作家の保阪正康氏によれば、終戦の翌々年に小学校に入学した立花隆氏は自分たちの世代を「100%の戦後民主主義世代だ」と語っていたという。21歳下の私もギリギリ似た雰囲気を味わえた年代だと思う。わかりやすく言えば、手塚治虫や石森章太郎等々のマンガ家(トキワ荘出身の人々)が表現した価値観を我がものとする世代である。


 それでも昨今はかなり悲観的になり、「民主主義など所詮は幻想だ」と諦めそうになる。日本人だって2~3世代以上先祖にさかのぼれば、非民主的な体制下で代々ずっと生きてきたわけだし、21世紀の今日も、そういった国が世界レベルでは多数派を占める。先進国の体制にしたところで、内実はさまざまに欺瞞に満ちており、国民も十分それを知っている。程度の差こそあれ、人間はみな「不当な支配下に生きること」を避けられず、それでも人生の喜びや幸福はそれなりに感じてきたのである。何というか、そんな冷めきった眼で世の中を見るほうが、精神衛生上、ずっと楽な気がするのだ。


 とは言っても、ミャンマーや香港のニュース映像を見ると、やはり心が揺さぶられる。民主主義を切望し、文字通り「命を懸ける」民衆がいる。自分にはそこまでの勇気はない、同じ状況下に置かれたら、きっと日和ってしまうだろう。それはわかっているのだが、抵抗者への敬意、そして弾圧者への嫌悪を禁じ得ないのだ。


 今週のニューズウィーク日本版では『暗黒の香港』という総合タイトルのもと、『香港が警察都市に変わった日』『こうして言論の自由は死んだ』『変わり果てたあなたを憂いて』『英国に逃れた民主派の叫び』といった記事が内外のジャーナリストや研究者によって書かれている。また先に中国共産党が結党100周年を迎えたことに絡め、その関連記事も載っている。


 そのひとつ、『中国愛国者たちの因果応報』というコラムでは、2年前「私たちは香港警察を支持する」というメッセージをSNSに出した若者の所属大学を含め南京の5つの大学に突然の統合案が持ち上がり、学生の抗議行動が起こったが、警察の不当な弾圧をいくら訴えても、SNS世論の反応は「警察を支持する」という冷たいものばかり。コラム子は「未熟な愛国者の彼ら(中国の若者)は、政府批判を許せない売国行為と考える。『売国奴』の自由派知識人は、今ほとんど口を封じられたか、逮捕されたかで、中国ネットから消えた」と綴っている。


 総合週刊誌がスキャンダルジャーナリズムか、高齢読者向け埋め草雑誌のいずれかに二分化されるなか、こうした特集を組むニューズウィークの姿勢は尊いが、惜しむらくは掲載記事がみな時事解説に留まり、ぐいぐいと読者を引き込む迫力に欠けることだ。テレビやネットでニュースに触れ、「心を動かされた人」のごく一部が特集に手を伸ばすと思われるが、ニューズウィークで初めて現地の様子を知り、「心を動かされる人」はおそらくいないだろう。毎号こうした硬派の特集を組み、商業的にも成立させるには、常に最低1本は迫力ある記事がほしいところだが、そのためには取材コストをかける必要がある。売り上げと取材費、それはまさに鶏と卵の関係で、一方がなければもう一方もない。


 先週は触れられなかったが、20年以上続いた作家・小林信彦氏の週刊文春コラム『本音を申せば』が、第1117回をもって最終回となった。88歳の高齢を理由とする幕引きなのだろう。最終回タイトルは『数少ない読者へ』。映画評論家としても知られる氏のコラムには毎回、さまざまな作品や監督・俳優をめぐる蘊蓄が時代背景とともに書かれることが多かったが、最終回はこんな書き出しになっていた。


「日本の社会は、遠慮がちに言っても、荒れ狂う嵐の中にいる状態だと思う」。あの戦争も体験した小林氏には、今回の五輪をめぐるドタバタが昭和15年(1940年)の「皇紀は二千六百年」のバカ騒ぎとダブって映るという。果たしてその先に待つ時代は……。名コラムニストの最後の言葉を噛みしめたい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。