●誰がトリガーを引いたのか


 医学論文のことは筆者のような門外漢が知る由はないが、現在でも執筆者や、引用者に対し、「サー」を付けたり、「ミスター」を付けたりする例があると聞く。「サー」は英国を中心とする階級社会の流儀だと思うし、それが厳然として一部にまだ生きていることに驚く。さらに、「ミスター」は性差を意識せざるを得ない。


 女性執筆者には何というのだろうか。「ミス」か「ミセス」か「ミズ」なのか。どうでもいいようだが、医学を含む科学論文に未だにこうした慣習が残っていることに、どこか「差別」の存在に無関心か、無意識であることがわかる。「サー」の論文は色付きで見られないのだろうか。


 未だにこうした実態が残るどころか、活字で残る最近の言説などをみると、差別の構造は、医科学の進歩が社会経済的な差別、人種や性、宗教という医学が未分化の時代からあった差別の構図をより強化し、鮮明化させる役割を果たしてきたのではないかと言われている。


 また、差別に対する嫌悪感情、理性的な差別撤廃論理の拡大と同時に、反射的に差別を拡大しているという厄介な問題も生まれている。遺伝学の急速な進歩はその例で、人は生まれる前から、受胎する以前から平然と差別されるようになった。遺伝子によってもたらされる疾病リスクファクターは、「発症しない」可能性すら否定し、生まれることを拒絶する方便をもたらし始めている。


 差別は「生物学が科学的根拠を与えた」という錯覚によって、構造を確立した確実な歴史がある。一口に言えば、遺伝という概念が、メンデルの関心・研究から生まれ、ダーウィンの『種の起源』と交差し、それが優生学的根拠となってさまざまな人種的差別、民族主義、それに伴う悲惨な歴史を構築してきたのだ。


 その「確実な進化」が始まったのは、高高100年くらい前の話で、その100年間にさまざまな疾患の特定と治療法開発、あるいは開発への期待へと進んできた一方で、今は世界中で、誰もが常識として共有している遺伝子研究にまで進み、上記に指摘したような新たな「優生学」を生んでいる。


●フランシス・ゴールトンという存在


 メンデルの研究を世に出したひとり、英国の生物学者ウィリアム・ベイトソンは、遺伝学「Genetics」という言葉を1905年に生み出した。彼は同時に「人類が遺伝に干渉し始める」ことを明確に予言した。ここから優生思想が萌芽した。


 彼は、「遺伝の科学はまもなく、とてつもない規模の力を人類に与えるだろう。そしてどこかの国では、それほど遠くない未来のどこかの時点で、その力が国家の構成を操作するために使われることだろう。その国にとって、あるいは人類全体にとって、そうした操作が最終的に善となるか悪となるかはまた別の問題である」と語っている。明確に、不快感を持って、ベイトソンはその後の歴史を予感しているのである。


 その予感はすぐに現実となった。ベイトソンのように、生物学の進歩を「リスク」として捉え、危惧した人は実は少数派だ。この頃、ダーウィンの従弟のフランシス・ゴールトンは、ダーウィンの遺伝学的論理の未熟さを突くかたちで、すでに「優生学」を唱え始めている。1904年にゴールトンは、H・G・ウェルズなどの文学者や言語学者も参加した講演会で、「優生学を新しい宗教のように、国家的意識に導入しなければならない」と主張したとされる。端的には、人種差別の明確な認識のスタートである。


 遺伝情報に関してベイトソンは、ゴールトンの主張した「ヒトの表現型」(身体的・精神的な形質)を指標に使うべきではなく、実際の情報は遺伝子の組み合わせ(遺伝型)が表現型を決定していることを説いた。そして優生学者が、この遺伝子操作を学んだなら未来を操作できるようになると警告した。


 それでも優生学は欧米で拡大、ゴールトンの死から1年後の1912年7月に第1回優生学会議が、ロンドンで開かれた。そこではドイツ人たちが熱心に「民族衛生」の名のもとに「民族浄化」を論じ、米国の論者は遺伝的不適格者に対する「断種」を生き生きと語ったとされる。この会議には第2次大戦時の英国首相、ウィンストン・チャーチルも参加したと伝えられる。


 米国で白人警官による黒人への暴行死がきっかけとなったBML運動で、英国ではチャーチル元首相を差別主義者として弾劾する動きもあった。ホロコーストを作ったナチと戦ったチャーチルがなぜ批判の対象となったのかを伝えない日本のメディアは、本質的に差別問題に鈍感である。


 優生学的な差別構造は、日本では戦後も長く温存されてきた。旧優生保護法は1948年に成立し、96年まで生きていた。『遺伝子の世紀』を書いたドイツ人心理学者のヘラ・ラフルスらによると、優生思想には消極的優生思想と積極的優生思想があり、前者は何らかの障害等がある者の子孫を残さなくす考え方であり、後者は強者が子孫をたくさん残すようにする考えだ。


