フィールドワークという言葉を使って話を始めると、聴いておられる方は、「フィールドワークって、映画のインディ・ジョーンズみたいな感じですか?」「ジャングルの中をかき分けて進んでいって、未知の植物とかを採りに行くんですよね。」などという逞しい“予想”をされることが多いらしい。これは研究者であっても、会社員であっても、同様に考えられるようである。この予想は、広い意味でのフィールドワークを指す場合には、部分的にはきっと合っているのだと思うが、少なくとも、筆者らが行う、生薬学分野の現地調査にはほとんど当てはまらない。なぜなら、生薬は、ヒトがそれをず〜っと古代から使い続けてきた膨大な経験値の上に成立している医薬品であって、天然資源に対して、ヒトが使うという介入が無ければ生薬という概念は成立しないからである。生薬の調査の現場には、そこにほぼ必ずヒトが居て、文化が伴っている。


 植物を例にとれば、今の季節、田植えが終わった田んぼの畦道に、クサノオウという黄色い花をつけた草が生えている、それを正しく識別して採取し、使えば、生の植物の切り口から滲み出る黄色い乳液は、水虫などの皮膚感染症によく効く薬になり、同じ植物を乾燥させて服用すると胃薬になる、のだが、そういう使い方や薬効を知らなければ、同じ植物は、いわゆる雑草でしかない。その草の薬効や使い方は、草を観ているだけでインスピレーション的に湧きおこってくるものではなく、大昔の誰かの経験から始まって、ヒトからヒトへ知識として伝えられて、繰り返し経験されて、確立されていく知識である。だから、生薬を追う現地調査は、いつもヒトくさい。





 他方、生薬に密接に関係する分野に天然物化学というのがあるが、この分野は未利用資源を研究対象にすることも多く、そんな場合のフィールドワークでは、一般にヒトが近寄り難いところにある天然資源、例えば、熱帯雨林の奥深くや、深海の海底などにある資源を採集してきて研究に利用することもある。筆者自身はそのようなフィールドワークには参加したことがないが、それらは冒頭の逞しい予想が当てはまるものになるのだろう。


 さて、生薬分野のフィールドワークも、ひと昔前までは日本国内の生薬についてさかんに実施されていたはずであるが、近年ではもっぱら外国で行われることが多い。筆者が大学院生の頃から参加してきた調査も、ほとんどが外国でのものであった。外国で天然資源に関する現地調査をする際には、その現地国にパートナーとなる研究者を作ることから始まる。専門分野が同じ研究者で、調査にまつわるあれこれに協力してくれる人が見つかれば超幸運であるが、なかなかそうもいかないことが多く、異なる専門分野だが興味の対象が同じで、お互い相補的に研究を進めることでバランスをとるケースが多いように思う。調査の現地国パートナーの重要性は、生物多様性条約に基づくさまざまな規制が厳格化されている近年では特に増しており、パートナー研究者と協力して各種の手続きを確実に行ってからでないと、天然資源を原産国から持ち出して研究材料とすることができない仕組みが作られている。


 外国の研究者と意思疎通をはかり、相手国の中での活動でこちらの目的を達成するというのは、実はなかなかに難しい。外国人研究者と自分のグループとでは、生活してきた背景となる文化がまったく違うので、同じ事象や目的に対しても、アプローチや考え方が同じである場合はほとんどない。日常生活でのちょっとしたマナーも、当然、全然違うのである。それより何より、使う言語が違う。ほとんどの場合、お互いの母語ではない英語で意思疎通を図ることになる。幸か不幸か、筆者は英語(米語?)は、不得意ではないので、ほぼ全ての場合で、相手グループの一番英語ができる研究者と、筆者とが、それぞれのグループの意思疎通係となり、すべての話し合いや連絡の担当者となる。


 この英語による意思疎通係の役回りは、多種多様な場面とメンツで筆者に回ってくることがものすごく多く、フィールドワークだけでなく、さまざまな国際会議の場面でも、料金のかからない同時通訳として利用されている。近年は、ISO(国際標準化機構)TC249(中医学の標準化)の国際会議や、WHO(世界保健機構)のICD-11(国際疾病分類第11版)に関連する会議など、フィールドワークより国益重視の国際会議の場面が多いと感じている。この、お互いの母語ではない英語でのコミュニケーションは、相手の理解できる英語の語彙を瞬時に選んで、相手のわかる文法レベルと言い回しで話す必要があり、これは単に英語がよくできる人でもイマイチ感覚的にわからないとできない、ことらしい。

 気づいてみればもう30年近くその役回りをやっている。筆者自身はさほど意識したことはなかったのだが、実地訓練の成果か、ある頃からは譲れない場面では英語で喧嘩(のように見える交渉)もするようになっていたらしい。前述のWHOのICD-11 伝統医学の章の編纂作業では、筆者は日本のmanaging editor という結構大きな役回りを仰せつかったのであるが、それは、あとから聞いたことであるが、当時(2010年ごろ)のある学会の執行部が、“英語で外国人と喧嘩のできるヤツ”ということで筆者を選んだということである。この、英語で外国人(その場面では主に中国人と韓国人がイメージされていた)と喧嘩のできるヤツという表現にはいろいろな意味が込められており、日中韓の伝統医学用語の標準化にまつわる、なんとも表現し難い状況が背景にあって、それでも「喧嘩のできるヤツ」(相手に負けずにこちらの意見を主張できるヤツ)という選択肢になったということが、managing editor の任務についてから分かったのであるが、これについてはまた別な機会に紹介できればと思う。


 外国人との意思疎通、という話題でフィールドワークから少しそれてしまったが、話を戻すと、このお互いの母語ではない英語でのコミュニケーションでは、単語に込められた意味や意思がお互いでまったく異なっていることも多く、それが大きな誤解を生むこともある。そう言う意味では、ギョッとするような表現で連絡が来て、それに腹がたったとしても、ちょっと深呼吸して、いやいや、これは向こうさんの語彙が不足しているから、こういう表現しかできなかったのかもしれないよね、と、別な表現で聞き返してみる、という作業が必要になる。経験を重ね、そのワンクッションの余裕が持てるようになって、外国人研究者とうまくやれるようになるまでに要する時間は、かなり短くなったように思う。さらに何度も連絡を取り合い、共同研究を何年も続けているうちにお互いの語彙が確実にわかるようになって、また気心も知れてきて、問題なく、お互いに感謝しあって、調査を進めていくことができるようになる。我々のフィールドワークでは、薬用植物や民間薬等についての情報をモノと一緒に収集することが必定なので、この、外国人研究者とのスムーズなコミュニケーションは、何ものにも変え難い、必須アイテムになるのである。


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。