この1年半、新型コロナウイルスで明け暮れた。いや、今でもコロナ、コロナである。なかでも新型コロナでメシを食っているのはテレビではないかという気がする。


 昨年2月の豪華客船「ダイヤモンド プリンセス号」で発生した新型コロナ騒動は言うまでもなく、その後の全国一斉の自粛宣言、さらに自粛解除後のGo To トラベルでも朝から晩までテレビ番組はコロナ、コロナの話題だった。Go To は全国に新型コロナウイルスをばら撒くのではないかと思われたが、テレビの放送内容はGo To をどういう風に利用すれば安くなるとか、お得です、といったものだったのには驚いた。


 かつて、ある女性週刊誌の編集部に、東北の温泉旅館組合から「1億円を提供するので旅行記事を書いてほしい」という要望があった。周知かもしれないが、女性誌ではタイアップ記事も多い。最新の流行のファッション記事の場合、記事の末尾にそのファッションを扱っているお店の電話番号を書いている。たぶん、ファッションを扱うメーカー、店舗が“協力”してくれたのだろう。


 実は、筆者が週刊誌時代、その手の女性に人気の業者のことを書いたことがある。むろん、大人向けの一般週刊誌だから中身は皮肉っぽい。すると、発売日の夕方、その業者の人が抗議に来た。取材した同僚と面会して週刊誌側の意向を説明したが、なかなか納得してくれない。それはそれでいいのだが、先方が言ったことに驚いた。


「どの女性週刊誌でも記事の後に当店の電話番号を書いてくれるのが当り前なのに、お宅の週刊誌は電話番号を書いていない!」と抗議したのだ。今はどうなっているか知らないが、週刊誌の全盛時代には女性誌の収入の7割は広告で、3割が購読料といわれ、対して一般週刊誌はその逆で、収入の7割が購読料、3割が広告収入だった。


 だから取材対象の企業が広告を予定している場合、編集長自身が広告を外させた。気の毒にも、広告部は毎週、毎週、編集部がどんな記事を書くのか気にしていた。もっとも、購読料で成り立っているから、今日のように本を読む人が減ると、直に経営に響く。


 話を戻すと、当の女性週刊誌では提供額が大きかったのでベテランの記者を起用した。


 ベテラン記者は温泉旅館を1軒残らず訪れ、ゴミ箱から風呂場の照明や汚れ具合、さらに便所の掃除の具合まで見て回り、執筆した。むろん、どこそこの旅館の風呂の照明は薄暗い、便所は掃除が行き届かず汚い……等々、有りのままに書いたのだ。


 発売後、温泉組合が烈火のごとく怒ってきた。すると、女性週刊誌の編集長は1億円を付き返した。1億円を返すのはさぞ痛かっただろうが、記事のほうを優先したのだった。後に行った読者アンケートでは、この旅行記がダントツの1位になった。


 残念ながら、テレビにはそういう気概がない。番組をつくるプロデューサーは悪口でも何でもいいから話題になれば、視聴率が上がり、すると、広告が増える、という発想しかない。困ったものだ。


 そんなテレビ番組のなかで気になるものがあった。夜の衛星放送だったが、例によって安倍内閣時代から政府擁護の発言を繰り返す通信社出身の政治ジャーナリスト氏と民放の政治部長がコメンテーターとして登場し、新型コロナへの対応を聞く、といった番組だった。


 政治ジャーナリスト氏は相変わらず、菅首相擁護の話をしていたが、筆者が注目したのは、続いて発言した政治部長氏の話だった。


 週刊誌は記者クラブに属していないから政治の話を取り上げるときは、いつも親しくしている新聞社の政治記者から話を聞く。その場合、必ず数社の政治記者を取材し、何か変わった見方、面白い話が出ないか聞くのだが、その感触では新聞でもテレビでも政治部の部長や副部長、官邸キャップクラスの人は同じような発想をしている。こうした経験からいえば、1社の政治部長の話を聞けば、どこの新聞社の政治記者も大体同じ考えだった。


 で、テレビに登場した政治部長氏は概略、こんな話をしていたのだ。曰く、「菅首相はワクチン接種がなかなか進まないことから5月に入って自らハッパを掛けた。そのおかげで5月から医療従事者への接種、高齢者への接種が進みだした。首相が動いたことが効果を上げた。その功績は大きい」といった内容だった。いかに菅首相がリーダーシップを発揮したか、といわんばかりなのだ。確かにワクチン接種の進展はその通りなのだろう。


 だが、それっておかしくないだろうか。では、5月以前は菅首相は何をしていたのだろうか。菅政権の誕生は昨年9月のはずだ。すると、5月まで8ヵ月間もある。一体何をしていたのだろうか。


 昨年9月といえば、アメリカでは大統領選の真っ只中で、トランプ大統領はワクチン開発に1兆円を超える資金をつぎ込み、「もうじきワクチンができるから心配いらない」と訴え、対する民主党のバイデン候補は「私が大統領になったら90日間で1億人にワクチン接種をする」と訴えていた。


 ヨーロッパではどうか。イギリスのジョンソン首相はワクチン接種のために接種の打ち手にボランティアを募集し訓練を始めると発表し、ドイツではメルケル首相がワクチンが始まるまで外出を控えるように国民に説得していた……。フランスも同様で、どこもトップが先頭に立ってコロナ対策を奔走していたのだ。国民より先を読み、どうすべきかリーダーシップを発揮していたのである。ところが、日本の菅首相は年末に向かい感染者が急増し、世論が沸騰するまで何もしなかった。


