東京オリンピックの開幕予定日まであと2ヵ月余。IOCや政府は予定通り開催に踏み切る構えだが、コロナ感染の見通しも具体的対策も不透明なまま、刻一刻と「残り時間」は減るばかり、開催を不安視する声は日増しに強まっている印象を受ける。大量の外国人の来訪で、変異株を含む多くのウイルスが持ち込まれるリスク、選手やスタッフ、観客の接触でクラスターが発生するのではないか……。懸念されるのは、そういった「直接的被害」だけではない。


「万全の予防措置」が整えられ、大会運営は順調に進んでも、同じ時期、最近の大阪と同じような感染爆発がどこかの県で起きてしまったら……。華やかなスポーツの祭典が盛り上がる一方で、救急車を呼んでも入院先がなく、在宅のまま息絶える感染者が続出する事態になった場合、心穏やかではいられない国民も多くいるはずだ。五輪対策に割り振られる医療スタッフと、それが欠乏する地域とのバランスが、必ずや問題になる。


 少なくとも現在の第4波は収束させ、感染者数を抑えた状況で開会日は迎える必要がある。ワクチン接種の停滞も許されない。果たして政府のコロナ対策で、そんな芸当ができるものなのか。昨年来の対応を見る限り、心許なく感じるのが普通だろう。


 週刊文春のトップ記事『「五輪、無理だ」警備トップ「爆弾証言」』と、関連ルポ『「もう70歳以上は受け入れられない」大阪医師・看護師は泣いた』の組み合わせは、まさに「五輪競技場周辺」と「津々浦々のコロナ医療」の2本立てでコロナを抑制することが至上命題であることを示している。過去のどの五輪でもそうだったように、競技場内ではさまざまな感動のドラマが見られるであろう。だが、その同じ瞬間に競技場外で医療崩壊への怨嗟が渦巻いてしまったら、大会を「成功」と呼ぶことは難しい。もちろん、ここに来ての中止決定には、IOCへの違約金等の問題が立ちはだかることも言うまでもない。行くも退くも困難な状況に陥っている。


 週刊新潮は、と言えば、『本当に恐いのか すでに日本に流入「ファクターX」が効かない免疫逃避「インド変異株」の正体』という特集の1本で、『「小池知事」は「東京五輪」を生け贄にする!?』という記事を載せている。小池知事云々の記事自体は、7月の東京都議選を前に、小池知事が人気取りのために急遽五輪中止を打ち出すかもしれない、という見方を紹介し、中止を求める世論を「集団ヒステリー」と批判するものだが、インド株についてのメイン記事のほうは、「感染率は高いが死亡率が高いわけではない」などと専門家の意見を取り上げて、冷静になることを呼び掛ける内容だ。「コロナなど風邪と同じ」などとして危機を煽るメディアを叩いてきた新潮としては、いつもよりトーンダウンした印象を受ける。どこかの内閣官房参与のように「さざ波だ、笑笑」と悲観論をあざ笑うかと思いきや、今回は冷静さを呼びかけるだけなのだ。


 週刊現代は『未練タラタラでも東京五輪やっぱり中止すべきか』の見出しで、社会学者の宮台真司氏、小笠原博毅氏、西田亮介氏の鼎談を載せている。内容としては、政府・IOCが大会を強行する可能性が強いと見ながらも、3人ともその意義には懐疑的な見方を示している。大会期間中、幸いにもコロナ流行が谷間に差し掛かり、五輪が「成功裏」に終わる可能性ももちろんある。しかし、一方では惨憺たる結果となるリスクも存在する。政府や組織委は果たして両者を天秤にかけ、冷静な判断を下せるのか、それとも運任せでしゃにむにつき進むだけなのか。同じ開催の判断でも、その内実が後者ならあまりに怖すぎる。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。