 日本の旧優生保護法は、消極的優生思想を体現したものだが、とくに20世紀初頭から米国で台頭した「断種法」の影響が強い。ラフルスの優生学年表では48年の日本の優生保護法成立はトピックスとして記述されている。日本でも優生思想受容の恥ずべき歴史があったことの刻印は消えることはない。


●多様性に優劣はない


『遺伝子―親密なる人類史』を著したシッダルータ・ムカジーは、遺伝学という生物学的アプローチが進歩すると、優生学は常にそこに利活用される歴史がついて回るとの認識を示している。


 しかし、20世紀前半に科学に徹底し、それに抵抗する科学者たちがいたこともムカジーは教える。40年代に頭角を現したウクライナ出身の米国人テオドシウス・ドブジャンスキーは、ショウジョウバエの遺伝的研究から「遺伝型が表現型を決定する」というメンデルの発見を体系化するなかで、「遺伝型+環境=表現型」ということに気付く。


 彼の到達点をムカジーは「遺伝子自体は子に受け継がれても、それが実際の特徴へと浸透する能力は完全ではない」と述べて、「遺伝型+環境+誘因+偶然=表現型」という一定の公式のようなものをドブジャンスキーの研究から見出す。


「表現型の選択を介して、適応力を作り出す遺伝子が集団の中で増えていき、結果的に周りの環境により適応した集団が生み出される。完璧などというものは存在せず、あるのはただ、環境と生物個体とのたゆみない、飽くなき適合のみである。それこそが進化なのだ」


 ムカジーによるこのドブジャンスキーの洞察の紹介は、遺伝学は多様性の研究であり、そこを深く理解し、学ぶべきものだということだ。


「自然な多様性というのは生物にとって欠くことのできない蓄えであり、不利益よりはるかに多くの利益をもたらす」

「突然変異も多様性のひとつにすぎない。どちらが道徳的に優れているとか、生物学的に優れているということはない。ある特定の環境に適応できたか、できなかっただけの違い」

「ひとつひとつの要因がもたらす相対的な影響を解析せずに知能や美を高めようとしても、優生学者は挫折するだけだ」


 という、ドブジャンスキーの洞察は、「遺伝学の悪用と優生学に対する強力な異議申し立てとなった」と、ムカジーは語っている。


●必要なアシロマ・モラトリアムの再評価


 遺伝学は第2次大戦を境として、DNAの時代へと向かう。41年から44年にかけて、ニューヨークのロックフェラー大学教授だったフレデリック・エイヴリーらが「形質転換の原則」に基づく、タンパク質と核酸の研究を通じてDNAの存在を仮定し、44年にその存在が論文発表された。


 44年はナチスによる虐殺がピークに達した頃だ。ドブジャンスキーの懸念は爆発する形で現実化し、その一方で遺伝学は優生学と混濁しながら、DNAの発見に向かっていた。ムカジーは45年頃を、「優生学と遺伝学の言語は、大きな憎しみに満ちた人種差別言語の付属物」になっていたと語っている。


 68年から73年にかけてDNA研究は米国を中心に飛躍的な進歩を遂げる。この頃までに、遺伝子の解読技術、遺伝子とゲノムの性質の明確化、遺伝子ベクターの開発技術などが明らかにされ、その到達点のひとつが、組み換えDNA技術だ。つまり「遺伝子工学」の誕生である。ほぼ30年で、発見から操作する技術の端緒まで進んだことになる。


 しかし、「優生学」の恐ろしさも同時に進行し、それが進歩と同時に目に見えない形で、新たな課題も伴走していく。ムカジーの功績は、こうした「新優生学」ともいうべき「負の進歩」に対する冷静な注意喚起だ。


 ムカジーによれば、75年にスタンフォード大学の近くの場所であるアシロマで行われたディスカッションで、学者たちは、ある種の組み換えDNA研究のモラトリアムを求めた。これらを「アシロマ・モラトリアム」と呼ぶらしいが、こうした動きが、一定の期間、研究者に冷却期間を与え、また新たな遺伝子工学の倫理的な討論の準備をさせたことを示している。


 アシロマ・モラトリアムの存在とその評価について、国際的にも日本国内でも、話題になっていないのはなぜなのだろうか。そのせいかどうか、そうした倫理的な危険が承知されながらも、新優生学はじわりとまた浸透を始めたように思える。


 新優生学はポストゲノムの負の学問名である。ムカジーは遺伝子を操作することとゲノムを操作することはまったく違うと強調している。


「ゲノムの自然な状態での操作、とりわけ胚細胞や生殖細胞での操作が可能になれば、(遺伝子操作とは)比べ物にならないほど強力な技術への扉が開かれる。今ではもう、問題となっているのは細胞ではなく、個体、そう、われわれ自身なのだ」


 2015年に科学者グループが遺伝子編集、遺伝子改変技術の臨床応用への一時中断を求める声明を出した。アシロマ・モラトリアムを彷彿とさせるが、ムカジー自身も同書の終わり近くに12項目にわたる持論をまとめ、12番目に「歴史は繰り返す、ゲノムは繰り返す」と述べている。次回はゴールトンのもう少し詳しい「優生学者ぶり」を見ていく。(幸)