先週の文春スクープ『「渡辺直美をブタに」五輪「開会式」責任者 “女性蔑視”を告発する』をめぐる情報番組の取り上げ方はひどいものだった。東京五輪開会式の演出チームを取り仕切る電通出身プランナー・佐々木宏氏が、タレント・渡辺直美さんをブタに見立て進行役とする「開会式案」を作っていた──。そんな暴露により当人が辞職した問題だが、少なからぬテレビ出演者が「渡辺さんの体形を笑いものにするプランは論外だが、1年前に却下されたLINEでの発案がなぜ今頃暴かれるのか」「東京五輪を潰そうとする勢力のリークではないか」云々と、文春の報道そのものに疑義を唱えたのだ。


 的外れも甚だしい。もし、そういった観点で文春を斬るならば、議論は「煽情的なタイトルのつけ方」の一点に収れんする。6ページの記事の隅々まで目を通せば、今回の報道は、五輪延期をめぐる混乱の中、いつの間にか演出チームを統括する立場になった佐々木氏が、それまでの責任者・振付家のMIKIKO氏を追い落とした「クーデター」の暴露記事だ。渡辺直美さんにまつわる「とんでもプラン」の一件は「こんなこともあった」という一エピソードに過ぎない。MIKIKO氏はLINEでの佐々木案を批判、撤回させた人物でもあったのだ。


「なぜ今頃」と口をそろえるコメンテーターらは、記事本文をろくに読んでいないのだろう。番組側は最低限、出演者に記事を読ませるくらいの準備をしたほうがいい。記事を読んだうえで、あんなコメントをしたのなら、これはもう論外、絶望的な読解力の欠如という以外にない。MIKIKO氏が事実上放逐され、チームが佐々木氏の体制になったのは昨年末。今年になって文春がその情報をつかみ、取材に動いたなら、タイミングの不自然さはどこにも見当たらない。


 佐々木氏の「演出チーム乗っ取り」の話を『「渡辺直美をブタに」五輪「開会式」責任者 “女性蔑視”を告発する』というタイトルで報じた文春は、注目を集めようと極端に話を歪めている。そんな批判ならあってもおかしくない。売らんかなの週刊誌タイトルは、どうしてもドギつく、扇情的になる。たとえ記事の端っこに数行しか出てこない話でも、人目を惹きそうならその一点を大々的に見出しにする。渡辺直美さんにブタを演じさせる五輪開会式──。編集部の狙い通り、テレビ各局はこのタイトルに食らいつき、後追い報道をした。週刊誌の感覚だと、これはこれで大成功なのである。


 こういったセンセーショナリズム、ときに羊頭狗肉の記事も生む週刊誌の手法にはもちろん議論がある(週刊誌の“俗悪さ”を非難する理由として、この点は昔から指摘されている)。編集部員でなく、私のような外部筆者が記事を書く場合も、タイトルの決定権は編集部にある。あまりにも本文と食い違うタイトルだと、書き手も異を唱えるし、そんなとき、文春は(週刊文春も月刊文藝春秋も)比較的柔軟に再検討してくれるのだが(社によってはどんなに抗議しても一言一句変えてくれない雑誌もある)、とにかくタイトルは編集長がつけるもの、そのセンスで編集長の力量は問われる、という感覚がこの業界では一般的なのだ。


 というわけで、今回の一件では、五輪開会式演出チームの「内紛・乗っ取り」の記事なのに、渡辺直美さんをめぐる騒動をのみタイトルでうたったのは、あまりにもセンセーショナリズムが過ぎる、そういった批判はあってもいいのだが、極端な情報の切り取りという問題では、テレビ各局も同罪だと自覚すべきである。記事本文で書かれている「佐々木氏のクーデター」というストーリー本体には、ほとんどの番組がノータッチ。直美さんの件だけを議論の対象とした。それはまさに、週刊誌のタイトルのつけ方と同根の発想だし、それ以外にもし、電通がらみの内紛問題は触れにくいという忖度が存在するのなら、もっとひどい話になる。


 今春の文春は続報として、『MIKIKO氏「日本は終わってしまう」 「森会長はボケてる」女性演出家を排除黒幕は電通№2』というさらなる大特集を組んでいる。第1報で注目を集める作戦は成功し、今度はド直球のタイトルだ。ここまで深く詳細に論じれば、「今頃なぜ」という疑問はもはや出ないだろう。かといって、電通スキャンダルというニュースの本筋をテレビが掘り下げるか、となると、これはかなり疑わしい。テレビ報道は一気に尻すぼみになりかねない。テレビ出演者らは報道にモノ申したいと思うのなら、そういった“構造”全体に目配りしてほしい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。