2015年、安保法制に反対した「SEALDs」メンバーに「カネをもらってデモをしている」等々の中傷ツイートを繰り返し、東京地裁に損害賠償を命じられた女性がいる。たまたまネットで彼女のブログを読み、その怖くなるほどの“思い込みの世界観”に慄然とした。彼女はシールズが米投資家ジョージ・ソロスから資金援助を受けていた、という妄想を頑なに信じ込み、それを理解しない周囲に苛立っていた。


 米国Qアノンにも共通する、この手のとてつもない「妄想力」。とどのつまり彼らは、何ごとかを「知っている」「知るに至った」と誤認してしまった人なのだ。ほとんどの一般人は身の回りの体験や自分の専門分野以外、世の出来事の詳細は知らずにいる。まともな人ならば、きちんとそう自覚する。だからこそ、意思表示をする場合は、十分な学習・情報収集が必要だと理解する。しかし「妄想系」の人は違う。彼らには「態度保留」という選択はない。聞きかじりや読みかじりで、いとも簡単に「知ったつもり」になってしまう。


 ここ10数年ほどの国内を見渡すと、同じ日本人同胞を相手に「反日」という言葉を使う人に、その傾向が著しい。自分と異なる意見の人々は「日本を貶めたいという願望」を持ち、「特定の外国勢力のために行動する」。そのような解釈の上に立ち、物事を論じようとする。正直、出発点からして、あまりにトンデモでヤバイ人たちとしか言いようがない。


 今週の週刊文春『朝日「五輪中止社説」社内バトル全内幕』を読み、ふとそんなことを連想した。朝日新聞を左派メディアの代表格として批判する記事は、ほとんどの右派・保守メディアに見られるが、批判対象の朝日をその都度取材する(取材する能力のある)保守メディアは、文春ただひとつ。多数派は通り一遍の質疑を広報と交わすだけで、それ以上の取材努力はまずしない。そのうえで「反日メディア」というパターン化した決めつけで安直に記事をまとめるのだ。正直、この手の媒体やその愛読者は、きちんと内情を知りたい、という知的好奇心を持たないのか、と疑問が湧く。


 たとえ対象者が殺人犯であっても、できるだけバックグラウンドや内面を知ろうとする。それがジャーナリズムの基本だが、「愛国メディア」の関係者は、その基本が根本的に欠けている。できるだけ当事者や周辺関係者に話を聞く。その正攻法を貫くのは文春だけなのだ。


 今回の社説問題の記事に関しては、理想を追求する考えとビジネス優先の論理、つまり編集と経営の二面性を暴くもので、この会社に昔籍を置いた者としては「さもありなん」としか言えない内容だが、さまざまな内部の肉声を拾っているだけに、その描写は生々しく、社内の空気感が伝わってくる。


 今週の文春、匿名筆者コラム「新聞不信」はこの同じ問題で、中止社説を評価したうえで、スポンサーを降板しない「ダブルスタンダード」を嘆いている。コラムのタイトルは『惜しむべし「五輪中止」社説』。だが、どうだろう。そもそもこの手の二面性は、どこの商業媒体も、いつの時代にも存在し、朝日で言うならば、高校野球の主催と学生スポーツに突出した「聖域」をつくってしまっている矛盾、日ごろは過熱する受験戦争を批判していながら系列週刊誌で東大合格者の出身高校ランキングを売りにする厚顔ぶり、と昔から繰り返し指摘されてきた問題がある。


 紙面で訴える建前に合わせ、ビジネス面であえて「商機を逃す決断」にも踏み切ってみせる。そんな前例は正直、どの媒体でも見たことがない。編集と経営の二面性を避けるなら九分九厘、編集のほうが経営方針に従う。現実に見られるのは、そのパターンの「一本化」だけだ。つまり、経営スタンスと矛盾するようなことは、そもそも紙面で触れないのだ。せめて紙面の上だけでも青臭く理想論を説き、自己矛盾をもさらけ出すか、ややこしいテーマには触れずにほっかむりするか。その二者択一なのである。そう考えると、朝日のように青臭さをさらけ出す少数派の選択も、個人的には面白く思う。「ほっかむり派」のメディアが大多数を占める現状では、論調に合わせた経営スタンスの大転換などという展開は、あまりに高望みの話ではないだろうか。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。