少年時代から約半世紀一貫して、身の回りの整理整頓に苦手意識を持っている。一方でモノ書きという職業柄、山のように本や資料に囲まれた作業環境は仕方ない、と自己正当化する気持ちもある。一冊の本を書き上げたり、そこそこの長文原稿を書いたりするうえで、ネットで集められる情報は、必要な量のせいぜい2~3割、やはり膨大な「紙の資料」はどうしても欠かせないと認識するからだ。


 しかし、同業者の感覚は変わりつつあるらしい。つい先日、かつて在籍した古巣新聞社の旧友から「最近は職場に自分の机はなく、私物の資料類はすべてロッカーで保管、原稿を書く際には、共用スペースの空いている席でノートパソコンを開いている」と聞かされた。崩れ落ちそうな資料の山の光景は、はるか昔のもの。今は新聞社でも、モノのない平らなデスクが並んでいるという。「そんなことだから“ネット並みの薄い記事”ばかりになってしまうのだ」。思わず胸の内でそう毒づいてしまった。


 最近痛快だったのは、「捨てられない人は何もつかめない」という“いまどきの発信者”のツイートがプチ炎上、デザイナーのポール・スミスや経済学者ポール・クルーグマン、アップル社のスティーブ・ジョブズ、物理学者アインシュタインなど、世界的な知識人、クリエーターたちの雑然とした仕事場の写真が、次々と寄せられたことだ。彼らの仕事場はみな尋常ならざる量の本に占拠されていた。


 テレビで見る有名無名の人の自宅訪問では、ほとんど本棚らしい本棚のない家が当たり前になっている。背丈ほどの本棚が2つ3つあれば、「読書家なんですね」とレポーターに驚かれる。結局のところ、本に囲まれた暮らしを体験せず生きてきた人々は、ネット情報の貧弱さを感じることもないのだろう。「断捨離」や「ミニマリスト生活」を信奉する人たちを、私はそんな偏見をもって眺めている。


 本欄の執筆のため週刊誌を斜め読みする際に、巻頭や巻末の写真ページは基本的に飛ばしている。そのせいで長いこと気づかずにいたのだが、サンデー毎日の巻末に4号に1回、著名人の自宅を訪問する『本棚探偵』という見開きのコーナーが続いている。コーナー名の下には「そこには『人生と人柄』が詰まっている」という惹句がある。今週号の対象者は慶応大卒、元AV女優、元日経新聞記者という異色の経歴を持つ27歳の作家、鈴木涼美さん。


《(仕事部屋のメインの)本棚に収まるのは文学、歴史、思想、風俗とさながら書店の人文科学コーナーのよう》。デスク脇の小さな本棚には《司馬遼太郎、内田百閒、遠藤周作、サルトル、トルストイ、ヘミングウェイ……と古今東西の文学作品が隙間なく並ぶ》。本棚は写真でなく大きなイラストで描写され、特徴のある個所がクローズアップされている。『不思議の国のアリス』のルイス・キャロル作品のコレクションがあったり、大学時代によく読んだという宮台真司氏、大塚英志氏、福田和也氏らの本が並ぶ一角があったりする。


 4号前の前回は、『孤独のグルメ』の著者、漫画家・ミュージシャンの久住昌之氏、その前は秘境モノのノンフィクション作家・高野秀之氏の本棚が紹介されている。前者は漫画やサブカル系が目立ち、後者には旅や言語の本のほかガルシア・マルケス、バルガス・リョサなどラテンアメリカ作家の小説も並んでいる。


 そこには『人生と人柄』が詰まっている──。コーナーの惹句が言う通り、本棚を眺めれば、その持ち主の像がぼんやりと浮かび、自分と関心領域が重なるようならば、未知の人物でも親近感が湧く。私は無機的なミニマリストより、やはり本に囲まれて生きる人が好きなのだ。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。