●この40年ほどでの変化


 このシリーズのタイトルは「近代から現代の医療」を展望することを目的につけているが、多様な医療的テーマのなかで、最も短いタームで大きく変わったのは「医療者(主として医師)と患者の関係」だと思う。端的に言えば、30~40年ほど前には医療世界の常識だった「パターナリズム」が否定され、患者の話を「聴く力」を重視することが医療カルチャーになったことだ。


 もっとも、「聴く力」はそれがすっかり定着した、医師の「技量」として浸透したとは、まだとても言い難い。また、パターナリズムも、対患者教育の教科書では明確に否定されていても、「患者は知らしむべし、寄らしむべし」がこの世界でまったくなくなったわけではない。なくなっていれば、本来、教科書に存在すべきではないパラグラフであり、あり得ない話になっていなければならないからである。


 医療におけるパターナリズムが否定され、患者の話を「聴く力」が求められるようになったのは、なぜか。筆者は、「ナラティブ・アプローチ」のような、医学・看護の世界での狭小なテクニカル論をここで展開したいわけではなく、パターナリズムにどのような弊害があり、そしてそれを克服する「術」として「聴く力」の評価が確立された経緯を考えていきたい。


 それは「ナラティブ・アプローチ」のような学際性ではなく、きわめて素朴な人間の営みへのある種の回帰、構造変化のひとつである。医療現場における「聴く力」が極めて短期間に自覚され、現実に外挿される状況を作ってきたのは、いわば人間力である。


 結論を言えば、その契機、引き金、うねりとなったのは「医療不信」である。そして、それがパターナリズム否定の主柱となったのは、医療者の反省と、患者の反省だ。


●パターナリズムの医師が名医だった


 ほぼ40年前には、医療者と患者の間にあったパターナリズムが壊れていく状況は、むろん、この間の医療不信、医療訴訟の急増などで、統計的にみればその要因を推定することはできる。しかし、そうした時系列的な客観的要因を挙げていくと、どうしても医療者側の不正や不作為などを摘まむことに精力的になり、バイアスがかかる。


 そこで筆者は、自らの経験を述べながら、この40年間をざっと振り返っておきたい。


 最初の話は、今は30代となった3人の息子を連れて眼科医に行った話だ。彼らは年子で双子。3~4歳までは三つ子を育てているような厳しい育児の毎日だったある日、3人の息子が揃って感染性の目の炎症を起こした。まだ3歳と2歳で、言い聞かせても痒い目を擦り、むずがる。親の目は涙目。仕方がなく、家人が聞いてきた評判の眼科診療所に3人を連れて行った。もうあまり使わなくなっていた双子用ベビーカーに3人を乗せ、40分ほどの道のりの診療所に夫婦で出かけた。


「名医」と評判だという眼科医は50歳くらいの女性で、診察室に入ると、いきなり金切り声で怒鳴られた。「これだからもう!」と彼女は、私が持っていたガーゼタオルを見ながら怒鳴る。そのタオルは、息子たちが目を擦らないよう、ときどき拭いてやるために持っていたもの。「そうやって、家族皆で同じタオルを使い回したら、うつります。そんなこともわからないの。あなたたちに3人も小さい子を育てる資格はない!」と弁解の隙も与えずに怒鳴りまくる。


 確かに、手抜かりはあった。しかし、幼い3人の子をそれでも何とか元気に育てている最中だ。育児は楽しい半面、どうしても手が回らないことが起きる。眼科医が私たちに日々の状況などを質問することはなかった。タオルの一件だけで、ルーズな子育てをしていると思い込み、頭の悪そうな夫婦には怒鳴りつけるしか方法はないと考えたようだった。30年以上経って、その医師は患者(家族)に関心はなく、その話など聞く意味はないと考えていたのだと理解するようになった。


 同時に思い出すのは、その出会った眼科医が、当時住んでいた地域では評判の医師だったということだ。いわゆる「名医」だったのだ。当時の患者には、一方的に、強圧的にご指導し、薬を出してくれる医師が、「名医」だった。医師は、患者を手玉に取るためにも、ステレオタイプの「名医」をめざす必要があったのかもしれない。医師にとって、パターナリズムではなくてはならない、当時の患者の「意識の低さ」も指摘できるかもしれない。


●謝らない、「想定外」で済ませる


 次男と三男、つまり双子を妻が妊娠したとき、双子とはいえ、8ヵ月を過ぎるとあまりに大きな腹になったので、夫の筆者は気が気ではなかった。妻の腹はミサイルの弾頭のように太く尖っていて、長男のときと明らかに様相が違う。いかに何でも大きすぎないか。ということで、8ヵ月検診のとき、筆者も付いていくことにした。妻は当初は「大丈夫」を繰り返していたが、筆者の心配ぶりに、同行を了解した。


 担当の産婦人科医は当時30代半ばの太った男性医師で、診察室に夫が現れたのをみて、明らかに不快そうな態度を露わにした。「こんな大きなお腹の妊婦さんをあまり見たことはないので心配です」と率直に言った。彼はさらに不愉快そうに、「双子ですから。そりゃ大きくなりますよ」とぞんざいに言い放った。さすがに筆者もむっとして、リスクがないのか十分に検討してほしいと、やや声高に要請した。


