●形骸化すれば潜在的なパターナリズム
「聴く力」に関してはこの稿を最後にするが、基本的に現下の結論を先に述べれば、臨床現場における「聴く力」、つまり患者の話に耳を傾けるということ、イコール傾聴は、診療の世界で長く蔓延っていた伝説のパターナリズムを打破する具体的な道具として機能しており、診療の質を上げる点でのエビデンスも一部に認められていることを考えれば、今後も臨床における有力なツールであり続けるだろう、と考える。
しかし、傾聴を道具として、あるいは必須条件として存在を認められてきた古典的な医療行為、インフォームドコンセントを現状で考えるとき、「聴く力」の再評価は必然かもしれない。
前回は、医療側が独善に陥らない、患者の同意を得るというある意味美しい理想から出発したはずのインフォームドコンセントが、教条主義的な規則としての意味しか持ち合わせなくなっているのではないかという危惧を伝えた。
一連の診療行為の一環の中で極めてシステマティックに消化される行為としての同意取得では、この稿の本論としての「聴く力」とはかけ離れたものでしかなく、その再評価においては、医療ドラマでの約束事の「インフォームドコンセント取りました」とは何の関係もないということを明確にしておかなければならないと思う。
前回、哲学者の國分功一郎氏が対談講義集『〈責任〉の生成』で、OECDが提唱する「キー・コンピテンシー」を、「キー・コンピテンシーに象徴される現代社会というのは、パターナリズムの否定から生まれている」と述べていることを紹介した。
OECDのキー・コンピテンシーとは「単なる知識や能力だけではなく、技術や態度をも含むさまざまな心理的・社会的リソースを活用して特定の文脈の中で、複雑な要求(課題)に対応することができる力」と定義されている。現状で、インフォームドコンセント取得が「聴く力」の源泉とはとても思えない。「複雑な課題に対応できる」態度の力が「聴く力」であり、それはシステムのなかでの手続きの一環ではない。
●教条化したインフォームドコンセント
インフォームドコンセントに関しては、「告知」との関連も考えておくべきテーマである。がんの診療現場では、治療方針を患者に伝え、そのインフォームドコンセントを取得するためには「告知」が必然であるという考え方が今や支配的。ただ、それは医療者側に偏った常識なのかもしれない。がん患者の闘病記など、患者サイドの発信からは、少数意見だとしても、告知によって苦しんだ患者もいる。
さらに医療者のなかには、告知は家族のために必要不可欠という考えもあり、家族に告知すれば、患者への告知は家族に任すという戦略的な考え方すらある。しかし、インフォームドコンセントのために告知が必要という前提に立てば、告知は対患者という限定をしてもかまわないはずだ。
告知に関しては、がん専門医である里見清一氏が、7月8日付週刊新潮の連載エッセイ「医の中の蛙」で触れている。ただし、このエッセイの主題は安楽死で、告知はその例証として語られている。
「(日本でも、私たちが始めてから)10年余りで、癌の病名告知は『当たり前』になった。理由は『患者のため(自己決定権の尊重)』、あとはそれが『世界の趨勢』だからである。今や新聞紙上でも、ドラマでも、『ケースバイケースでの告知』なんて話は絶無である。考えてみれば『患者のため』はすべての医療における大前提で、告知をする・しないの理由にはなりえない。(中略)癌の告知がいつの間にか当たり前になって、若い医者はあっけらかんと『あと6ヵ月』なんて予後告知を簡単に行うようになった。それが『患者のため』だという大義名分がついているのだが、この大義名分は、世の中の『正義』の多くがそうであるように、どっちにもくっつく二股膏薬であることを、私は知っている」
告知、ことにいわゆる予後告知が一般化したのは「患者のため」という大義名分が認識されたからであり、キー・コンピテンシーに基づかない無責任なシステム略語になってしまった公算が強い。そして、インフォームドコンセントのために告知が必要だというのは、結局、それが再びのパターナリズムになるという予感を与えるのである。
●がん哲学外来の実績から見えること
教条主義に陥らずに、また大義名分化しないための「聴く力」の再評価はいかにあるべきかをここで考えるのは難しい。ただ、がん専門医ではなく病理医が2016年に刊行した『がん哲学外来へようこそ』(新潮選書)にヒントがありそうだ。
