先日、イギリスで26年前に英BBC放送が報道した元ダイアナ妃のインタビュー番組が大騒ぎになった。欧米のテレビも日本のテレビでも騒ぎを報じていたから、ご存知の人も多いだろうが、騒動の元はケンジントン宮殿で、チャールズ皇太子と別居中のダイアナ妃とのインタビュー番組。美貌とウィットに富んだ受け答えで世界中を魅了したダイアナ妃へのインタビューであるうえに、ダイアナ妃が不倫を認めたことで大反響を呼んだ番組だった。この独占インタビューを実現したのは、マーティン・バシーという記者で、報道によれば、当時は無名の記者だったが、ダイアナ妃独占インタビューで一躍、有名記者になったという。


 今回大騒ぎになったのは、このインタビューはお金が振り込まれたという偽造の預金通帳を使って実現したことが明らかになったためだ。不正行為によってインタビューを実現させたことは記者としての倫理に触れる、というのである。インタビュー直後にも不正を指摘する声が上がったそうだが、当時、BBCはいい加減な調査で濁していたことも明らかになり、BBCは改めて当時の調査を含めて遺憾の意を表さざるを得なくなった。それにしても、最初に放送されたのは95年11月であり、26年も前の番組だ。それを改めて調査し、発表したのだから敬服する。


 ところで、日本でも同じようなことが起こったことがある。「沖縄返還密約事件」だ。別名「外務省機密漏洩事件」とも「西山事件」ともいわれるが、毎日新聞の西山太吉記者(当時)が入手した外務省の機密文書を野党の日本社会党に流し、たびたび政府の機密事項を暴いたことから、「爆弾男」とも言われた楢崎弥之助、横道孝弘両議員が国会で密約を暴露。大問題になった事件である。


 中身は佐藤栄作内閣時代、日米で結ばれた沖縄返還協定で、米国が沖縄の地権者に支払う土地の原状回復費用400万ドルを秘密裏に日本政府が肩代わりすると書かれた密約である。当時、永田町では噂になっていたが、証拠がなく、噂だけだったから本来は大スクープである。野党は外務省の機密電文のコピーを手に政府の密約を暴き、大騒ぎになった。


 政府、外務省はどこから機密電文が漏れたのか、調べた結果、女性事務官が電文をコピーし、西山記者に手渡していたことがあっさりと判明した。なにしろ、両議員が国会での質問で振りかざした機密文書のコピーには決裁印の陰影があり、そこから漏洩元が判明したのだ。


 周知のように重要文書では右下か、あるいは右上に担当者、係長、課長、部長、局長……と決裁印の欄がある。暴露された機密文書には途中までの決裁印があったことから漏洩した部署がどこか、誰が流したかが判明したのだ。実は、西山記者は女性事務官に機密文書の出所はわからないようにすると約束しながら決裁印欄を隠さず、つまり、海苔弁(真っ黒に上塗り)にせず、そのまま野党議員に手渡していたのだ。そうとは知らない野党議員は「文書を見せてほしい」という政府にそのまま見せたのである。


 結局、出所を突き止め、流出のいきさつを掴んだ政府は「正式文書であることは認める」一方、「機密ではない」と押し切ることを決めた。同時に、東京地検特捜部は女性事務官を守秘義務に反する国家公務員法違反、西山記者を同教唆で逮捕する挙に出た。これに対し、毎日新聞では政治部は腰が引け、静観のテイだったが、「報道の自由」を主張する社会部が中心になり「国民の知る権利を奪う」と反発した。


 政治部が躊躇したのも、政治部は西山記者が手にしたスクープをベタ記事でしか報じなかったのだ。せっかく手にしたスクープを政治部の上層部は価値を感じなかったのである。頭に来た西山記者が野党に持ち込んだという経緯だった。


 どうも政治部記者は国民の知る権利より、有力政治家と昵懇になることのほうを選ぶ傾向がある。田中角栄首相の金権問題も立花隆氏による月刊『文芸春秋』誌の報道が始まりだが、当初、各新聞の政治記者は「こんなことはみんな知っている」と相手にしなかった。ところが、外国の新聞社の特派員たちは「これは首相の犯罪だ」と大騒ぎし、『東京発』の記事を本国に送ったことから日本で大報道が始まったのである。


 最近は、さらに進んで、あたかも「安倍首相の宣伝課長」か「菅首相の代弁者」のような発言をする政治記者がテレビに億面もなく登場している。


 ともかく、そんななかで週刊誌が西山記者と女性事務官が不倫の関係であることを暴露した。妻子持ちの西山記者は、夫のいる女性事務官と肉体関係を持ち、布団の中で機密文書をコピーするように依頼したことで手にした機密文書だったのだ。しかも、「出所を隠す」と約束しながら、反古にしたばかりか、機密文書を手にした後は関係を絶ったという。


 週刊誌側にはこういう取材手法は、たとえ機密文書であったとしても許される手段ではない、という考えである。たびたび暴露情報を入手するが、警察や検察のような権力を持たない週刊誌はあくまで協力に基づく入手だ。欧米の新聞や週刊誌の記者と同様、「これは国家、国民のためにならない」と感じた関係者、つまりディープ・スロート氏が情報を出してくれるのだ。


週刊誌は名誉棄損で訴訟をたびたび起こされるが、「これは間違いない」という確証を取っている。新聞紙上では週刊誌が訴えられたことや賠償を命じられた事件だ けが報じられるが、実体は、敗訴した件より、勝訴した数のほうが圧倒的に多い。昨今、スクープはほとんどが週刊誌で、新聞、テレビではないのも当然なのかもしれない。テレビに至ってはワイド番組で「またまた文春砲が炸裂」などと報じているが、本来は恥ずべきことだ。それすらわからないのは情けないというしかない。若い人たちがテレビを見なくなっているのも道理で、自ら引き起こしたようなものだ。


 筆者が週刊誌にいた時代、毎月のように「記事の中でコメントしている人の連絡先を教えてほしい」という電話が来た。1社だけは正直に「どこそこのテレビ局の番組をつくっている会社ですが、この人の連絡先を教えてほしい」と明らかにしたが、ほとんどは「読者です」と言ってくる。そういう電話を受けていると、隣の同僚が「ホラ、またテレビ局だよ」などを笑っている。


 話を戻すと、週刊誌の人間にとっては男女の肉体関係を利用して機密情報を入手することなど許されないことだと考える。だいいち、自身で報道する新聞があるにもかかわらず、ベタ記事にしか扱ってくれなかったことから、という理由で、政治家に情報を流して問題化させるということは許されないと考える。報道記者は政治家を利用するのではなく、あくまで報道機関を使うべきだ、というのが理由だ。新聞がダメなら週刊誌だってあるだろうし、田中金脈問題の発端になった月刊誌もある。ジャーナリストはあくまでジャーナリズムに徹するべきなのである。


 ともかく、週刊誌の報道から世間の流れは変わった。加えて、西山記者に裏切られた女性事務官がすべてを洗いざらい特捜部に話したことで、機密情報よりも機密文書を入手した手法への批判が高まった。


 だが、根本にはジャーナリストは汚い手法で機密情報を入手すべきではないことであり、さらに重要なことは政治記者たちが沖縄返還交渉でアメリカ側が負担すべき費用を秘密裏に日本政府が提供していたことを噂で知っていたにもかかわらず、西山記者以外、確認、いやスクープしようとしなかったことだ。政治記者にはジャーナリストとしての気概も誇りもなかったのは情けない。不正な手段で実現させたダイアナ妃インタビュー番組が批判されるのも当然だろう。(常)