東京五輪が前代未聞のカオスの中、いよいよ開幕した。いざ始まれば「がんばれニッポン」の合唱に不平不満は搔き消される。主催者・政権サイドには、そんな希望的観測もあったと言われるが、何しろ開幕の直前になって式典関係者が、過去のいじめ問題やホロコースト揶揄を追及され、相次いで失脚するドタバタぶり。テレビ報道も「五輪賛美一色」には染まらず、「それはそれ、これはこれ」で大会運営と競技内容を切り分ける「2本立て」で五輪を伝えてゆくスタンスになりそうだ。


 何しろ東京では、第3波を凌駕しそうなコロナの第5波が到来しつつある。五輪の有無にかかわらず、不可避の流れだったかもしれないが、政権側が昨年来、ずっと回避したかった「最悪のシナリオ」に外ならず、その一事を見るだけで、この国のコロナ対策が事態をまるでコントロールできずにいる「無力さ」が際立って見える。


 この時期になぜ五輪を開くのか。そんなそもそもの疑問から始まって、観客を入れるか入れないかの逡巡、「バブル方式」のお粗末さ、関係者の醜聞続出など、あまりに万事後手後手となる政府・主催者の不手際も、人々を苛立たせる。ただし、個人的な意見を言うならば、私はこの事態を、日本社会の「膿を出すきっかけ」として、むしろ前向きに捉えている。「多様性と調和」という、本当はこの国には荷の重いテーマを打ち出したこともあり、我々は自らの現状を自覚できたのだ。


 何かの番組でフェンシング協会の武井壮・新会長が「日本のスポーツ団体の閉鎖性、社会性のなさ」について、JOCや組織委員会の不手際と絡めて語っていた。考えてみればここ数年、ボクシング協会の内紛や日大アメフト部の醜聞など、スポーツ界の「ボス運営」にまつわるトラブルが各競技で噴出した。五輪をめぐるドタバタはある意味、そんな「日本型スポーツ村社会」の問題が集約化して現れた状況にも思えるのだ。


 一昨年のNHK大河『いだてん』で、主人公の田畑政治率いる水泳連盟が東大水泳部のプールを拠点にしたように、かつての学生スポーツには文武両道の色彩が後年よりずっと強かった。各県の旧制一中、二中を前身とする名門公立高校の歴史を紐解くと、その多くで昭和20年代までは甲子園出場など全国レベルの活躍が各競技に見られた。文武を完全に切り離し、一部の私立校が有望選手を掻き集め、セミプロ化してゆくのは60~70年ごろからの現象だ。指導者や上級生に絶対服従を強いられる「スポーツ村の不条理」は高度成長期以後、スポ根世代から顕著になってきた特徴なのである。そしてこの時代の中高生こそが、現在のスポーツ界を牛耳る指導者層なのだ。


 何が言いたいかと言えば、64年の第1回東京五輪を実現したスポーツ界の人々は、現在よりずっと社会性を持つ人たちではなかったか、ということだ。「体育会的」という言葉が指し示す閉鎖性の問題は、昨今の忖度文化にもつながってきたように思う。今回の五輪問題では少数の女性アスリート、元アスリートが、こうした状況に批判の声を上げていたが、これを機に過去半世紀、スポーツの名のもとに許容されてきた「ブラック企業的不条理」が解消に向かうのなら、歓迎すべき流れに思えるのだ。


 今週は週刊文春が『五輪スクープ列島』という大特集を組み、『組織委最高幹部が告発 バッハノーベル賞欲しさで「北朝鮮に行く」』のメイン記事のほか、『「障がい者イジメ」小山田圭吾“一派”を抜擢したのは渡辺直美侮辱男だった』などの記事を掲載。週刊新潮は「有観客試合」を強行する宮城・村井知事を称えるなど独自の立場だが、『不思議の国の「東京五輪」』という特集を組んでいる。私自身は以前からスポーツ観戦好きなので、「それはそれ、これはこれ」の精神で、好きな競技の応援を楽しみつつ、ドタバタ開催のもたらす社会変容も見守ってゆきたいと思う。


………………………………………………………………

三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。