この活字は、順手堂大学病院の病理医、樋野興夫氏が2008年に同病院に開設した「がん哲学外来」での患者とのやり取りを語ったものだ。対話した数は16年当時で、家族も含め3000人。樋野氏が目指したのは、「言葉の処方箋」だというが、そうしたネーミングにやはりヒントが潜んでいると思う。人々をやさしく誘うために「臨床的な外来ではない」コンセプトは明確にしているが、外来というからには一定の治療的効果を目的に含まれていると理解してもよいのではないか。
著者はがんの臨床専門医ではない。そういう医師が、「がん哲学外来」の発想をどうして得たのか。著者は医学部卒業後、外科医を目指し、大学病院で外科研修医を経験したが、「人と話すことや患者の問診があまりにも苦手」で、病理医に方向転換したことを明かしている。人と話すことが苦手だった人が、がん患者や家族の話を聴く場を開くことを思い立ったと言う。さらに病理医としての長い経験から、がん細胞を診ながら、全体をみて細胞レベルの微小な世界を見ることの重要さを知ったことを明らかにしている。
患者や家族とのコミュニケーションが必要だと思い至る転機になったのは「クボタショック」。アスベストを原因とする中皮腫は、05年に大きな事件性を持って報じられたが、実は著者は95年に中皮腫の発生を早期に血液診断できるマーカー(ERC)を開発していた。つまり中皮腫の専門家で、そこで、同年、順天堂医院に「アスベスト・中皮腫外来」が設置され、患者との問診経験が始まるのである。環境発がんである中皮腫の患者たちは、みんな怒っていたと著者は記す。その怒りを聴くことが、「がん哲学外来」の原型となっている。
●話す機会をつくることも重要な仕事
著者は「哲学」とネーミングした発想の根源について、がんになるということは人生の一大事だが、患者が右往左往したり、うつになることは当然のことだという「受け止め」から根ざしていると述べる。「人生とは何か」「死とは何か」「人間とは何か」を考える教育が日本では遅れていることを、相談を受けながら実感している。哲学外来は、日本の教育に欠けている、まさしく哲学的思惟のトレーニング不足をカバーする役割として誕生したことがわかる。それは患者だけでなく、医療側にも欠けているものである。規則にし、教科書にし、思惟をシステムの道具に作り替えることに何の抵抗もない。
この本にはがん患者、その家族の対話を通じて明らかになる関係性などについてのエピソードがふんだんに挿入されている。がんに罹患することで得られるものがあるという見方は、簡単なようで、そうした経験のなかからしか生まれてこないという実感すら報告されている。
「がんと診断されることで品性が出て、品性が出ることで本当の希望が生まれる」「耐えられない苦しみはそうそう与えられない」「がんになることは前向きに生きるための気づきを与えてくれるいい機会」といった、著者の思惟が、さまざまなエピソードの積み重ねのなかから生まれている。
この活字世界のなかで最も重要なのは、患者が悩んでいること、気になっていることを主治医に話さないまま哲学外来を訪れることが多いという事実である。著者はもっとも重要なのは「情報を得る」ことではなく、「主治医との対話」、つまり聴く力であり、それがなぜなのかも解き明かしている。
いい医師の第一条件は「確かな技術を持っていること」だが、多忙ではあっても患者と話す機会をなくさないことを心がけることであり、それが大事な医師の仕事なのだと明確化している。「医師は生涯書生であり、社会の優越者ではない、医業には自己犠牲が伴う」ことが医師の在り方だと述べる。確かな技術を持ち、情報にも敏感だが、患者の対話を嫌がらないのがいい医師であり、患者は対話できる医師を探すことが必要かもしれない。
「聴く力」の重要性はインフォームドコンセントを得るためではない。告知のためでもない。「患者のため」は悪いことではないが、それをシステム化することで、「聴くこと」が形骸化し、なし崩しになり、隠れたパターナリズムになってしまう。「単なる知識や能力だけではなく、技術や態度をも含むさまざまな心理的・社会的リソースを活用して特定の文脈の中で、複雑な要求(課題)に対応することができる力」を「聴く力」に置き換えねばならない。
次回からは、「差別の医療史」を活字世界から渉猟していく。(幸)