「医療費適正化」を名目に、2006年度医療制度改革で特定健康診査・特定保健指導(メタボ健診)が導入されたのを契機に、関係者の間で健康づくりに対する関心が高まっている。確かに健康寿命(日常生活に制限のない期間)と平均寿命の差を短くして、個々人が自分らしい健康な生活を送る上で、高齢者になる前からの取り組みは重要であり、生活習慣の改善や肥満の防止、運動の励行など各人の意識に働き掛ける健康づくりの意義は大きい。


 だが、健康づくりがマクロの医療費を抑制するという明確な根拠は存在しない。むしろ、数字の取り方次第では病気を作り出してしまう可能性さえある。


 さらに、本来は個々人の生活を豊かにする手段である健康が医療費抑制のための手段にすり替わり、やがて目的に変われば、社会や国家が個々人に対して健康であることを強いる「健康ファシズム」になりかねない危険性も孕んでいるように思われる。


◇ メタボ健診による医療費適正化


「腹回りが出っ張っているので、運動か食事療法をお薦めします」—。年に一度の健康診断で、こう指摘された人は決して少なくないだろう。2006年度医療制度改革で導入されたメタボ健診である。


 この時の改革では「生活習慣病の悪化を境界域段階でとどめることができれば、重症化や合併症の発症を抑えて入院患者を減らせる」という判断の下、国は「医療費適正化計画」に2015年度の目標として、 メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)の該当者及び予備群を2008度と比べて25%減少するなどの目標を設定した。


 さらに、2008年度から40歳以上の国民を対象に、各医療保険者を通じて腹回りなどを測定する健診に加えて、一定の基準を超えた人は管理栄養士らの指導を受けさせることを義務付けた。同時に、各保険者に対する「ムチ」として、メタボ健診・指導の取り組み状況に応じて75歳以上の後期高齢者医療制度に対して各医療保険が拠出する支援金を増減する措置も導入された。


 こうした「ムチ」が奏功したのか、メタボ健診の実施率は年を経るごとに上昇。「2015年度までに健診実施率を80%に引き上げる」としていた当初目標には及ばないが、健康保険組合と共済組合の実施率は7割を超えた。


 さらに、2014年度からはレセプト(診療報酬支払明細書)のデータを健康づくりに役立てる「データヘルス計画」も始動し、各健康保険組合や協会けんぽが糖尿病患者の重症化防止などに取り組んでいる。このため、従業員の健康に関心を払う「健康経営」も含めて、「企業や保険者にとって健康づくりは一大関心事」(健保関係者)になりつつある。


図1:メタボ健診の実施率   出典:厚生労働省資料を基に作成


 同時に、厚生労働省が昨年9月に大臣をトップとする「健康づくり推進本部」を設置し、「健康寿命伸ばそうキャンペーン」を展開しているのも、表向きは健康寿命の延長を掲げているが、医療費適正化を意識した動きと言える。



 政府が今年6月に改定した成長戦略の改訂版でも、健康産業の育成は柱の一つとして位置付けられるとともに、以下のような政策が列挙されており、健康づくりは国策となりつつある。


・ 健康経営の評価指標作成
・ 健康経営に取り組む会社の株価を評価する「健康経営銘柄」の推奨
・ 健康産業を支援する「地域ヘルスケア産業支援ファンド」を地域経済活性化支援機構に創設
・ 糖尿病予備軍の人がホテルなどに宿泊して指導を受ける「宿泊型保健指導プログラム」の開発


◇ 医療費適正化と健康づくりは無関係?


 しかし、健康づくりがマクロの医療費適正化に影響するエビデンスは存在しない。実際、メタボ健診に関しては、導入当初から基準の是非が専門家の間で議論されており、血圧などの定期健康診断についても基準が今年4月に大幅に見直されるなど「健康な人」「不健康な人」の線引きは決して容易ではない。さらに、「指導や治療が必要」と判断する数値を厳しく設定すれば、検査や投薬など新たな医療行為を作り出してしまい、医療費を膨張させる逆の結果さえ想定される。


 むしろ、医療費の増加をもたらすのは新技術の開発と医療機関同士の競争、病床を含めた医療機関の投資とされている。


 まず、新しい薬や機器が開発されれば、医療機関は患者を獲得するための投資を行う。さらに、現場の医師は患者との情報格差を利用し、出来高払いの診療報酬制度の下、投資を回収するための検査や診察を実施するようになり、結果として医療費が膨張するのである。これは「医師需要誘発」と呼ばれており、医療経済学の本に必ず登場するモデルである。


 確かに国の医療費適正化計画には「平均在院日数」の削減に言及しており、「ベッドの数だけ患者を増やす」という需要誘発の抑制を意識している。


 しかし、肝心の方策では全く手を付けておらず、因果関係が曖昧なメタボ健診と健康づくりにとどまっている。これは当時、経済財政諮問会議を中心に医療費をGDPに連動させる構想が議論されていたことに対抗するため、「健康づくりは見栄えが良い」と判断したためだろうか。あるいは「日本医師会や健康保険組合連合会、地方自治体などの反発が少なく、人畜無害な健康づくりであればステークホルダーの『虎の尾』を踏まずに済むと考えた」と見るのは穿ち過ぎだろうか。


 確かに健康な生活は誰もが望むことであり、官民揃って健康づくりに力を入れるのは大いに結構である。しかし、健康づくりと医療費適正化を結び付けるだけの根拠は薄弱である。


 同時に、健康とは市民の幸福を実現する手段であることを忘れてはならない。もし健康が目的に変わった時、生まれつき障害を持った人を含めて、不健康な人を「穀潰し」と見做す不健康な社会に変わってしまう。1938年に厚生省が発足した一つの判断が「健兵健民」(健康な兵士と国民の育成)だったことを考えれば、「健康ファシズム」を杞憂とは片付けられないはずである。

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丘山 源(おかやま げん)

早稲田大学卒業後、大手メディアで政策プロセスや地方行政の実態を約15年間取材。現在は研究職として、政策立案と制度運用の現場をウオッチしている。