締め切りに追われつつ「人の手」で情報を取捨選択する報道の仕事には、一定の頻度でミス、つまり誤報が付きまとう。それは時に、記事そのものを取り消す大誤報にもなれば、固有名詞や数字、談話のニュアンス等、部分的なミスとして流れることもある。いずれにせよ、どんな場合も極力ウラを取り、正確を期すのが報道の責務であり、世間のメディア評はその点で下されるべきだと思うのだが、現実にそういった客観的メディア比較はほとんど見かけない。比較できる横断的データもない。各紙誌の訂正記事をチェックしてみても、謝罪・訂正の「潔さ」は驚くほど各社バラバラで、「正確さ」の話とは直結していない。


 量的にどれほどの抗議が寄せられるか、あるいは「どんな相手からの抗議か」で、メディアの対応は違ってくる。注意すべきことは、同じクレームでも、当該記事の関係者と、野次馬的な第三者のスタンスは、似て非なるものだということだ。後者の人々は、本音では「正確さ」に興味はない。トランプ前米大統領が政権批判すべてをフェイクニュースと決めつけたように、要は嫌いなメディアの失策と判断したときに、彼らはつけ込むのだ。誤報でも「自分の意見と近いメディア」によるものなら、問題にせずスルーする。正しいか誤りか、という話でなく、好きか嫌いか、がカギなのだ。


 その意味で、新聞なら朝日、テレビならNHKが昔から「アンチ」の標的になってきた。彼らアンチ層にとって、朝日などの誤報が多いか少ないか、リアルな真実はどうでもいい。以前、月刊Hanada編集長の花田紀凱氏が、杉田水脈参議院議員のLGBT差別寄稿問題で「朝日が火をつけた」と朝日批判を繰り広げ、のちにこの問題の報道では毎日が先陣を切ったことがわかっても、「(それが事実でも)毎日じゃダメ。毎日じゃあ売れないから」と開き直った例がある。彼らの問う誤報・虚報の問題は、報道の正確さを論じるわけではなく、彼ら自身「正確な論評」をする気はない、結局はイデオロギー攻撃の「ネタ」にさえなればいい、という姿勢があからさまなのだ。


 そう考えると、週刊新潮が先週と今週、2週連続で日経新聞の批判記事を載せたのは、とても興味深い。新潮の「反朝日」的な読者層を考えると、花田氏ではないが「日経じゃあ売れない」と考えそうなものなのに、そこをあえて日経を標的にキャンペーンをしているのだ。しかも、背後にイデオロギーの匂いがない。シンプルに「誤報の多さ」を追及するジャーナリズム論、過去に同誌では見たことのない「まっとうな新聞報道批判」なのだ。


 先週も今週もメインタイトルは共通して『信頼できるか ビジネスマンの“ご本尊”「日経新聞」はこんなに間違っている』。今週はそこに「第二弾」と書き加えている。両記事ともタイトル下に箇条書きの小見出しがあり、先週号は『「三菱グループ」三綱領が……』『「日産」の生産台数もあれれ?』『「東芝」売却事業のあべこべ報道』『テレワークか出社か「伊藤忠」の困惑』『人事情報を抜かれると「広報」に詰め寄り悪態』『「新聞協会賞」より「デジタル・ファースト」が生んだ弊害』の計6本。今週号は『「経団連副会長」のインタビューで“作文”』『「兼松江商元会長」訃報記事の顔写真が……』『金利も行名も間違えられた「三井住友信託銀行」』『「初日の出ランキング」1位はあり得ない光景』『「バイデン当確」で紙面は“特オチ”』と計5本が並ぶ。


 内容は概ね察しがつくだろう。なかでも個人的に興味深く思ったのは、国内企業広報に「日経ファースト」という暗黙の認識があり、各社日経の機嫌を損ねることを恐れるがあまり、今回の新潮取材は難航した、という話だ。そもそも企業ニュースをめぐるデータミスは、当該企業以外ほとんど気にしない。そこに来て、企業側が日経の顔色をうかがう力関係なら、訂正を要求できないままスルーされた誤報も多いことだろう。「誤報だらけの日経」という新潮特集は、確かに意外性のあるニュースだった。それでも新潮の右派読者には、こういった「正確な報道を」というキャンペーンは響かないだろう。メディアの問題は好き嫌い。そのどちらでもない日経は「どうでもいい」。それが新潮コア読者の本音だと思うのだ。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。