7月4日(日)~7月18日(日) 愛知県体育館


 コロナ禍では初の地方開催となった名古屋場所。優勝争いの最終盤で大横綱がまたも卑怯相撲。「そうまでして勝ちたいですかね」(舞の海)のコメント以外、言葉が見つからない。1年ぶりの皆勤賞でも白鵬の辞書に「正々堂々」はなかった。


大関の早期休場と成長株の明暗

 早くも2日目に波乱が起きた。大関・貴景勝は逸ノ城(西前頭2枚目)との対戦で立ち合った直後、まっすぐ後退しそのまま土俵を割った。逸ノ城は異変を感じたのか、組んだとたんに両腕の力を抜き大関の体をいたわった。土俵下にうずくまる大関はその後車椅子で退場。翌日から休場した。「首に電気が走った」と語った。痛めた場所が場所だけに、力士生命を縮めることにもなりかねない。


 初の三役と番付を上げて期待された若隆景(東小結)だったが、大きく負け越した。同じく成長株の豊昇龍(西前頭5枚目)に下手投げを食らって完敗。がっぷり四つからの投げ合いで見事に転がされ、きまり悪く支度部屋に下がっていった。小兵同士で今後も好敵手になりそうな2人だけに接戦を予想したが、今場所の若隆景は精彩を欠いた。立ち合い鋭く動きも俊敏な若隆景の相撲は好感が持てて面白い。しかし、人気と期待に少し押し潰されたかもしれない。一方の豊昇龍はモンゴル力士としては3歳上の霧馬山を凌ぐ勢いがある。次期大関候補の筆頭にのし上がってきた。


14日目に起きた世紀の愚戦

 6場所連続休場していた横綱白鵬。いろいろと話題になる相撲を取ってくれた。盛り上がったのは確かだが、最後の2日間で大いに株を下げた。7日目の翔猿戦は解説の北の富士がいみじくも指摘したように「初っ切り」だった。翔猿は組み手を嫌って最後部で仕切り、ぶつかることなく立ち合った。横綱は冷静に相手を見て距離を取る。しばらく睨み合いが続いたが、翔猿が堪えきれない。自ら飛び込んでいくかのように接近し、まんまと白鵬の掌中に収まった。


 今場所が終わって振り返るとき、14日目の茶番はこれにヒントを得たのかとさえ感じる。翔猿がやった手を横綱が正代相手に演じたのだ。もう一度世紀の愚戦を振り返ってみよう。白鵬が土俵際にまで下がって先に腰を下ろし、蹲踞の構えを取る。普通、番付上位の者が遅れて蹲踞の姿勢を取るが、この日は大横綱が先に腰を落とした。それを見た正代は呆然と立ち尽くしたが、横綱は動こうともしない。ヌルッと立った両者。悪手のビンタ(張り手)を2発3発見舞う白鵬。ひるむ大関を見逃さず回しを取った横綱が寄り切った。


 白鵬は、正代がごくたまに見せる立ち合いの変化を極度に警戒した。あるいは組み手争いで負けて正代得意の両差しになることを警戒し、世紀の奇策を思い付いた。前述のように翔猿を真似て、土俵下で見守る照ノ富士に見せつけ、翌日の一戦に対して精神的な揺さぶりをかけたのかもしれない。


 しかし、44回も賜杯を手にしている不世出の大横綱のやることではない。この日星勘定で優勝次点の成績となり、横綱昇進当確となったモンゴルの後輩に示しがつくと思っているのか。晩年は張り手、かち上げの飛び道具を駆使して勝ち続けている。最多優勝回数に見合う評価をもらえないのは、こういう姿勢だからである。進退問題に対しても、「話せば長くなる」などと虚勢を張っているが、それなら土俵で示せばいい。そうしないから厳しい評価がなくならないのだ。


千秋楽を汚した全勝対決

 翌日の千秋楽。白鵬の取り口は前日に増して醜悪だった。長く睨み合う両者。横綱は左手で張り手すると見せかけてフェイント。続けざまに分厚いサポータを巻いた右肘を大関のあご目がけ、狙いすまして強烈なエルボーチョップをかます。立ち合い前の火花で平常心を失った照ノ富士はこれで一気にヒートアップ。張り手の応酬になって横綱の術中にまんまとはまった。それでも四つ組んでがっぷり組んだときは照ノ富士のものかと思われたが、白鵬は小手投げを連発して大関の体を左右に振り、最後は中央に転がした。


罪深いビンタ横綱の所業

 勝てばいいという白鵬の考え方は、下の者に確実に悪い影響を与えている。それが2日目の十両「炎鵬-貴源治」戦だ。小兵のアゴを故意に狙ったアッパーカットを連発、土俵際でもつれて取り直しになった。しかし、炎鵬に脳震盪の疑いがあり、再戦はならず不戦敗。貴源治は足を取られて苦戦するのを嫌い、パンチをかまし続けた。たび重なる暴行事件を起こして角界を追放され、格闘技に転身した双子の兄同様、この力士の素行も並外れている。横綱貴乃花が育てた力士は、かくのごとし。


「大横綱が堂々とビンタをかますのだから、下っ端の俺たちが」と思う若手がいてもおかしくない。もしそうだとすれば、白鵬の罪は深い。(三)