先週に引き続き、沖縄でこのコラムを書いている。前回、少し触れた自民党若手勉強会における作家・百田尚樹氏の暴言問題は、あれから1週間、沖縄で連日トップニュースとなり、安倍首相は国会でついに自身の責任を認めたうえ、沖縄県民に謝罪した。
関係議員3人を処分したことも含め、安保法制審議に混乱を飛び火させないための“低姿勢”だろうが、対沖縄政策という観点でも、もはや現地の憤りが“発火寸前”のレベルに高まっている、という“情勢判断”に、遅ればせながらたどり着いたのだと思う。
実際、現地にいると、皮膚感覚でこの何ヵ月間の激変を感じる。2月の訪問時には、翁長雄志知事との面会を頑なに拒絶した首相や官房長官の対応を、地元の翁長支持者らは「そういう対応をされればされるほど、県民は結束する」と余裕の笑みを見せ、語っていた。ところが、今回の一件では「あなたたち“ヤマトのメディア”に何を言っても無駄な気がする」と、取材者の私にまで憎悪の矛先が向けられたのだった。
県政野党の自民党ベテラン県議も「いまや問題は、辺野古がどうこう、という話ではない。沖縄県民の70年間の怒りに火が点いてしまった」と頭を抱えていた。そんな現地情勢の深刻さに、政権もようやく気付いたのだろう。
思慮のない若手議員らの言う通り、「偏向した沖縄2紙」が騒ぎの元凶だと思うなら、実際に広告主に圧力をかけるなど「懲らしめて」みればよい。現地世論はその時こそ、かつての「コザ暴動」並みの騒乱に結び付くだろう。自民党沖縄県連の幹部らは週明けにも上京し、実情を訴えるようだが、党本部もじっくりと耳を傾けて、頑なに高圧的な姿勢を取り続けるリスクをそろそろ考えたほうがいい。
さて、そんな騒然とした雰囲気の中、今週は文春と新潮という“親安倍”の両誌も、さすがに政権への批判記事を掲載した。とくに文春は『自民党は死んだ』という強烈なタイトルに『マスコミは恫喝するくせに安倍首相が怖くて総裁選もできず「安保法制」では異論を封じ込め』と長文の副題をつけて特集記事を載せている。
異様なまでの“官邸ベッタリ”の報道を続けてきた文春が、いったいどうしたのか、と思う強烈さで、勉強会の問題を批判したこの記事では、党所属議員のテレビ出演キャンセルやリベラル系の勉強会の中止など、“物言えぬ空気”に覆われた党内“恐怖政治”の実情を暴いている。
記事によれば、これらの問題では幹事長代理の棚橋泰文議員が、発言をつぶす圧力を各方面にかけていたという。週刊新潮もやはり、この棚橋氏の名前を挙げ、『うぬぼれ「自民党」の構造欠陥』という記事を載せている。
ただ新潮のほうは、例の『殉愛』騒動で文春がやったように百田尚樹氏に2ページを与えて愚にもつかない弁明を書かせている。「2つの新聞はつぶさなあかん」のあと、実際には「けれども」と言っているとか、“壁耳”はルール違反だとか……。
そもそもこの勉強会は、安倍首相を応援するために著名な文化人を招いて“政権の正しさ”をアピールするためのもので、だからこそメディアにも告知しているのだ。“壁耳”も日常的な政治部記者の取材スタイルで、そんなことを知らない政治家はいない。本当に極秘の会合はこんな形で開くことはない。
ともあれ、この期に及んでなお、腫れ物に触るような形で百田氏を扱うところ、新潮は痛々しい。週替わりで主張が二転三転するいいかげんさは、ある種、ユーモラスにも思える週刊誌の持ち味だが、この2誌さえ迷走させてしまう状況が、現在の安倍政権の窮状を映し出している。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。