昨年来の黒人差別問題に引き続き、ここに来て同じ米国でアジア系に対するヘイト・クライムの急増が注目されている。各種報道では、米中の外交上の対立やコロナ禍への人々の不満を背景に、中国人・中国系に反感が強まったため、と解説され、後者に関しては、トランプ前大統領が「中国ウイルス」という表現を繰り返し憎悪を煽った影響も指摘されている。


 急増の要因は確かにそうなのだろう。ただネット上の反応を見ていると「日本人や日系人はとばっちりを受けている」と、この事態を「中国人限定の問題」と見なす人が多く、気になってしまう。南北アメリカへの日本人移民史を長年取材して、南米の日系社会の生活も体験した私は、この大陸での「アジア系全般への差別・蔑視」は1世紀以上の歴史を持ち、そもそもあからさまなヘイトを示すような人々に「細々した出身国の違い」など、まるで念頭にないことを知っているからだ。


 差別者の大半は、世界地図で日本の位置もわからない無教養な人たちである。ナニ人かと問われ「日本人」だと答えても、親愛の情のつもりか嫌がらせか、「ジャッキーチェン、ジャッキーチェン」と繰り返し、付きまとってくるような連中だ。19世紀半ば、奴隷制度の廃止に伴ってまず中国人、半世紀遅れで日本人労働者が入ってきた南北アメリカでは、長らくアジア人を下層階級と見なしてきた歴史があり、「吊り上がった細い目の不細工な人々」という容貌への嘲りも幅広く存在する。多少の教養がある人なら、日本の独自文化や先進技術に敬意を持っているが、無学な大衆はそうではない。私たちがアフリカの国別の違いを何も知らずにいるように、彼らには「アジア人はアジア人」でしかないのである。


 今週のニューズウィーク日本版は、『ヘイトに狙われる「アジア系」の不都合な真実』という記事を載せている。執筆したエミリー・カウチというジャーナリストは中国系イギリス人。この記事で彼女は、米国におけるアジア人差別の歴史に触れながら、現在の問題を分析しているが、興味深いことに、彼女を含め彼の地に住むアジア系は「アイデンティティーをめぐる困難」に直面しているという。


 イギリスの白人家庭に養子としてもらわれて、白人社会で成長したという彼女は、アメリカの中国系コミュニティーに帰属意識は持っていない。また、今回のヘイト問題が持ち上がると、とある南アジア系の人物は、日中韓の東アジア人と自分たちは違う、という意思表示をSNS上でして、注目を集めたという。


 シンプルに「肌の色」だけで差別されてきたアフリカ系と異なり、アジア系は外見も歴史も出身国ごとにバラバラで、それだけに団結は容易ではない。「(互いの)異質さを認め合ったうえで連帯すること」。差別主義と本気で対峙するためには、そういった「ヨコのつながり」を新しく構築する以外にない、と彼女は述べている。


 週刊文春のコラム『池上彰のそこからですか?』でも、今週は『アメリカで現代版「黄禍論」か』と題し、アメリカでの中国人・日本人差別の歴史をたどっている。日本にいる我われは、中国人・韓国人に複雑な感情を持っていたりするが、アメリカに行けばみな「黄色人種」、まずはその現実を知っておこう、と氏は柔らかく記事をまとめている。


 私はもう一歩踏み込んで物申したい。前出のカウチ氏が言うように、アジア系は小異を捨てて連帯し、差別と対峙できるのか。それとも日系人だけは「ヘイトの対象から外して」と“差別者の配慮”を求めるのか。アメリカ人として生きる同胞の歴史も現状も理解しない一部日本人の身勝手な願望は、現地の日系の人々を、差別者の白人・黒人だけでなく、連帯すべき他のアジア系とも切り離し、対立を促す妄言に他ならないことを自覚すべきだろう。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。