数年に一度、高校生物の副教材を買う。『サイエンスビュー・生物総合資料』(実教出版)というシリーズだ。少し幅広のAB判360頁ほど。オールカラーで図解や写真をこれでもかというくらい掲載しているにもかかわらず、千円でおつりがくる。何の義務感もなく眺めていると、なかなか楽しい。

 中分子医薬(核酸医薬)の記事を書いた後に、たまたま頁をめくると「RNA干渉」が目に入った。「遺伝子の働きと遺伝子情報の発現」という章の「形質発現の調節」の項目だ。どの検定教科書や参考書にも書いてある話題というが、発見から二十数年とはいえ未解明な部分も多いため、「発展」や「コラム」扱いのことが多いようだ。



■高校生物の常識?「RNAi」


 RNA干渉(RNAi)は大学入試にも出題された(以下引用)。


…DNA・RNA・タンパク質を介して遺伝情報が発現する過程は、その各段階において様々な制御を受ける。そのような制御の一例として「RNA干渉」があげられる。RNA干渉とは、真核生物の細胞内に二本鎖のRNAが存在すると、その配列に対応する標的mRNAが分解されてしまうという現象である。無脊椎動物や植物などにおいて、RNA干渉は生体防御機構として重要な役割を果たしていることが知られている。

 RNA干渉において、長い二本鎖RNAはまず「ダイサー」と呼ばれる酵素によって認識され、端から21塩基程度ごとに切り離される。こうして作られた短い二本鎖RNAは、次に「アルゴノート」と呼ばれる酵素に取り込まれる。アルゴノートは、短い二本鎖RNAの片方の鎖を捨て、残ったもう片方の鎖に相補的な配列をもつ標的mRNAを見つけ出して切断する。さらに、切断された標的mRNAは別のRNA分解群によって細かく分解される。このように、RNA干渉には二本鎖RNAの存在だけではなく、様々なタンパク質のはたらきが不可欠である。…〔東京大学2017年前期入試生物・第1問〕


 スタンフォード大学のAndrew Z. Fire氏とマサチューセッツ大学のCraig C. Mello氏は、「RNA干渉―二本鎖RNAによる遺伝子サイレンシング(遺伝子発現抑制現象)」の発見により、2006年のノーベル医学・生理学賞を受賞した。両氏は1998年に線虫の実験でRNAiを発見し、Nature誌に報告。その後、哺乳類を含めた殆どの生物に共通にみられる現象であることが明らかになり、発見から8年というスピード受賞につながった。RNAiは、医学・薬学・生物学・工学など、さまざまな分野で生命現象や疾患に関わる遺伝子の機能を解析するツールとして利用されてきた。


 また、当初から疾患関連遺伝子を抑制する治療薬としての期待も高かったが、特に標的への送達上の課題があり、開発の道のりは平坦ではなかった。結局、2018年8月に米国で承認されたOnpattro(オンパットロ)が世界初のRNAi治療薬になった。開発は、Fire氏とMello氏自身が共同設立者となった米国Alnyram(アルナイラム)社。同剤は、有効成分patisiran(パチシラン:siRNA)を肝臓に送達するための脂質ナノ粒子製剤で、対象疾患はトランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーである。日本では翌2019年9月に販売開始となった。


■「核酸」即「遺伝子治療」という誤解


 DNA(デオキシリボ核酸)、RNA(リボ核酸)と聞くとセントラルドグマが思い浮かんでしまうが、核酸医薬の「核酸」は「タンパク質をコードしないオリゴ核酸」を指し、タンパク質に翻訳されることなく直接生体に作用する。一方、「遺伝子治療用製品」は「天然型核酸が数千塩基以上連結した遺伝子」で構成され、遺伝子発現を介して生体に作用するもので、両者は明確に区別される。




 核酸そのものの発見は、1869年に遡る。発見者はJohannes F. Miescherだ。 Francis Crick、James Watson、Maurice Wilkinsが「核酸の分子構造及び生体における情報伝達に対するその意義の発見」で、ノーベル医学・生理学賞を受賞したのが1962年。それから1970年代半ばまでは、「遺伝情報の伝達と発現過程における仲介者」としか見られていなかったRNAに対する固定概念が、研究の進展とともに覆された。表に示したのはごく一部だが、長い歴史とともに造られてきた関連用語を見るだけでも、門外漢は圧倒されてしまう。


 さらに、40億年前の太古の地球において、RNAが生命誕生の鍵を握っていたとする「RNAワールド仮説」(Gilbert、1986)にも、根強い支持者がいるという。高校生物の資料集にも小コラムがあり、「最初の細胞はRNAだけで、遺伝子と酵素両方の働きをしていたとする仮説」である、RNAを遺伝子とするウイルスがいることや、RNAが酵素(触媒)として働くこともあること(リボザイム)から提案された、と説明書きがある。

 

 RNAiは、ウイルスに対する生体の防御機構としても働いてきたという。進化の歴史を知ることが、今後の応用へのヒントになったりするのではないか、とも思う。


【リンク】いずれも2021年8月11日アクセス


◎The Nobel Prize. “The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2006.”

https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/2006/summary/


◎Alnylam Pharmaceuticals.「研究開発:RNAiの科学」

https://www.alnylam.jp/our-science


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本島玲子(もとじまれいこ)

「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。

医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。