宮城県が7月、上水道と工業用水の民営化を決めた。導入するのは、施設は自治体が保有し、運営権だけを民間企業に売却する「コンセッション方式」と呼ぶ方法である。売却先は日本の水処理大手「メタウォーター」とフランスの水メジャー「ヴェオリア」、オリックス、東急建設など10社で構成するグループで、来年4月の事業化を目指している。もちろん、日本で最初の試みである。


 実は、宮城県では「みやぎ型管理運営方式」と呼び、上水道と工業用水の民営化を計画し、企業に参加を呼び掛けた。手を上げたのは前出のメタウォーターグループのほか、前田建設工業を中心にフランスのスエズウォーターサービス、東急などが組むグループと、JFEエンジニアリング、水ingAM、東北電力などで構成するグループ。


 応募したなかで、最も条件のいいメタウォーターグループが選ばれた。なにしろ、県側が求めた20年間でのコスト削減額が197億円であるのに対し、メタウォーターグループの提案はなんと100億円近く上回る287億円だったのである。


 村井嘉浩知事は「人口が減少し、水の需要が減り続けている。その一方、水道管の老朽化が進み、その更新がこれから本格化する。それらを水道料金で賄うと試算すると、40年後には水道料金は最低でも1.5倍になる。しかし、浄水場の点検方法や人員配置など、民間企業の裁量に委ねることで経費を節約できる。ざっと計算すると、20年間での337億円経費を節約できる」と説明する。


 そして「水道施設は県が所有し続け、運営権だけを民間企業に売るもので、民営化とは異なる」としきりに強調する。浄水場やポンプ施設までは売らないから、心配する必要はないということらしい。


 上水道の民営化は十数年前から盛んに言われるようになった。小泉純一郎内閣が叫んだ「規制改革」「民間でできることは民間に任せる」という流れからだ。早速、世界3大水メジャーと呼ばれるフランスのスエズウォーターやヴェオリア、イギリスのテムズウォーターが日本の水道事業の受注を狙って秘かに東京に事務所を開設。日本の水処理会社も水メジャーの事業内容を調べ、子会社を設立して参入しようとしていた。


 以前、もし水道が民営化されたら、どうなるのだろうと、取材を始めたことがある。だが、当時は新聞社の経済記者もほとんどの人が水ビジネスがあるとは考えていなかったらしく誰も知らない。パリやロンドンに駐在したことがある外信部の記者も現地で民営化されていることを知らなかった。興味もなかったのだろう。今日ではメディアに登場する「水ジャーナリスト」というような人も皆無だった。そこで上水道民営化の受注に乗り出した水処理会社に取材してみた。すると、期待に反して社長は「日本では無理ですよ」と言うのだ。


「すでに下水処理事業や工業用水の分野ではあちこちの自治体で民間会社が請け負っています。パリやロンドンで上水道の民営化が始まっているので、日本でも始まるだろうと当社も乗り出しました。しかし、あちこちの自治体に提案してみましたが、どこも民営化する気はない。そもそも日本では昔から上水道はお上が用意するものだという考えなのです。ペットボトルの水はともかく、国民が飲む水道水と生活用水は民間企業がやるべきではない、という発想が国民の間にある限り、上水道の民営化は無理でした。ヨーロッパのスエズもテムズも日本で民営化による受注が可能かどうか探っている状態です」というのである。


 言うまでもなく、人類は水と深く関わって生きてきている。世界4大文明もエジプト文明はナイル川、アラビア文明はチグリス・ユーフラテス川、インド文明はインダス川、中国文明は黄河沿いで始まっている。ロンドンもパリも奈良、京都、大阪など、その後の都市もみんな川のそばである。水なしでは人類は生活できなかったのだ。その水をビジネスにするというのは土台、無理なのかもしれない。


 話は変わるが、今北アフリカではエチオピアとエジプトがナイル川の水を巡って激しく争っている。エチオピアがナイル川の源流のうち、水量の多い青ナイル川に6450万メガワットという巨大なルネサンスダムの建設を巡っての水争いである。


 それにしても流石にスケールが大きい。日本の大型原発は大体1基120万キロワットだ。事故を起こした福島第1原発の原子炉は1基の発電量は45万キロワットに過ぎない。ルネサンスダムはかつて話題になったエジプトのアスワンハイダムの10倍もあるというのだから凄い。