 政治部長氏が言うべきなのは、「菅首相は5月からリーダーシップを発揮した」ではなく、「菅首相は5月までコロナ対策を厚生労働省任せでリーダーシップを発揮しなかったが、5月になってようやく動き出した」ではなかろうか。ジャーナリストなら、5月からの行動を称賛するのではなく、それまでの8ヵ月間の行動を語るべきではなかろうか。


 さらにいえば、今、オリンピック・パラリンピックをどうするか騒ぎになっている。G7では「各国が東京オリンピック開催に賛成し、協力を取り付けた」と強調した。しかし、G7の前に、国民に向かって「是非オリンピック、パラリンピックを開催したい。そのためにこれこれの施策を進める」と先に言うべきだろう。国民に率直に何が必要かを語ることこそ、もっとも大事なのではないか。


 オリンピックを開催するなら、ワクチンを進めることこそ必要だということくらい誰でもわかる。


 イスラエルはワクチン接種後の健康情報をファイザーに提供する代わりに、いち早くワクチンを手に入れて接種し、アメリカではバイデン大統領が就任後90日間に公約以上の2億人に接種している。イギリスではアストラゼネカのワクチン接種を遮二無二進め、フランスではマクロン大統領が「イギリスはワクチンを契約通りによこさない。訴える」と怒っていた……。


 そんなことは誰もがテレビで見て知っているのに、わが首相だけは動かない。接種は厚労省、配布は河野大臣に、ワクチン購入の交渉は外務省に任せていたらしい。高齢者向けワクチンが始まったら予約申し込みが大混乱になったのは言うまでもない。高齢者の人数より確保したワクチンの数が足りなかったのだから当然だ。


 1人のおばあちゃんのために娘や息子、さらに孫も加わってネットと電話で申し込んだのだ。ネットも電話もつながらないのは当たり前だ。国民はワクチンをしなければ、感染は収まらないと身体で気付いていたのである。気付かないのは菅首相だけ。支持率が低かったのも当然で、洞察力も判断力も決断も実行力も欠如していたというしかない。


 もっといえば、オリンピックを開催したいなら、いち早くワクチンを確保し、国民の4割くらいに接種しなければならないことくらいわかりきったこと。国民はワクチン接種が行き渡らないことから感染リスクを感じてオリンピック、パラリンピック開催に反対の声や、延期すべきだという意見が多いのだ。菅内閣の動向を見ていると、オリンピック開催までの日にちが迫るのを待って、「もう間に合わない」からオリンピックを開催する、といわんばかりだ。


 ワクチンがイギリス、アメリカで緊急承認したのが昨年12月だから、菅首相が1月ごろからワクチン接種に全力を注いでいたら、世論調査でオリンピック開催に反対したり、延期すべきだなどという声は少数になったはずだ。政治記者が菅首相のリーダーシップの欠如を問題にし、政府の尻を叩いたら事態は変わっていたはずだ。


 加えて、東京では高齢者の接種に時間がかかっているのに、地方の県では高齢者接種が終わり、16歳以上の若者への接種を進めていて、なかには子供への接種に反対する声が自治体に寄せられ、接種を中止したという話も報道された。


 これっておかしくないか。すべての都道府県に平等にワクチンを配布したから起こることだ。1300万人が住み、感染者が増えている東京都と、人口が少なく感染者も少ない県を公平に扱うのは本当に平等なのだろうか。早急な感染対策になるのだろうか。ましてオリンピック・パラリンピックを開催したいなら、主催者である東京都を最重点に、各競技会場になる近隣県で重点的に接種しなければ、感染リスクは下がらない。開催に反対、延期を主張する人たちを説得できるはずがない。


 かつて週刊誌時代の上司が、1票の格差問題を「東京に住む人は首から上だけが人間だよ」と言ったが、「公平という名の不公平」ということではないのだろうか。


 なぜこういうことになるのか。原因には政治部記者が永田町しか見ていないことにあると思う。自民党の派閥担当記者がテレビ、新聞社で幅を利かせているからだ。外信部がアメリカやヨーロッパ諸国でワクチンの奪い合いが起こっていることを日本国内に伝えても、政治記者がそれを見ていない。見ていても、外国の話だ、と自国と比較しないことにある。


 実は日本の新聞社では新人を含めた若い記者が最前線で活躍する。各省庁の記者クラブに所属するのだ。かつて親しいベテランの経済部記者とお茶を飲みながら雑談したとき、なぜ東証の記者クラブの兜クラブには若い人ばかりなのか聞いたことがある。


 ベテラン記者が1人だけいるのは日経新聞だけだったからだが、知人のベテラン記者は「新入社員はソニーやトヨタ、日本航空など有名企業しか知らない。だから日本の会社名を知ってもらうために新人記者を兜クラブに配属させる」と言ったのだ。ベテランになると、クラブのキャップになり、さらに本社でデスクとして若い記者が書いた原稿を見るだけになってしまう。政治部記者も同じで、経験の浅い記者が総理大臣や各大臣の「ぶら下がり」記者として取材している。


 これでは記事内容が、問題点が掘り下げられない。欧米の新聞やテレビのように、若い記者ではなく、ベテランの記者がしつこく食い下がるような取材をしてほしい。報道機関が昔と変わらず、政権にべったりの取材をしているようでは若い人が新聞を読まなくなり、テレビを見なくなってしまうのも当然である。


 もちろん、欧米でも新聞を読まなくなっている。だが、そういう時代を迎えて、ニューヨークタイムズなどは調査報道に軸足を移している。その調査報道で政権があたふたしている。日本の新聞、テレビも変わってほしいと思う。批判があってこそ民主主義は発展するからだ。(常)