 予定日よりかなり早く、妻はひとりで自宅にいるときに破水し、自力で病院に行った。仕事先で急を聞いた筆者が駆け付けたとき、なぜか産婦人科分娩室は大騒ぎになっていた。担当ナースが夫の私に切羽詰まって説明するところでは、次男を自然分娩で生んだあと、妻の子宮は力を失った。三男を押し出す力がなく、帝王切開したいので「ご主人を待っていました」と言う。付け足すように「大量の出血が続いています」。


 なぜ、妻にその判断を聞かないのか不思議に思って、妻はどう言っていますかと訊き返すと、「意識がないので……」ときまり悪そうに言うのみ。重大な事態になったことが初めてわかった。少し待たされると手術室に移されるタイミングで、あの産婦人科医が血だらけの手術着のままで私を手術室に招じ入れた。


「帝王切開で2番目のお子さんを取り上げましたが、仮死状態です。奥様は出血多量で危篤状態です。なるべくたくさんの血液を用意していただけませんか」と蚊の鳴くような声。彼は明らかに筆者を覚えていて、筆者が数週間前に伝えた危惧も覚えていることは明らかだった。しかし、彼は謝らなかった。言ったのは「想定外でした」という言葉だけだ。筆者はこれもある種の、当時の医師のパターナリズムの典型だと思っている。


 幸い、仮死状態だった三男は保育器のなかですぐに健康状態を取り戻した。妻はたくさんの献血者の支援をもらって一命をとりとめた。ただ、リハビリを含め、入院期間は3ヵ月を要した。筆者は今でも、あの産婦人科医の不快そうな表情の中に現れた傲岸な態度を忘れることができない。


●臨床経験が培う「聴く力」


 それから30年が経って経験した、3つ目のエピソードを書こう。これは30年の間に医師が変貌したことを実感したことである。


 5年ほど前の真夏。外は猛烈な暑さだったが、筆者は居間のエアコンを強冷にして、扇風機で自分の部屋に流し込み、パソコンに向かっていた。仕事を開始したのは10時過ぎ頃で、それから30分ほどして家の電話が鳴った。友人の妻だが、電話をもらったことも会話したこともない人である。彼女は、夫が多額の借金を作り、家が抵当に入ったと言い、遠回しに筆者にも責任の一端があるような話をした。かなり長い時間、彼女はしゃべり続け、夫を罵倒し、その友人のひとりである筆者を非難がましく質問攻めにした。友人の借金などまったく知らなかったし、その通り伝えたが、彼女は信じてないようだった。


 その長い電話の最中から体の左側の痺れを自覚していた。電話を切った後に嘔吐した。脳卒中ではないかと疑い始め、近所の救急病院に歩いて行き診察を求めた。症状を伝えると、当直の若い内科医はてきぱきと看護師に指示してCTを撮った。医師は画像を見ながら「私にはわからない」と、専門医の診断が必要で、すでに救急車を呼んだことまで一気に語り、あっという間に筆者は救急車に乗せられた。彼は最初に筆者が伝えた「痺れ」と「嘔吐」ですべてを類推したような言い方をし、CT画像をつけて専門医を紹介すると恩着せがましく告げた。


 搬送先では50歳くらいの脳神経外科医が現れた。彼は朝からの筆者の行動と症状をじっと聞いていた。筆者が少し黙ると、目でその先を話すよう促した。友人の妻からの電話は省いた。話を聴き終わると、その医師は「脳卒中ではないと思う」と言い、最初の症状の自覚から相当な時間が経っていること、診察を受け始めてからは嘔吐感が消えていることをその根拠にあげた。彼は痺れを感じながらずっと仕事を続けたのかと問い、私は逡巡したが、友人の妻から嫌な長い電話を受けたことを打ち明けた。医師は少し同情の表情を見せながらも得心したような淡々とした口ぶりで、「原因を突き止めます。しばらく入院してください」と言った。


 1日に2人の医師からの診察を受けた経験はもちろん初めてだった。むろん、状況や専門性の違いはあるが、2人の筆者への向き合い方は正反対である。最初の医師は、迷惑がっているような素振りで、早く自分の前から筆者を追い払いたいようだった。一方で、後者の医師はずっと筆者に症状の経過を語らせ、言葉のひとつひとつから何かを得ようという意思が見えた。脳卒中を疑っていた筆者は彼の態度から、その不安が急速に薄れていくのを感じたほどだ。


 このエピソードからは2つの示唆がある。ひとつは最初の若い医師は、臨床経験が浅いことと専門性の違いを混同し、どこか医師のパターナリズムに頼っている。若い彼らにも「聴く力」の重大さはまだ浸透していない。一方で、臨床経験の長い50歳ほどの医師は、患者に語らせることが診察の基本であり、それが正確な診断につながることを理解していた。つまり、医師の「聴く力」は、教科書にはなく、彼らの臨床経験から学んでいるらしいということである。その意味で「聴く力」は、まだ熟成されてはいない。


 次号から、「聴く力」を重視する医師たちの「活字」を紹介していく。(幸)