デジタルマネーで給与を支払う動きが本格化しそうだ。銀行振込からスマートフォンへの直接入金は時代のすう勢かもしれないが、これを歓迎しない向きもある。給与の支払いは現在、企業の規模に関係なく大半の会社が銀行振り込みで処理しているが、国はDX(デジタルトランスフォーメーション=デジタル変革)の本格化に呼応する形で、資金決済業者を介してスマホに直接支払う給与デジタル化を早期に実現させる意向だ。


「〇〇ペイ」などの名称で資金決済業者が発行するのは、国内ではあまり馴染がないが、欧米では「ペイロールカード」と呼ばれ普及が進んでいる。銀行口座から決済サービス口座に資金移動(チャージ)していた手順がなくなり、直接スマホに入金される。支払いに使えるデビットカードと類似したカードで、コロナによる非接触のニーズが高まっていることも導入の機運を後押ししている。これが日本国内で実現すれば、キャッシュレス化は一気に進むことが予想され、電子マネー決済に慣れ親しむ若い世代の消費意欲が高まるとの期待が高まっている。



 課題は安全性。資金決済業者が万が一でも経営破たんすれば、この仕組みは成り立たない。また、ハッキングなど不正使用などの犯罪防止に備えたセキュリティ対策も重要だ。給与振込は銀行にとって大企業取引におけるサービスの一環で、メインバンク維持のために大切な業務のひとつ。口座振込手数料も大きな収益源で、デジタル払いが進展すれば企業の銀行離れを助長し法人取引が先細ることにもなりかねず、銀行は安全性などを理由に実施に難色を示している。


 メガバンクなどの大手銀行は、大企業取引が収益の源泉。傘下に多くの関連会社を抱え、受発注業者との付き合いがある大企業グループとの取引は旨味が大きい。とりわけグループ全体では数万規模にも達する従業員の給与天引きによる口座取引は、黙っていても手数料が落ちる宝の山である。


 給与デジタル払いが実現すれば、この口座振替手数料がなくなる。これは銀行にとって打撃だ。口座振替手数料は、本業の儲けである「業務粗利益」のなかの「役務取引等収益」に投資信託の手数料などとともに計上されている。三井住友銀行を例にとると、同行の2020年3月期における業務粗利益は1兆4120億円。そのうち役務取引等収益は1824億円。そのうち半分ならば912億円。業務粗利益の約6.5%が減益になる計算だ。同行の業務粗利益は、「資金利益」が5616億円、「特定取引利益」が11億円、「その他業務利益」が154億円。融資の金利などで稼ぐ資金利益は対前年比で764億円減少している。口座振替手数料がそっくりなくなると、銀行収益はかなり厳しくなるのだ。銀行がデジタル給与払いに反対する理由は、ここにある。


 多くの企業では、従業員が入社するとメインバンクの個人口座を作らせ、給与を天引きしている。いったん口座を開設すれば、たとえ転職してもそのままで、一生メインバンク口座として使っているという人も少なくない。しかし、スマホがなければ夜も昼も明けない階層が今後続々と社会人になっていく今後では、デジタル給与の波は抗しきれない。銀行の大企業取引は変化し、その結果銀行業の土台が大きく毀損する可能性もなくはない。


反対の急先鋒は連合

 

 労働組合も導入に待ったをかけている。最大組織の連合は銀行同様、「安全性に不安がある」と反対の理由を挙げているが、これは建前に過ぎない。本音はデジタル払い導入によって組合費の天引きが減少するとの懸念であることは論を俟たない。天引きされなければ職場での集金になり、組合活動に余計な負荷がかかる。連合がこれに頭を抱えているのだ。


 厚生労働省の調べによると、2020年における労働組合の加入者は11年ぶりに前年を上回り、同年6月末で約1011万人と2万8000人増加した。コロナによる雇止めやなど雇用環境の悪化によるものと思われるが、組織率は17%と若干上昇した程度。労組の活動費は組合員が毎月拠出する組合費によって支えられている。連合に加盟する多くの大企業の労組は入社と同時に特定の労組の組合員になることが義務付けられているユニオンショップだ。当然、組合費は企業との協定で天引きになっているところがほとんど。


 これから入社してくる社員が給与のデジタル払いを選択し、組合費を電子マネーで天引きにしてもらうには、労組がデジタルマネーを取り扱う業者と交渉しなければならない。大企業取引を長年してきた銀行と異なり、業歴が浅く、労組とのしがらみのない資金移動業者との交渉はそう簡単に運ばないだろう。最後はデジタル払いを選ぶ社員の組合帰属意識に委ねるほかない。


 連合が彼らの要望を吸い上げる政策を打ち出せればいいが、労働貴族の連合に気の利いた戦略を望むのが無理というものだろう。あるいは、連合が企業に働きかけ、デジタル払い導入の条件として組合費の天引きを持ち出して組織防衛に走るかもしれない。


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平木恭一(ひらき・きょういち)

明治大学文学部卒。経済ジャーナリスト。元金融業界紙編集長、金融業界の取材歴30年。週刊誌や経済専門誌に執筆多数。主な著書に『図解入門業界研究 金融業界の動向とカラクリがよ〜くわかる本』(秀和システム社)、『図解入門業界研究 小売業界の動向とカラクリがよ〜くわかる本』(同)など。

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