 エチオピア側はこの巨大ダムで上水道を賄い、農業と工業に利用して国家の発展を図ろうという大計画だが、エジプト側はこのダムの建設でナイル川の水量が減るため、エジプトの飲料水や農業用水が壊滅的な影響を受けると大反対なのだ。


 10年前にはエジプトの大統領が「ダムをつくろうとするなら、爆撃する」と警告発言したことさえある。エジプトも南のスーダンも、さらに南のエチオピアも年間雨量が50ミリしかないのだという。一晩に1000ミリもの豪雨に苦しむ日本には想像もできないが、ナイル川が干上がったら、下流の国家はもたないのだ。結果、今やエチオピアのシバの女王の子孫とエジプトのファラオの子孫が争っている形勢だ。


 日本でも同じだ。古来、田んぼの水利権を巡って村同士が争いになってきたし、大名同士が睨み合いになることもあった。江戸時代には幕府の許可なくして私的に水を利用することさえ禁じられている。その代わりと言ってはなんだが、幕府は多摩川から取水した多摩川上水を引き、市民の飲料水として提供した。さらに神田川上水などもつくり水量を確保している。


 歴史上、水道を持っていた都市は古代ローマと近世の江戸だけなのである。花のパリもロンドンも水道がなかった。水道の歴史が浅いだけにヨーロッパでは上水道の民営化にはさほど抵抗がなかったのかもしれない。その証拠に日本でも下水と工業用水は明治以降につくられただけに民営化には抵抗がない。


 だが、その後、パリでもロンドンでもアメリカでも上水道の民営化は大問題になった。理由は簡単だ。民営化数年後には逆に水道料金が高くなってしまったからだ。公営では上水道に携わる職員の給与は本庁の給与体系と同じだから、単純な仕事でも勤務年数に応じて給与が上昇する。しかし、民営化すると、単純な仕事の人の給与は低く抑えるし、人員も最低限の人数にするため、人経費は低くなり、検針なども合理化することで水道料金は安くなる。民営化の効果が表れる。


 ところが、数年も経つと、安かった人件費も次第に上げざるを得なくなる。民間会社だから株主への配当も必要だし、利益を上げなければならない。古くなった水道管に代えて新しい水道管を敷設するには巨額の借り入れが必要になり、その返済と金利も加わる。そのため民営会社は利益を確保するために水道料金を引き上げざるを得なくなり、それは市民の反発を買う。水道料金を上げなければ民間会社は経営を維持できないのだから、水道料金を払わなければ水道を止める、と言い出す。


 漏水している古い水道管の更新も行なわなくなる……。結果、パリもロンドンも市が民営化した上水道の権利を買い戻さざるを得なくなる。だが、今度は民間会社が高値での買い戻しでなければ応じないのだ。市民が飲む上水道を人質に取っているのだから民間の水道会社のほうが強い。高値で買い戻すしかないのだ。こうしてパリもロンドンも水道の民営化は失敗に帰している。以来、欧米では水道の民営化は余り話題にならなくなった。


 さて、宮城県はどうなるのだろう。「コンセッション方式だから心配はない」と言っても、民営化はほとんどがコンセッション方式である。施設そのものを売却するとなると、金額は数千億円、いや数兆円に上り、とても採算が合わないからで、安心かどうかでコンセッション方式になったわけではない。コンセッション方式だというのは相手を納得させるための方便にすぎない。


 さらに、「古くなった水道管の取り換えに巨額の費用がいる」というのにも首を傾げる。確かに巨費がかかるだろう。だが、マンションを購入すると必ず管理費の中に「修繕積立金」というのがある。将来、必要となる改装、修繕に備える積立金である。上水道ではつくったときに、将来、必ず必要になる修繕積立金を自治体が積み立てておかなかったというだけに過ぎない。


 もっとも、民営化後、問題になったとしても、そのときには知事も民営化に賛成した議員も代わっているだろう。子孫に美田を残さず、なのか、それとも後は野となれ山となれ、なのか。5年、10年後に民営化の効果がどうなるか、蓋し、見ものだ。(常)