だ。2003年に完成したこのショッピングモールは、東京ドーム2個ほどの広さがあり、屋内に3,000の店が立ち並ぶ。尖塔があるイスラム風の建物で、場内で働き定時にお祈りしたい人のためにモスクもあるという。


 商われているのは、ドライフルーツ、果物、漢方薬、玉(ぎょく)、シルク製品、楽器など。干し葡萄だけでも150種類、夏に収穫したスイカやメロンを地下室に保存し冬に暖かい部屋で食べる、白い玉ほど高価で1g10万円位のものもあるなど、一つ一つに思わず「へぇ」と反応してしまう。店先で目立った漢方薬は冬虫夏草だ。


 ウイグル族のアトラスシルクは、先に糸を染めた絣の技法でつくられた独特の模様が特徴だ。男性用の四角い帽子は元々、角を中央に(正面から三角に見えるよう)被ると奥さん一人、2つの角を左右に(正面から四角に見えるよう)被ると奥さん二人以上?の証だったとか。マンドリンやタンバリンのような楽器は、背面に美しい模様が描かれている。中には「生きて千年、枯れて千年、倒れて千年姿をとどめる」という「胡楊樹(こようじゅ)」の柄もある。


 さらに食事のできる一角に移動し、ウイグル料理を紹介してもらった。日本人にも人気の「ポロ」は、羊油でよく炒めた米に羊肉をのせて食べるもの。小麦でつくる「ナン」はインド料理とは違って硬そう。まん丸で成型時に独特の押し模様をつけている。乾燥地帯では全く腐らず室温で何日でも保存できるため携帯に適し、お茶とともに崩しながら食べるらしい。Zさんに、今度「これは何ですか?」と聞かれたら「ナンで~す!」と答えてくださいね、と念押しされた。


 現地の3月はまだ平均気温がぎりぎり氷点下ということもあるのか、バザール内を歩いている人は皆マスクを着用している。ただ、国内の観光客は戻りつつあり、Zさんも新型コロナワクチンは無料接種済みだという。



■「新疆ウイグル人権問題」は氷山の一角


 最後に「西安・敦煌・新疆の3都市をつなぐオンラインツアーも始めたので、よかったらまた参加してくださいね」「落ち着いたらぜひ現地にも来てくださいね」と言われ、「中国のこと、もっと本読んだりして知ってから参加しますね」と無邪気に答えたのだが、実際に少し調べてみただけで複雑な気持ちになった。


 中華人民共和国が建国された1949年頃、新疆は「ウイグル人の里」で、ウイグル族330万人に対し、漢族30万人程度だった。しかし、1950年代末から石油開発や綿花生産のために大量の漢民族が入植。その結果、新疆北部や大都市・工業都市では利権を手にし、経済パワーを誇る漢人の比率が高いという。


 新疆では、1980年代末から毎年のように民族・宗教に絡む紛争が起き、1990年代以降はイスラム主義のグローバル化に伴い、ウイグル問題も国際化していった。それでも2008年北京オリンピック頃までは共存の努力がなされていたが、2012年に総書記になった習近平は、党のそれまでの懐柔策から「鉄腕治疆」に方針変更。さらに2014年4月30日、初めて新疆ウイグル自治区を視察した直後に「ウルムチ駅爆発事件」が発生。自爆した2人を含む3人が死亡、79人が負傷し、中国公安当局はウイグル独立組織「東トルキスタン独立運動」の関与を明らかにした。習近平政権は、ここから「ウイグル人は絶対容赦しない」という決意のもと、苛烈な対ウイグル政策を展開することになったとされる。


 中国が新疆の支配に力を入れているのは、単なるテロ対策ではない。天然ガスやレアメタルなどの資源に恵まれた土地である、ここを制することが「一帯一路」成功の鍵であるなど、複数の理由がありそうだ。対抗する米欧陣営も、人権問題を掲げて阻止したい背景がないとは言い難い。


 直近では、ウイグル族の人権問題をめぐる米欧と中国の制裁の応酬があり、通商への影響が懸念されている。メディアでは、特に英国BBCが「職業訓練センター」等の名目で設置された過酷な「新疆ウイグル再教育キャンプ」の報道に力を入れている。これに対し、中国人民網は「政治」や「国際観察」等の項目で米欧への辛辣な意見を示す一方、内モンゴル自治区代表が全人代に伝統の「小鹿(の頭がついた)の帽子」で参加した姿を写真で取り上げ「人口の少ない少数民族も平等な権利を享受」と謳うなど、硬軟織り交ぜた記事で持論を展開している。


 オンラインツアーの際、旅行社の人に政治的に微妙な質問などしてはいけないだろうと遠慮していたが、Tさんは「かつてロシアにも住んでいたオイラトが圧政に苦しみ、凍った川を渡って戻ってくることにした」「ところが、その年に限って川が凍らず、ロシア人に殺されたりもして出発時の17万人が3万人に減った」とさらっと語った。いつのことだろうと思いながら聞いていたのだが、後で調べてみると、18世紀帝政ロシア時代のこと、川とはヴォルガ川だった。時間も距離もずいぶん離れた話だ。


 シルクロードという言葉は悠久の浪漫を感じさせるが、現実はそう甘くはない。島国でのほほんと暮らしてきた身には想像もつかない歴史があり、その延長に現在があることを痛感した。オンラインツアーで現地の様子を知り、ガイドさんとも馴染みになってからリアルツアーに行ければ楽しいだろう。そんな日はまだ先になりそうだが、思わぬ体験をさせてもらった。


【リンク】いずれも2020年3月24日アクセス


◎ベルトラ. オンライン・アカデミー

https://file.veltra.com/jp/promotion/onlineacademy/


◎福島香織著. 「ウイグル人に何が起きているのか 民族迫害の起源と現在」(PHP選書、2019)

https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-84310-0


◎BBC. 「駐英中国大使、BBC番組でウイグル人の強制収容否定 ビデオを見せられ」(2020年7月20日)

https://www.bbc.com/japanese/video-53465253


◎人民網日本語版. 「新疆問題で嘘のでっち上げに夢中になる米国 だが真実は覆い隠せず」(2021年3月22日)

http://j.people.com.cn/n3/2021/0322/c94474-9831361.html


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本島玲子(もとじまれいこ)

「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。

医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。