今は昔、平成の初めごろ、私がまだ新聞社の若手記者だった当時、皇女紀宮さまの縁談の相手として、たまたま私と同じ年に同じ大学を卒業した男性の名が水面下でささやかれた。私はこの情報を追う社会部の先輩記者に頼まれて、大学の卒業アルバムを手渡した。先輩はこの男性の写真を手に入れたかったのだ。


 結果的に、噂はほどなく立ち消えになり、紀宮さまは都庁に勤務する別の男性とご結婚された。改めて当時を振り返ると、私は同じ大学出身の「候補者」にも、実際にご結婚された相手にも、まるっきり興味を持たなかった。皇族の結婚相手にふさわしい人かどうか、好感を持てそうな人柄なのかどうか、これといって判断材料はなかったし、そもそもお相手の「人となり」を知りたいという欲求が湧かなかった。


 現在の「小室圭さん問題」の注目のされ方と比べると、状況は雲泥の差であった。もちろん、小室さん問題がここまでの騒ぎになったのは、報じられる小室母子のキャラクターやエピソードが度外れて強烈なためなのだが、それにしても世論はもう、十分に過熱し尽くしたように思う。仮に自分の知り合いの女性が、いろいろと問題のありそうな男性と結婚するとしても、知人としてできることはせいぜい情報提供と「よく考えたほうがいい」という忠告ぐらいだろう。何を言っても耳を貸さず、とことんほれ込んでしまっているようならば、それ以上はどうしようもない。こちらはただ、肩をすくめ、ため息をつくだけだ。


 今回の眞子さまの縁談は、すでにそのくらいの域にまで来てしまっている。小室母子にまつわるネガティブな情報は、眞子さまにもすっかり伝わっていることだろう。すべてを承知したうえで、それでもなお結婚する。本人は固く決意しているようなのに、問題が一向に決着しないのは、眞子さまが一般女性でなく、皇族であるという以外に理由はない。小室さんに対しては「皇族の結婚相手としてどうなのか」という高いハードルが課されている。眞子さまもおつらいところだろう。自分の決めた相手なのだから、放っておいてほしい、という「心の叫び」が通用しないのだ。


 さまざまな雑誌報道を見る限り、私自身、小室さんという人物に好感を持つことは難しい。その母親ともども強烈なセレブ志向、上昇志向があからさまで、辟易してしまう。今週の週刊文春には『小室圭さん母「年金詐取」計画口止めメール』という記事があり、母親が元婚約者との再婚話を進めていた時期に、違法スレスレの算盤勘定をしていたことが暴かれている。記事は、眞子さまと小室さんの結婚に、約1億5千万円の一時金が公金から支給されることを根拠としてご結婚を「公の問題」とし、「やはり記者会見などでの丁寧な説明が必要ではないか」と論じている。


 だが私は、周囲はそろそろ黙ったほうがいいと思う。一般人の誰もと同じように、眞子さまにも「問題のある人物を愛し、不幸な結婚をする権利」はあるはずだ。違和感や嫌悪感はそっと胸にしまい込み、万が一、いつの日か眞子さま自らが結婚を「失敗だった」と思う日が来たなら、そのときこそ「だから言わんこっちゃない」と、小さな声でつぶやけばいい。所詮は他人さまの結婚なのである。


 週刊新潮の小室さん批判記事はさらに毒々しい。タイトルは『屈指の専門家3人が分析 「眞子さま」“洗脳”の「小室圭さん」を精神鑑定』。著名な精神科医などに小室さんを「自己愛パーソナル障害」と言わせたり、「少々サイコパス的な気質をお持ちかもしれない」「悪性のナルシシズム」などと評させてみたり、もう言いたい放題の記事なのだ。これがもし、知り合いの結婚相手の話なら、ここまでの悪罵を吐くほうがちょっと怖い。世の多くの物事は、結局なるようにしかならない。皇室の話題が大好きな人たちも、そろそろそういった諦観をもって事態の展開を見守るようにしてほしい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。