ジャーナリストの立花隆氏が亡くなった。4月末のことだったそうだが、訃報が流れたのは、この水曜日(6月23日)。今週発売の週刊誌には間に合わず、追悼特集は来週以降に持ち越された。毎週、各誌最新号の話題を追う本コラムでは、本来なら来週まで待つべきだが、高校時代から氏の著作をむさぼり読み、憧れたファンとしてはいたたまれず、去来する思いを書かずにはいられない。


 残念ながら、お目にかかる機会はついぞ持てなかった。唯一の接点として、拙著がかつてノンフィクション賞にノミネートされたとき、氏に選評のコメントで触れていただくことがあった。あいにく、拙著への言及はかなり手厳しく、正直「凹んだ気分」になったものだったが、一方で作品の性格と氏の好みから判断して辛口の評価になるであろうことは、ある程度事前に予想できてもいた。


 端的に言って、氏のノンフィクション観は、「よくぞここまで調べ上げた」「目からうろこの新事実だ」というような、取材・調査の徹底を重視するものだった。さまざまな書評、作品評を書くなかで、筆者の筆力や構成、分析に言及することもないわけではなかったが、ほとんどの場合、氏の期待は「圧倒的な取材」にこそ置かれていて、それは終始一貫した彼の姿勢だった。


 そのことは本人の作品にも顕著だった。取材データをぎっしり詰め込んだ緻密な作品群。それでいてどの本も、すっきりと読みやすく仕上げられていて、氏は筆力においても傑出した力があったことが明白だが、かといって情緒的な筆運びだけで読者を惹きつける「ごまかし」は一切しなかった。データとロジックでモノを言うことが鉄則。雑誌ジャーナリズム黄金期という時の運にも恵まれて、氏の仕事はデータマンを率いたチーム取材のスタイルで、たいていは行われた。その徹底取材ぶりは、さまざまに語り継がれている。


 たとえば、週刊朝日で巨大組織・農協の長期連載をしたときには、取材班の各人にまず電話帳のような分厚い農業年鑑を手渡して、無味乾燥な統計諸表から取材ポイントを読み解くよう指示したという。文藝春秋で田中角栄の金脈研究に着手した際には、土木業界の資金の流れを知る前に、土木の世界をきちんと理解しておくため、立花氏自身、土木工学の専門書を何冊も読み込んだと言われる。さりげない取材のやり取りで、専門用語まで理解する取材者には、相手も腹を据え、対応してくれるという。法学や医学、動物学、宇宙工学など、とてつもなく多分野で、専門家顔負けの仕事ができたのは、ひとえに氏の貪欲な知識欲があってのことだった。


 もちろんそんなやり方は、ほとんどのフリー取材者には真似できない。限られた時間と予算に縛られて、そこまでの事前準備は無理だからだ。近年は出版社も手厚い支援体制を組む余力を失っている。「才能」と「時代」の双方に恵まれて、初めて氏の著作群は生み出されたわけだが、私たち後進の人間がもし同レベルの作品を書こうと思ったら「生計を立てる仕事」とは別に、収支を度外視したライフワークにするしかない。そんな形で取り組むなら、人生で一度か二度、本当に満足のいく作品が書けるかもしれない。私自身、死ぬまでに一冊でも、そんな本を書きたいと夢想する。


 今週号の各誌誌面では、週刊文春の『「中川医師会長はコロナ患者を見殺しに」職員5人が告発』と、週刊新潮の『言い値が通る膨張「IT予算」暗闘の舞台裏 「平井卓也デジタル大臣」vs.「NEC」 暴言騒動の背後に疑惑の「慶大教授」』が目を引いた。


 立花氏が残した名著の数々は、あらゆるジャンルの報道で「徹底取材」が重要なことを私たちに気づかせるが、残念ながら近年では、スキャンダル分野でごく一部の媒体が、その挑戦をするだけになってしまった。これがさらに先細りしてしまい、「調査報道」の対象は芸能ゴシップだけ、というような事態にならぬよう、願わずにはいられない。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。