あまり興味のない本まで薦められるので、ネットの「あなたにオススメ」にはあまり反応しないのだが、『WHAT IS LIFE? 生命とは何か』は、表紙が醸し出す雰囲気に惹かれて入手した。『竹内薫の「科学の名著」案内』ほか、翻訳者の著書・翻訳書の満足度が高かったこともある。
本書は、①細胞、②遺伝子、③自然淘汰による進化、④化学としての生命、⑤情報としての生命――の5つの切り口で「生命とは何か?」を解説する。そのうえで、〈世界中の科学者が新しい発見をする度に、この五つの考え方が変化し続け、現在でもさらに発展している〉ことを明らかにする。
著者は2001年のノーベル生理学・医学賞を受賞している、細胞生物学者のポール・ナース氏。本書は著、者にとって初の著書(もちろん、専門分野の論文は多数)である。
大御所(とくにノーベル賞受賞後)の本は往々にして「難解」になりがちなのだが、本書は一般向けで、おそらく高校生程度の生物の知識があれば十分理解できる内容だ(かつ、説教臭くない)。
特徴的なのは、ライフサイエンスの本にして、図解がまったくない点だ。にもかかわらず、巧みな比喩表現や数値を盛り込んだ丁寧な解説で、文字を読んでいくことですんなり頭に入ってくる。
細胞周期を制御する遺伝子を自動車のアクセルやギアボックス、ブレーキに例え、膀胱に感染する寄生虫最近の小ささを〈一ミリメートルの隙間に三〇〇〇個も横に並べることができてしまう〉と表現する、といった具合だ。
■生命を化学的・情報的に理解する意味
とくに興味深かったのは、④化学としての生命、⑤情報としての生命、の部分。
「化学としての生命」とは何か? そもそも生命体では、〈化学反応が生命を司る分子を作り出し、それが細胞の成分や構造を作る。化学反応はまた分子の分解も行う。細胞成分を「リサイクル」してエネルギーを得るためだ〉。
体内の化学反応のリレー、光合成、ミトコンドリアで作られる生命のエネルギー源ATP(アデノシン三リン酸)……、〈細胞では、生命を維持するために絶えず働き続ける、何千もの異なる化学反応が起きている〉のだ。
薬が効く仕組みを説明するのに、体内での反応を説明した資料が断片的に出てくることはあるのだが、考えてみれば、生命の全体像を化学的にとらえたことはなかった。
数千もの化学反応(著者も触れているが、化学工業のプラントよりはるかに種類が多い)や物理的なプロセスを制御するためには、「情報」をもとに制御・調節することが不可欠だ。
「情報としての生命」では、体温や血糖値などを一定に保つ「恒常性」(ホメオスタシス)、DNAの機能、細胞の「記憶」といった観点から、情報が生き物の内部でどう処理されているかを解説する。
よくできた仕組みに驚かされると同時に、今流行りのロボットや自動運転、AIといったテクノロジーの開発より、生命の仕組みを解明することは難易度の高いものに思えてきた。
著者は〈生命の化学的および情報的な基礎への理解が進むと、生命を理解するだけでなく、生物たちの営みに介入する力も伸びていく〉という。確かに創薬や治療法の開発、昨今話題のゲノム編集といった新しいテクノロジーの開発・利用には、生命の仕組みの深い理解が不可欠だ。
しかし、〈現在の理解は部分的で不完全だ。われわれの野心的で実用的な目標を達成するために、生物系に建設的かつ安全に干渉することを望むなら、まだまだ学ぶべきことがたくさんある〉のもまた事実である。
学ばなければならないのは、科学者だけではない。
文系・理系を問わず、経済人も政治家も、〈科学を学ばないことによる弊害は大きい〉。新型コロナ感染症で生じた混乱を見れば、明らかだろう。
各所に挟まれる著名科学者のエピソードや逸話(ラヴォアジェの悲劇は何度読んでも残念だ)など、学生時代に知っておけば「もっと生物が好きになったのに」と思わせる小ネタも満載。歴史から最新の知見まで、わかりやすく書かれた本書は、生命の“学びの入り口”に格好の一冊である。(鎌)
<書籍データ>
『WHAT IS LIFE?(ホワット イズ ライフ?)生命とは何か』
ポール・ナース著、竹内薫訳(ダイヤモンド社1870円)